西日本鉄道の創業は、九州電気軌道が北九州市内の軌道を開業させた1911年とされる。かつては北九州市内に40km以上のネットワークを有していたが、1992年には黒崎駅前〜折尾間の約5kmのみとなり、これも2000年に廃止された。ただし、黒崎駅前〜熊西間0.7kmのみは筑豊電鉄の路線として健在である。また、福博電車の福岡市内線、大牟田電気軌道の大牟田市内線、三井電気軌道の福島線も、合併により西鉄となっていたが、すべて消滅している。

 ○九州電気軌道→(1942.9.21)西日本鉄道
   (門司線:門司〜折尾 29.4km 1911.6.5開業 1914.6.25全通 2000.11.26廃止)
   (戸畑線:大門〜戸畑 5.5km  1912.7.1開業 1985.10.20廃止)
   (枝光線:中央町〜幸町 4.8km 1923.11.23開業 1929.11.26全通 1985.10.20廃止)
 ○小倉軌道→(1918)小倉電気軌道→(1942.3.2)九州電気軌道→(1942.9.21)西日本鉄道
   (北方線:魚町〜北方 4.6km 1906.6.11開業 1920電化 1927.2.1全通 1980.11.2廃止)
 ○福博電軌軌道→(1911)博多電灯軌道→(1912)九州電灯鉄道→(1922.6.30)東邦電力
  →(1934.11.1)福博電車→(1942.9.19)西日本鉄道
   (福岡市内線:九大前〜姪浜ほか  1910.3.19開業 1975.11.2廃止)
   ※一部は○博多電気軌道→(1912.7)九州水力電気→(1929.7.1)博多電気軌道
    →(1934.11.1)福博電車  1911.10.2開業
 ○大牟田電気軌道→(1941.3.31)九州鉄道→(1942.9.19)西日本鉄道
   (大牟田市内線:旭町〜四ツ山通 4.7km  1927.12.1開業 1954.3.15廃止)
 ○三井電気軌道→(1924.7.10)九州鉄道→(1942.9.19)西日本鉄道
   (福島線:福島〜宮の陣 12.3km  1913.7.20開業 1923全通 1958.11.27廃止)
 
戦前
 旧九州電気軌道
 北九州線開業時の1・35形は木造ボギー車で、戦後に56両が福岡市内線へ転属して100形となった。1両が木造のまま長崎電軌軌道で車籍を残している。また、66形からは半鋼製となっており、100形の148号が門司港レトロ駐車場で保存されている。
 形式 番号 両数 戦後  登場  消滅  備考
1・35形 1-65
→101-156
65 56 1911-21 1970 13両→長崎
66形 66-85 20 20 1929 1992.10
100形(初代) 101-107 7 0 1924 1935 もと神戸市
100形 101-157 57 54 1936.2-41.2 1985.11
200形 201-212 12 12 1934.11-37.2 1977.3 1・35形の鋼体化
小倉電気軌道1形
→300形
301-317 17 17 1920-39 1964.12 11両は肥前等より
 
2018.9 148号:門司港レトロ駐車場
 旧福博電車
 福博時代の車両はほとんど木造車で、他社からの譲受が多い。また、改番が何度も行われており、とくに1945年と1948年の改番は大規模だったため、とてもわかりにくくなっている。いずれも戦後間もない時期に消滅したが、20-22の3両は車体を撤去して花電車となった。鹿児島市と長崎電軌に譲渡され、今も2両が現役である。
  旧博多 旧福博 1948改番 両数 戦後  登場  消滅  備考
旧福博 1-15 15 0 1910.2 1949 もと東京市
16-60 1-24 45 24 1910.2 1954 3両→花20-22
61-70 50-55 10 6 1919.6 1953
71-80 25-29 10 5 1929.1 1953 もと大阪市
81-82 2 0 1933.2 1949 もと九州鉄道
旧博多 1-45 90-123 56-60 45 5 1910.6 1954
35-41 124-130 61-65 7 5 1923.8 1953
42-46 131-135 66-70 5 5 1927.2 1951
47-59 136-148 46-48 13 3 1929-31 1954 もと大阪市
統合後 83-89 44-45 7 2 1935 1953 もと門司築港
149-168 30-43 20 14 1935-37 1954 もと大阪市
169-172 49 4 1 1940-41 1953 もと箱根登山
173-174 2 0 1942 1948 撒水車改造
花20-22 3 1954 1979 20-22改造
20・22→鹿児島市
21→長崎電軌
 
