アレキサンダー大王の死後の後継者争いの中で、マケドニア王リュシマコスはフィレタイロスにペルガモンの統治を任せる。これがペルガモン王国(アッタロス朝)の原形で、リュシマコスの死後はセレウコス朝に従い、紀元前261年にはセレウコス朝を破って独立を果たしている。アッタロス1世の時代に領土を拡大し、その後もローマと友好関係を結ぶことで繁栄が続く。紀元前133年には、アッタロス3世の遺言で領土がローマに委ねられることになり、ローマの属州の1つとしてローマ化されていった。

 BC282〜263 フィレタイロス
 BC263〜241 エウメネス1世
 BC241〜197 アッタロス1世
 BC197〜159 エウメネス2世
 BC159〜138 アッタロス2世
 BC138〜133 アッタロス3世
 
トルコ・エーゲ海地方
 ペルガモン(世界遺産)  
 ペルガモン王国の首都として栄えたペルガモンのアクロポリスは、標高335mの丘の頂上にある。丘の上までの公共交通機関はないので、タクシーで上がった。多くの観光客は丘の上だけ見てタクシーで下りるようだが、丘の下部に歩いて下りられそうだったので片道のみの利用である。
 入口のあたりは上市とよばれ、街の後や神殿が残る。中でもアテナ神殿はよく残っていて、半地下の廊下も通ることができた。ペルガモンはギリシャの影響を受けたヘレニズム王国なので、アテナ神殿がギリシャ風なのはわかるが、ローマ時代のトラヤヌス神殿もローマというよりギリシャの雰囲気で不思議である。
1997.7 トラヤヌス神殿 1997.7 アテナ神殿
 ペルガモンでいちばん印象的だったのは劇場である。ギリシャでもっとも急傾斜といわれるだけあって、上から見下ろすと麓の街に吸い込まれそうな気分になる所で、しかもはるか眼下には現代の街も見えているので雄大な景色である。劇場の上に街があるというのも他にはない面白さである。
 
  1997.7 劇場 1997.7 ディオニソス神殿 
 ほとんどの人は上市しか見ないようで、下部の中市を目指して下り始めるとほとんど人影がなくなった。下りるにつれて台座だけの名も無き遺跡が現れ、探検隊になったようで楽しい。中市も遺跡の規模は大きく、来なければ損という感じである。
 中市からの遺跡の出口はすぐにわかったが、そこから街への戻り方がわからない。少し車道を歩いてみたが、街に近づいているかどうかもわからず、人もいないので聞くこともできない。しばらくさまよっていると1台の車が通ったので、手を挙げて道を聞いたら、親切にも街まで乗せてもらえた。ヨーロッパからの観光客のようだった。
 1997.7 アクロポリス中市 1997.7 アクロポリス中市
 ペルガモンには、もう1つアスクレピオンという医療センターの遺跡がある。街から遠くはないが、アクロポリスの冒険でかなり疲れたので、またタクシーに乗った。
 アスクレピオンは円形の構造で、地下室のようになっていて見たことのない独特の姿である。地下が涼しいのも助かった。
 1997.7 アスクレピオン 1997.7 アスクレピオン
 ☆世界遺産「ペルガモンとその重層的な文化的景観」 2014年登録

ペルガモン王国