野上地方への交通として建設された路線で、開業は対象初期と歴史は古い。戦時中には神野市場までの延伸が着工されたが、実現しなかった。補助を受けながら1994年まで存続していがが、欠損補助金の打ち切りにより廃止、会社自体も倒産している。なお、山の方へ向かう方向を上りと呼んだ珍しい路線でもある。

  1916.2.4  野上軽便鉄道日方〜紀伊野上間開業
  1928.3.26 紀伊野上〜生石口(のちの登山口)間開業
  1928.9.24 野上電気鉄道と改称
  1994.4.1  全線廃止 
   1941 1949 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990
 輸送人員(千人/日) 4.2 5.6 5.4 6.9 8.2 7.1 5.5 4.0 2.4 1.8
 輸送密度(千人/日) 2.1 2.9 2.8 3.5 4.1 3.6 3.1 2.2 1.4 1.0
 貨物輸送量(万t/年) 0.7 0.7 0.6 0.7 0.3
 営業係数 60 92 117 92 88 110 107 106 135 157
廃線跡
 日方-登山口11.4km
 終点の登山口という駅名からも山岳鉄道のようなイメージを受けるが、行ってみると比較的平坦だった。登山口駅はバスターミナルになって、面影はわからなかった。 
2006.12. 登山口駅跡@
 少し戻ると廃線跡の路盤がそのまま残っている。龍光寺、動木と、ホームも残っていて雰囲気がいい。小さな橋梁もそのまま残されていた。 
2006.12. 龍光寺駅跡A 2006.12 龍光寺-動木間B
2006.12. 動木駅跡C 2006.12 動木駅付近C
 動木と紀伊野上の間がこの路線のハイライトで、貴志川に沿って廃線跡が大きなカーブを描いている。紀伊野上もホームが残っているが、この先は立派な道路に変わってしまった。 
2006.12. 動木-紀伊野上間D 2006.12 紀伊野上駅跡E
 少しバスで移動して沖野々のあたりへ。このあたりは自転車道となっていて、日方のすぐそばまで続いている。 
2006.12 紀伊阪井-沖野々間F
 海南駅が見えてくると自転車道が終わる。起点の日方は海南駅のすぐ横だが、なぜか広大な空き地になっていていちばん殺風景だった。 
2006.12. 日方-春日前間G 2006.12 日方駅跡H
 
車体
 開業時からECによる運行で、最初の7両は自社発注の木造単車。戦後は、阪急・阪神等の車体と南海等の台車を組み合わせ、名義は在来車のものを引き継ぐといった複雑怪奇なことを行っており、番号も重複が多いのでとてもわかりにくい。1976年のデハ11-13入線から廃止までは、車両の増減が無かった。 
番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
デハ1-3→11-13 3 8357mm木造単車 1916 1956
デハ4-5→31-32 2 8687mm木造単車 1922 1956
デハ6-7
→クハ101-102
2 木造単車 1928
デハ14-15 2 8534mm木造単車 1948 1952 もと名鉄
モハ21-22 2 12020mm木造 1935・48 1959 もと目蒲・江若
モハ23-24 2 1950 1958 もと近江
モハ23U 1 14918mm半鋼 1957 1994 もと阪急26車体
モハ24U 1 14324mm半鋼 1961 1994 もと阪神604車体
モハ25-27 3 13600mm半鋼 1955-60 1994 もと阪神701形車体
モハ31・クハ103 2 13498mm半鋼 1957-58 1963? モハ23-24車体
モハ31U-32
クハ101、102、104
5 13800mm半鋼 1961-64 1994 もと阪神1101形車体
モハ51-52、クハ201 3 1967 1974 もと阪神871形
デハ11-13 3 12500mm 1976 1994 もと富山地鉄5010形
 モハ27・31
 車体は、モハ27が阪神707、モハ31が阪神1130のもので、台車はいずれも南海から譲り受けた。阪神時代から数えると、約60年活躍したことになる。どちらも廃線跡のすぐそばで保存されており、状態は良好である。 
 
2019.3 モハ27:下佐々駅付近 2006.12 モハ31U:くすのき公園 

野上電気鉄道