新潟市内の白山前と燕を結んでいた路線で、白山前付近は併用軌道になる珍しい路線だった。最盛期は15千人以上の利用があったが、1990年は5千人以下に激減。1992年の白山前-東関屋間廃止を皮切りに段階的に廃止して結局全廃となった。政令指定都市の中心を走る鉄道が消えてしまうとは不思議な気がしたものだが、改めて営業成績を見るとよく半世紀近くも赤字で営業していられたと思う。

  1933.4.1  新潟電鉄東関屋〜白根間開業(1067mm、1500V)
  1933.7.28 県庁前(のちの白山前)〜東関屋間延伸
  1933.8.15  白根〜燕間開業
  1943.12.31 合併により新潟交通となる
  1992.3.20  白山前〜東関屋間廃止
  1993.8.1  月潟〜燕間廃止
  1999.4.5  全線廃止 
   1941 1949 1955 1960 1965 1970 1975  1980  1985 1990 1995 1998
 輸送人員(千人/日)  6.3 13.5 11.8  13.6  15.9 15.1  11.5 9.0 6.9 4.6 2.8 2.2
 輸送密度(千人/日) 1.9  3.6  3.3  3.8  4.3  4.0  2.7  2.2  1.6  1.0 0.8  0.7
 貨物輸送量(万t/年) 5.8  6.3  6.4  6.6  10.7  9.0  6.0  3.8        
 営業係数 60 96 100 105 130 141 132 131 127 172 182 162
営業中
 乗車したのは全線が存続していた1991年。路面電車のように走る白山前付近は覚えているが、そこから先は覚えていない。 
1991.2 白山前駅付近 1991.2 白山前駅
廃線跡
 白山前-燕36.1km
 ここは見所が多そうだったので2回に分けて訪問した。まずは東関屋から寺地まで。レールやホームは無くなっているものの、路盤はほぼ完全に残っていた。
2008.1 東青山駅付近@ 2008.1 東青山-平島間A
2008.1 平島-寺地間B 2008.1 平島-寺地間B
2008.1 平島-寺地間B 2008.1 寺地駅跡C
 2回目は越後大野から南下。下調べによるとほとんどの駅でホームが残されているはずだったが、行ってみるとどこも撤去されてしまっている。しかし線路跡や橋梁はしっかり残っており、今にも列車が走って来そうな雰囲気をあちこちで感じた。
2008.4 越後大野駅跡D 2008.4 越後大野〜黒崎中学校前間E
2008.4 新大野〜木場間F 2008.4 木場駅跡G
 味方中学校前でようやくホームを発見するが、きれいに整備されてしまっていて、鉄道の雰囲気は残っていなかった。その先は車道や歩道になった所が多いようである。 
2008.4 味方中学校前駅跡H 2008.4 千日〜曲間I
 一部廃止後の終点であった月潟駅は、ホームや駅舎がそのまま残り、車両も保存されている。ちょうど桜の中にあって微笑ましい。 
2008 月潟駅跡J 2008.4 月潟駅跡J
   
車両
番号 登場 1937 1955 1964 1975 1985 1995  備考
モハ1-2 1933.3 2
モハ11-15 1933.3-35.6 5 5 4
クハ31-35 1933.11-44.9 2 5 5
モワ51 1933.8 1 1 1 1 1 1
モハ16→クハ36 1947.6 1 1 1 1
モハ16(2代) 1956.1 1 1 1 1 もと国鉄モハ19
モハ17-19 1947.10-48.7 3 1 もと東武デハ7形
クハ37-39 1952.1-63 1 2 2 2 もと国鉄、西武
モハ11、12、14、
18、19、21、24、25
1963.12-69.12 3 8 8 8 モハ10形等車体更新
クハ45-49、40 1962-70 1 6 6 1 クハ30形等車体更新
モハ2229-2230 1985.1 2 2 もと小田急2200形
 モワ51形
 全線開業時に導入された電動貨車で、貨物輸送のほか、除雪時の機関車代わりでもあった。路線廃止まで66年間活躍し、今は月潟駅で保存されている。
 
2008.4 モワ51:月形駅跡
 モハ10形
 開業時に導入された旧モハ10形などを更新したもので、名義や台車・機器の一部は引き継いでいるが、車体は新造であった。8両すべてが廃止時まで残っていた。
 
1991.2 モハ10形:白山前駅付近 2008.4 モハ11:月形駅跡 
 キ100形
 1968年に国鉄から譲り受けた除雪車で、1932年製。モワ51、モハ11とともに、月潟駅における保存の対象となった。
 
2008.4 キ116:月形駅跡

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