日光は、源義朝が日光山を造営したのに始まるとされる。徳川家康の死後、家康を神格化した東照大権現を祀る東照宮が造営され、徳川家光の時代にさらに大規模なものとなった。明治の神仏分離の際に、東照宮、二荒山神社、輪王寺の3社寺に分かれている。3件合わせて国宝建造物9棟、重要文化財94棟と、それらを含めた文化的景観が、1999年に日本で10番目の世界遺産として登録されている。

 東照宮
 初訪問は、小学校の修学旅行。あまり写真は残っていないが、陽明門はしっかり撮影していた。
1983.8 陽明門(国宝)
 2003年は、湯元へ行く途中で少し立ち寄ったもの。2007年から正面唐門、2013年からは陽明門の修復が始まったので、修復前に見た最後の機会になった。
2003.9 陽明門(国宝) 2003.9 正面唐門(国宝)
2003.9 五重塔(重文) 2003.9 鼓楼(重文)
 正面唐門の修復が終わったのに合わせて、ちょうど10年ぶりの訪問。仁王門と陽明門の間は、狭い範囲に数多くの建物が並び、そのほぼ全てが国宝か重要文化財である。陽明門は修復のカバーで覆われていた。
2013.10 仁王門(重文) 2013.10 下神庫(重文)
2013.10 中神庫(重文) 2013.10 神厩舎(重文)
ここに三猿がいる
2013.10 輪蔵(重文)、鼓楼(重文) 2013.10 御水舎
2013.10 鐘楼(重文) 2013.10 東廻廊(国宝)
 修復の終わった正面唐門は、驚くほど白くなっていた。透塀も色鮮やかで驚く。しかし狭いスペースは人で溢れていて、じっくり眺める余裕はなかった。
2013.10 正面唐門(国宝)、東西透塀(国宝)、拝殿(国宝)
2013.10 神楽殿(重文) 2013.10 神興舎(重文)
 坂下門をくぐって奥社へ。ここは本殿は無く、いちばん奥に宝塔がある。これが徳川家康の墓所である。
2013.10 奥社唐門(重文) 2013.10 宝塔(重文)
 五重塔の近くには御仮殿は、本殿の建て替えの際に一時的に神様を遷すところ。通常は臨時の建物だが、東照宮では建て替えが終わってもそのままになっている。また、神橋の先にある御旅所も、東照宮の一部である。
2013.10 御仮殿(重文)と唐銅鳥居(重文) 2013.10 御旅所(重文)
 輪王寺
 輪王寺の前身は、奈良時代に創建されているが、二荒山神社や東照宮との明確な区分は無かった。明治の神仏分離令によって、日光山内の寺院が輪王寺と総称されるようになったため、1ヶ所にまとまってはいない。
 下は2003年に訪問した三仏堂。2013年は修復中で見られなくなっていた。
2003.9 三仏堂(重文) 2003.9 相輪塔(重文)
2013.10 護法天堂(重文)
 二荒山神社の正面に、常行堂と法華堂がある。この奥に慈眼堂があるはずだが、行き方がわからなかった。
2013.10 常行堂(重文)と法華堂(重文) 2013.10 常行堂法華堂渡廊(重文)
 輪王寺のいちばんの見所は、徳川家光の墓所として建てられた大猷院。家康の墓所とは違って仏寺式なので輪王寺の所有になったとこのとだが、拝殿や本殿があるのは神社としか思えず、違いがよくわからなかった。
2013.10 大猷院仁王門(重文) 2013.10 大猷院宝庫(重文)
2013.10 大猷院鐘楼(重文) 2013.10 大猷院鼓楼(重文)
2013.10 大猷院夜叉門(重文) 2013.10 大猷院唐門(重文)
2013.10 大猷院本殿と相の間(国宝) 2013.10 大猷院皇嘉門(重文)
 二荒山神社
 二荒山神社も、輪王寺と同じく奈良時代の創建と言われる。なお、宇都宮にも二荒山神社があり、どちらも下野国一宮を称しているため紛らわしい。世界遺産の対象は、本社と別宮の本宮神社、滝尾神社の計3ヶ所だが、ほかにも中禅寺湖畔の中宮祠、男体山山頂の奥宮がある。
2013.10 拝殿(重文) 2013.10 本殿(重文)
2013.10 神興舎(重文) 2013.10 大国殿(重文)
2013.10 朋友神社(重文) 2013.10 日枝神社(重文)
 大谷川にかかる神橋も、二荒山神社の一部である。修復が終わったので色鮮やかだった。
2013.10 神橋(重文)

日光の社寺