その名のとおり炭鉱鉄道だが、北海道で最後まで旅客営業を行った私鉄でもあった。北海道に初めて行った時にはまだ営業していたので、乗りにいかなかったことが悔やまれる。

  1911.6.21 大夕張炭砿清水沢〜二股間開業
  1918.4.10 三菱鉱業となる
  1929.6.15 二股〜北部通洞(のちの大夕張炭山)間開業
  1939.4.20 地方鉄道となる
  1969.10.1 三菱大夕張炭砿に譲渡
  1973.12.10 合併により三菱石炭鉱業となる
  1973.12.16 南大夕張〜大夕張炭山間廃止
  1987.7.22  全線廃止  
1941 1949 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985
 輸送人員(千人/日) 0.6 3.5 5.6 5.0 2.6 1.5 0.6 0.5 0.5
 輸送密度(千人/日) 0.4 1.8 2.5 2.1 1.0 0.5 0.5 0.4 0.5
 貨物輸送量(万t/年) 84.9 54.0 57.8 89.5 100.4 150.1 93.4 94.5 62.7
営業係数 62 89 95 81 95 117 122 94 95
廃線跡
 大夕張線(清水沢-大夕張炭山17.2km)
 2004年は、夕張山に登りに行った途中である。下調べはしていなかったが、どこかに跡はないかと気にしていたら、南大夕張駅跡に残る堂々とした列車が目に飛び込んできた。駅の少し遠幌寄りには橋脚もそのまま残っていて、登山のついでにしては大きな戦果だった。
2004.7 南大夕張駅跡A 2004.7 遠幌-南大夕張間@
 何かの記事で、大夕張や千年町といったかつての炭鉱の街が無人の原野に還っているというのを読んで、ダムに沈む前に行ってみたいと思い、2009年に再訪した。しかしすでに遅すぎたようで、あたり一帯がダムの大工事現場となっていて、昔を偲ぶどころの雰囲気ではない。おまけに土砂降りにみまわれて、車から外に出ることもできなかった。 
2009.10 千年町駅付近C 2009.10 南大夕張-シューパロ湖間B
 
 主夕張森林鉄道
 三菱石炭鉱業の終点、大夕張炭山からさらに山奥へ向かった森林鉄道で、1961年頃に廃止されている。写真の橋は、旧陸軍が大陸で多く用いたものと同型らしい。あまり近づくことはできなかった。 
2009.10 軍用トラス橋D
 下夕張森林鉄道
 こちらは、三菱石炭鉱業の南大夕張から分かれ、1964年頃に廃止となった森林鉄道だが、1959年のシューパロダム建設によって新たに橋が架けられている。中でもダムを横断する三弦橋は、三角形が並ぶ不思議な構造である。間もなくさらに巨大なダムが完成するため、水没する前に見に行った。林道が橋のたもとまで伸びているようだが、立入禁止で近づくことはできなかった。 
2009.10 三弦橋E 2009.10 第6号橋梁E
車両
 最後までDCは導入せず、1973年までは機関車もSLのみだった。活躍したSLは9200、9600、C11の3形式7両で、このうち2両は保存されているが、いずれも公開されていない。1973年に初めて導入したDL55形は、国鉄DD13形と同タイプである。
種類  形式 両数  特徴  登場 消滅 備考
SL 9201、9237 2 1Dテンダ 1929 1963 もと美唄
9600 3-4 2 1Dテンダ 1937、41 1974
9600 2,5 2 1Dテンダ 1950、69 1974 もと国鉄、美唄
C11 1101 1 1C2タンク 1945 1972
DL DL55 1-3 3 B-B凸形 1973 1987
PC ハ1-4 4 2軸車 1929-46 もと美唄等
ナハ(ナハフ)1 1 ボギー車 1937 1987
ナハ2 1 ボギー車 1948 もと国鉄?
ナハ3-5 3 ボギー車 1957-60 1982 もと国鉄
ホハ1-2 2 ボギー車 1951 もと国鉄
オハ1-2 2 ボギー車 1952-54 1987 もと国鉄
スハニ6 1 ボギー車 1967 1987 もと美唄
 ナハフ1、オハ1、スハニ6
 廃線時の客車3両は、除雪車および貨車とともに、南大夕張駅跡で保存されている。ナハフ1は大夕張鉄道が導入した半鋼製車。オハ1とスハニ6は、木造車を戦後に鋼体化している。
2004.7 南大夕張駅跡 2009.10 南大夕張駅跡
左からスハニ6、オハ1、ナハフ1

三菱石炭鉱業