のと鉄道は、国鉄能登線と七尾線の一部を移管した第三セクターであるが、両線で経緯は異なる。能登線は、1964年の全線開業という比較的新しい路線だったが、その24年後には赤字ローカル線として、のと鉄道になった。一方、七尾線は能登線がのと鉄道に転換したあともJRとして残っていたが、1991年に和倉温泉以北がのと鉄道に移管となり、そのうち穴水-輪島間は能登線よりも先に廃止されるという複雑な歴史をたどっている。能登線も2005年に廃止となり、七尾線穴水以南のみがのと鉄道として生き残っている。

  1935.7.30 七尾線穴水〜輪島間開業
  1959.6.15 能登線穴水〜鵜川間開業(60.4.17宇出津延伸、63.10.1松波延伸)
  1964.9.21 穴水〜蛸島間全通
  1988.3.25 能登線がのと鉄道に転換
  1991.9.1  七尾線和倉温泉〜輪島間がのと鉄道に転換
  2001.4.1  七尾線穴水〜輪島間廃止
  2005.4.1  能登線全線廃止 
 能登線 1960 1965 1970 1973 1977 1980 1983 1985 1990 1995 2000 2004
 輸送人員(千人/日) 2.3 8.8 8.7 8.7 7.9 6.9 6.0 5.4 4.8 4.2 2.9 1.9
 輸送密度(千人/日) 1.1 2.1 2.4 2.6 2.2 1.8 1.6 1.4 1.2 1.1 0.7 0.5
 貨物輸送量(万t/年) 0.1 6.0 5.8 5.0 3.7 2.9
営業中
 七尾線は転換前の1989年、能登線は転換後の1991年に乗車した。能登線に乗車したのは奥能登の禄剛崎などをまわった帰りで、宇出津以南では海沿いの区間が多く、夕陽で周囲が赤く染まっていたのを覚えている。
1989.8 輪島駅
1991.8 蛸島駅 1991.8 蛸島駅
廃線跡
 能登線(旧能登線・穴水-蛸島61.0km) 
 1991年は途中下車もせず乗りっぱなしだったので、廃止前にもう一度乗りたいとずいぶん迷ったが、遠いので結局断念してしまった。これがずっと心残りだったので、2年半後に廃線跡をたっぷり見て回った。まずは終点の蛸島駅。ホームだけでなくレールや車両も残されていて、最初から雰囲気満点である。 
2007.11 蛸島駅跡@ 2007.11 蛸島駅跡に残る車両@
 珠洲駅は重厚な駅舎がそのまま残されていて、観光センターになっている。ホームや線路の一部もそのままで、現役のような雰囲気である。 
2007.11 珠洲駅跡A 2007.11 珠洲駅跡A
 鵜飼駅も線路こそ無いが、駅舎とホームが当時のまま残っていた。 
2007.11 鵜飼駅跡B 2007.11 鵜飼駅跡B
 恋路はロマンチックな名前で有名だった駅で、道路から一段高い所にある。ホームやホームに上がる階段は当時のままで、ここも雰囲気がいい。 
2007.11 恋路駅跡C 2007.11 松波-九里川尻間D
九里川橋梁
 九里川尻の駅は、何もない築堤の上にかわいいホームがぽつんとある。能登線は多くの駅が残っていたが、ここが一番気に入った。九十九湾小木は特徴的な駅舎が印象に残る。 
2007.11 九里川尻駅跡E 2007.11 九十九湾小木駅跡F
 波並駅の藤波方は、海岸に沿って大きなカーブを描く廃線跡が見わたせて、いかにも能登線といった雰囲気が感じられた。 
2007.11 藤波〜波並間G 2007.11 波並駅跡G
 日が暮れてきたので、何駅かとばして甲駅へ。ここも人家がほとんど無いところに駅舎やホームが残っていた。能登線は最も楽しめた廃線跡の1つだと思う。 
2007.11 甲駅跡H 2007.11 甲駅跡H
 七尾線(穴水-輪島20.4km) 
 廃線跡の訪問は廃止から6年後。この区間のいちばんの見所は能登三井駅跡で、雰囲気のいい駅舎と広い構内が残る。ここと穴水との間は思った以上に深い山の中で、ところどころに高い橋脚があった。 
2007.11 輪島駅跡I 2007.11 能登三井駅跡J
2007.11 能登三井-穴水間K 2007.11 能登三井-穴水間K

 

のと鉄道能登線・七尾線(一部)