奈良は、710年に平城京が建設され、藤原京から都が遷された。唐の都長安をモデルにしたと言われる、日本で最初の本格的な計画都市である。ごく短い期間を除いて、784年の長岡京遷都まで都として栄え、当時の建物が今も残っている。1998年に、日本で9番目の世界遺産として登録されており、6件の神社・仏閣に平城宮跡と春日山原生林を加えた計8件が対象となっている。なお、ユネスコ公式サイトでは春日山原生林を春日大社に含めているようで、7件記載されている。

 
 1.東大寺
 741年に聖武天皇の勅願により総国分寺として建てられ、752年大仏開眼供養が行われた。平安時代末期、平氏による焼き討ちでほとんどの建物を焼失し、再建した建物も戦国時代の1567年に多くが焼失している。しかし奈良時代や鎌倉時代の建物もいくつか残っており、国宝9棟、重要文化財は16棟ある。1991年の初訪問は主要な所だけを廻ったが、紅葉時期で人が溢れていた。
1991.11 大仏殿(国宝)と中門(重文) 1991.11 二月堂(国宝)より(遠くに興福寺)
 前回見逃した建物を見るため、23年ぶりに訪問。メインの大仏殿は世界最大の木造建築だが、1705年の再建で、創建当初よりかなり小さくなっているらしい。また、中門は大仏殿と同時期の再建、南大門は鎌倉時代の再建である。この時は大仏殿の中には入らず、外から眺めるだけにした。
 
2014.12 南大門(国宝) 2014.12 大仏殿(国宝)
2014.12 中門(重文) 2014.12 西楽門(重文)、西回廊(重文)
 大仏殿の北側は、残っている建物は少ないが、転害門は奈良時代の姿を残す数少ない建物である。 
2014.12 転害門((国宝)
 大仏殿の少し西には鐘楼と念仏堂。さらにその先には大湯屋、開山堂などがある。すべて鎌倉時代の建物が残っている。 
2014.12 鐘楼(国宝) 2014.12 念仏堂(重文)
2014.12 大湯屋(重文) 2014.12 開山堂(国宝)
 東大寺の中でも、いちばん高いところに二月堂と法華堂(三月堂)がある。法華堂は奈良時代から残る3棟しかない建物の1つ。二月堂は江戸時代の再建だが、国宝に指定されている。
 
2014.12 二月堂(国宝) 2014.12 二月堂食堂・参籠宿所(重文)
2014.12 二月堂閼伽井屋(重文) 2014.12 法華堂北門(重文)
2014.12 法華堂(国宝) 2014.12 法華堂経庫(重文)
 数多くの宝物が眠る正倉院は、東大寺のはずれにある。江戸時代までは東大寺が管理していたが、明治時代に内務省管理となり、今は宮内庁管理。校倉造の高床倉庫である。平日のみの公開であるため、なかなか訪問できなかったが、2019年にようやく見ることができた。とは言っても中が見られるわけではなく、少し離れた所からの見学である。
 
2019.12 正倉院(国宝)
 2.興福寺  
  藤原氏の氏寺として栄え、平城京遷都とともに現在の地に移された。平安時代以前の建物は残っていないが、国宝4棟、重要文化財2棟ある。シンボルとなっている五重塔は室町期のもので、京都の東寺に次ぐ高さがあるらしい。1991年、2014年、2018年と3度訪れているが、いずれも夕方で、薄暗い写真しか無い。
2014.12 五重塔(国宝) 2014.12 東金堂(国宝)
 
2018.1 北遠堂(国宝)  2018.1 南円堂(重文)
2018.1 三重塔(国宝)
 3.春日大社  
 藤原氏の氏神を祀るため、768年に創設されたもの。本殿は20年に一度、式年造替が行われている。本殿4棟は国宝で、重要文化財は摂社を含めて27棟ある。初訪問は1991年である。
1991.11 中門(重文)と廻廊(重文) 1991.11 南門(重文)
 23年ぶりの訪問は、本殿の特別拝観が目当て。本殿は4棟が1列に並んでいるが、横から見るのでちょっとわかりにくい。境内は重要文化財の建物が所狭しと集まっている。
2014.12 本殿(国宝) 2014.12 幣殿・舞殿(重文)
2014.12 移殿(重文) 2014.12 直会殿(重文)
2014.12 内侍門(重文) 2014.12 清浄門(重文)
2014.12 慶賀門(重文) 2014.12 宝庫(重文)
2014.12 酒殿(重文) 2014.12 竃殿(重文)
2014.12 車舎(重文) 2014.12 一の鳥居(重文)
 4.元興寺  
 飛鳥寺が、平城京遷都に伴って移転した寺院といわれる。奈良時代は東大寺・興福寺に劣らぬ規模だったが、中世以降衰退し、3つの寺院に分かれている。このうち元興寺極楽坊には、かつての僧坊を鎌倉時代に改築した本堂と禅室が残っており、ともに国宝である。
2019.12 本堂(国宝) 2019.12 禅室(国宝)
 5.薬師寺  
  もとは680年、天武天皇の発願で橿原に造営されたもので、平城京遷都とともに西の京へ移転した。1528年の兵火でほとんどの建物を焼失し、奈良時代の建物は東塔だけである。本格的な再建は20世紀後半になってからで、1976年の金堂を皮切りに、西塔、中門、大講堂などが再建されている。少しきれい過ぎるが、やはり何も無いよりは雰囲気が分かってよかった。
1991.11 左が東塔(国宝)、右は金堂
 2度目の訪問は、唐招提寺が目的だったので、薬師寺は最後に少し見たのみ。東塔は解体修理中で見ることができなかった。東院堂は1528年の焼失を免れた数少ない建物の1つで、鎌倉時代のものである。
2015.3 東院堂(国宝) 2015.3 中門と西塔
 6.唐招提寺  
 唐の僧、鑑真が建立したことで知られる寺院。奈良時代の建物の多くが今も残っており、国宝5棟、重要文化財も3棟ある。このうち金堂は奈良時代から残る唯一の寺院金堂、また講堂は平城宮から移築されたもので、現存する唯一の平城宮の建物である。薬師寺から歩いて行かれる距離だが、2015年が初訪問になった。
2015.3 金堂(国宝) 2015.3 講堂(国宝)
2015.3 鼓楼(国宝) 2015.3 東室・礼堂(重文)
2015.3 宝蔵(国宝) 2015.3 経蔵(国宝)
2015.3 旧一条院宸殿(重文)
 7.平城宮跡  
 平城宮は、710年に都となった平城京の大内裏。都が平安京に遷った後は、次第に忘れられていった。1953年以降に本格的な発掘が始まり、現在は広大な公園となっている。1996年の初訪問時は復元整備が進む前で、明るい雰囲気の中に植栽された柱の跡が並ぶ光景が滑稽な感じだった。
1996.5 平城宮跡(特別史跡)
 平城宮跡では、復元整備が進められており、1998年に朱雀門、2001年に東院庭園、そして2010年には平城京遷都1300年に合わせて大極殿が復元された。今後は、平城宮跡を横切る近鉄線の移設なども検討されている。
2018.1 大極殿 2018.1 朱雀門
2018.1 東院庭園(特別名勝)

古都奈良の文化財