 2018.10 もと花22:鹿児島市譲渡後
 旧大牟田電気軌道
 大牟田市内線開業時の1形は、戦時中に更新されて200形となった。戦後は福島線や福岡市内線を渡り歩き、福岡市内線の廃止とともに消滅している。204号が、新大牟田駅の近くにある大力茶屋の駐車場で保存されている。
 形式 番号 両数  登場  消滅  備考
1形 1-13 13 1927.3認可 1943-44
200形 201-213 13 1943-44 1975 大牟田市内線1形の更新
 
 2018.9 204号:大力茶屋
戦後
 福岡市内線500形
 戦前の福岡市内線はほとんど木造車だったため、置き換えを目的として戦時中から製造が始まったもの。一部は旧型車の機器を流用している。福岡市内線の廃止後、33両が北九州線に転属して、1993年まで残っていた。507号が筑前山家駅前で保存されている。
 形式 番号 両数  登場  消滅  備考
500形 501-520、551-560 30 1944-48 1979.2
561-608 48 1948-51 1993.9
  
2018.9 507号:筑前山家駅前
 北方線321・323・331形
 北方線は北九州線や福岡市内線と軌間が異なり、車体の幅も狭い。324号は北方線廃止後に土佐電気へ譲渡され、廃車後は九州に戻ってかしいかえんで保存されている。
 形式 番号 両数  製造  消滅  備考
321形 321-322 2 1947.9 1980.11
323形 323-324 2 1956.3 1980.11 324→土佐電気
331形 331-343AB 13 1957.12-64 1980.11
 
2018.9 324号:かしいかえん
 北九州線500・600形
 北九州線の戦後最初の車両も500形だが、福岡市内線の500形とは別形式。福岡市内線500形の置き換えられて消滅しているので、とてもややこしい。3両が広島電鉄に譲渡され、まだ1両が現役である。また、続いて登場した600形は50両が製造され、北九州線廃止まで活躍していた。621号がかしいかえんで保存されている。
 形式 番号 両数  製造  消滅  備考
500形 501-512 12 1949.6-49.8 1977.3 3両→広電
600形 601-650 50 1951.5-53.9 2000.3
  
2018.9 621号:かしいかえん
 北九州線1000形
 輸送力増強のために登場した連接車で、15年にわたって64編成が製造された。このうち7編成は中間車を増結して3連接となっている。23編成は筑豊電鉄に譲渡されたが、すでに全車引退した。1024号が、西戸崎駅近くの老人福祉施設で保存されている。
 形式 番号 両数  製造  消滅  備考
1000形 1001-1064AB(C) 135 1953.11-67.7 2000.3 23編成→筑豊電鉄
  
2016.9 1024号:みつみ老人福祉施設
 福岡市内線1000形
 福岡市内線向けの連接車で、北九州線と同じ1000形を名乗る。車体は北九州線とほぼ同じだが、正面中央の窓に桟が無い。1975年の福岡市内線廃止後は、熊本市や広島電鉄、筑豊電鉄に譲渡されている。広島電鉄では前照灯が頭に、また筑豊電鉄では腰に移設されて印象が変わったが、熊本市電のものはほぼ原形を保っており、塗装も西鉄時代のものに復元されている。
 形式 番号 両数  製造  消滅  備考
1000形 1001-1015AB 30 1954.6-57.4 1975 4編成→熊本市
1100形 1101-1105AB 10 1954.7 1975 2編成→広電
1200形 1201-1209AB 18 1962.7-63.6 1975 8編成→広電、1編成→筑豊
1300形 1301-1306AB 12 1964.8 1975 2編成→広電、4編成→筑豊
   
2018.7 もと1000形:熊本市電譲渡後 2017.8 もと1300形:筑豊電鉄譲渡後
 
2016.1 もと1200形:広島電鉄譲渡後 2018.6 もと1300形:広島電鉄譲渡後 
 福岡市内線300形
 福岡市内線向けのボギー車で、100形の鋼体化改造とされているが、実態は新製に近い。5両のみ製造され、福岡市内線廃止後は北九州線に転属したが、1985年に引退している。
 形式 番号 両数  製造  消滅  備考
300形 301-305 5 1963.9-64.3 1985.10 100形鋼体化
最後は北九州線

西日本鉄道・軌道線(廃止)