尾小屋鉱山の貨物輸送を目的として、当初は個人名義の鉄道としてスタートしている。鉱山は1967年に実質的に閉山となったが、鉄道は1977年まで細々と残り、最後の非電化軽便鉄道となった。
  1919.11.26 正田順太郎の尾小屋〜五国寺(のちの西大野)間開業(20.5.10小松延伸)
  1920.6.11  横山鉱業部鉄道となる
  1929.7.2   尾小屋鉄道となる
  1977.3.20  全線廃止 
  1941 1949 1955 1960 1965 1970 1975
 輸送人員(千人/日) 1.1 1.4 2.2 2.9 2.6 1.9 0.7
 輸送密度(千人/日) 0.7 0.6 1.0 1.3 1.2 0.9 0.4
 貨物輸送量(万t/年) 4.1 1.9 2.2 0.1
営業係数 102 121 98 103 103 154 268
廃線跡
 新小松-尾小屋16.8km  
 廃線跡は、吉竹までは立派な道路になっているが、遊園地前の前後は公園の中の小路になっていて、雰囲気が残る。花坂を過ぎると、道路の脇に路盤が残されていていい雰囲気である。
2010.8 西吉竹〜吉竹間@ 2010.8 吉竹〜遊園地前間A
2010.8 遊園地前駅跡B 2010.8 花坂〜西大野間C
 金野町の手前にある梯川橋梁のガーター橋は、なかなか見つけられず行ったり来たりしてしまった。金野町のホームも残っていて、このあたりがいちばん手つかずの区間のようである。
2010.8 大杉谷口〜金野町間D 2010.8 金野町駅跡E
 金平からは廃線跡が生活道路になる。ホームが低いのでわかりにくいが、沢駅や観音下駅では道路脇にホームが残っていて、鉄道だった時代の面影が感じられた。
2010.8 金平駅付近F 2010.8 沢駅跡G
2010.8 観音下駅跡H 2010.8 倉谷口駅跡I
 尾小屋駅は集落の入口にあって、広い構内がそのまま残されている。低いホームや複雑な線路配置がわかっておもしろい。
2010.8 尾小屋駅跡J 2010.8 尾小屋駅跡J
 
車両
 在籍したSLは5両で、このうち5号は珍しい戦後の新製車。DLは2両で、どちらもSLの改造ということになっているが、新製と言ってもいいようである。DCは3両で、うち1両のみ他からの転入。観光用を除くと最後の非電化軽便鉄道として有名だったため、DL・DCの全車とSL1両、PC4両が保存されていて、保存率が極めて高い。
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 1-2 2 Cタンク 1917 1958
3 1 Cタンク 1935 1938 もと栃尾鉄道
3 U 1 Cタンク 1941 1958
5 1 Cタンク 1951 1977
DL DC121 1 5790mmC形 1953 1977
DC122 1 5840mmC形 1958 1977
DC キハ1 1 9260mm機械式 1937 1977
キハ2 1 10700mm機械式 1938 1977
キハ3 1 10590mm機械式 1966 1977 もと遠州鉄道キハ1803
PC ハフ1-3 3 木造単車 1917 1977
ホハフ1-3、5-8 7 木造ボギー車 1950-62 1977 もと三重交通
 5号  
 1951年、立山重工業製。戦後生まれのSLで、他のSLが引退した後も除雪用に残っていた。晩年はほとんど使用されなかったようだが、廃線まで車籍が残され、今は尾小屋鉱山資料館で動態保存されており、イベント時には屋外を走行する。
 
2010.8 5号:尾小屋鉱山資料館
 キハ3  
 遠州鉄道奥山線のキハ1803を譲り受けたもので、花巻電鉄に入ったキハ1804と同型。5号SLとともに尾小屋鉱山資料館で動態保存され、イベント時には乗車することもできる。
 
2010.8 キハ3:尾小屋鉱山資料館
 DC122  
 協三工業製のDLで、DC122とほぼ同型であった。廃線後は尾小屋駅跡で保存されていて、右の写真のように荒れ果てていたが、那珂川清流鉄道保存会に引き取られて往時の姿を取り戻した。
2018.5 DC122:那珂川清流鉄道保存会 2010.8 尾小屋駅跡にあった頃のDC122
 ハフ1  
 尾小屋鉄道開業時に導入された、1917年製の木造単車。1両のみ廃線時まで残されており、今は尾小屋鉱山資料館で保存されている。
 
2010.8 ハフ1:尾小屋鉱山資料館

尾小屋鉄道