ペルシャ帝国は、紀元前のアケメネス朝と紀元後のササーン朝に大きく分かれる。アケメンス朝は紀元前550年にキュロス2世が建国し、ダレイオス1世の時代にはエジプトからインドにまたがる人類初の巨大帝国を築いた。しかし50年にわたるギリシャとのペルシャ戦争では敗北を重ね、最後はアレキサンダー大王に滅ぼされている。

 BC550 キュロス2世、メディアを滅ぼしアケメネス朝建国
 BC525 カンビュセス2世、エジプト併合
 BC521 ダレイオス1世、インドのシンド・パンジャーブを占領しアケメネス朝最盛期
 BC490 マラトンの戦い、ギリシャに敗れる
 BC480 サラミスの海戦、ギリシャに敗れる
 BC333 イッソスの戦い・ガウガメラの戦い、マケドニアのアレキサンダー大王に敗れる
 BC330 最後の皇帝が暗殺されアケメネス朝滅亡

 しばらくはアレキサンダーの後継者であるセレウコス朝の支配下に入るが、中央アジアのパルティアが力をつけて紀元前247年頃独立。紀元前100年頃にはオリエントを統一して、ローマ帝国にとっての最強の敵となった。このパルティアを滅ぼしたのがアルダシール1世で、226年にササーン朝を建国し再度ペルシャ帝国が歴史に登場する。ササーン朝もローマ帝国と再三戦い、アケメネス朝に匹敵する大帝国となるが、新興のイスラム勢力に敗れて651年に滅んだ。ゾロアスター教を信奉した唯一の国家が消え、イスラム教が大帝国への1歩を踏み出した瞬間でもあった。

 226 アルダシール1世、パルティアを滅ぼしササーン朝建国
 260 シャープール1世、ローマを破りヴァレリアヌス帝を捕虜にする
 363 シャープール2世、ローマのユリアヌス帝を戦死させる
 540 ホスロー1世、アンティオキアを占領しササーン朝最盛期
 642 ニハーヴァンドの戦い、イスラム軍に敗れる
 651 ササーン朝滅亡
 
イラン・ファールス州
 ペルセポリス(世界遺産)  
 ダレイオス1世が紀元前520年に建設を始めた、アケメネス朝の宗教的な都。首都と書いてあるものもあるが、行政上の都はエラム王国と同じスースである。紀元前331年、アレキサンダー大王に攻められて陥落し、二度と再建されることはなかった。ここの観光時間は通常1時間程度のようだが、特別にリクエストして2時間ゆっくりした。
 遺跡全体は高い所にあり、その入り口が大階段。遺跡保護のため石段の上に木の階段が作ってあって少し興ざめである。階段の上にあるクセルクス門は、一部破壊されているものの堂々として見ごたえがあった。
2012.4 大階段 2012.4 クセルクセス門
 遺跡の中核はアパダーナとタチャラである。しかし、ロープがあって外から眺めることしかできない。とくにタチャラは保存状態がよく、中を歩いてみたかった。一方、外側からでも十分に楽しめるのはレリーフで、壁という壁が埋め尽くされている。タチャラの南側はとくに美しかった。 
2012.4 アパダーナ(謁見の間) 2012.4 タチャラ(ダレイオス1世の宮殿)
 ペルセポリスで有名なものの1つが、アパダーナ東階段のレリーフである。ここには、ペルシャ支配下の23の民族が、王に贈り物を献上する様子が描かれている。ガイドブックにもどの国がどこに描かれているか詳しく書いてあるので、民族ごとの特徴をじっくり楽しむことができた。
 東階段を離れようとすると、突然イランの学生らしきグループに取り囲まれた。何事かと思ったら、一緒に写真に写って欲しいという。日本から見るとイランのイメージは良くないが、イランの若者にとって日本人は珍しさと憧れがあるようで、この後も何度も写真のモデルにされた。
2012.4 アパダーナ東階段のレリーフ 2012.4 タチャラのレリーフ
 自由時間になって、山の中腹にあるアルタクセルクセス2世王墓に向かった。ここは遺跡の全景が眺められるところで、下からではわかりにくい位置関係や広さが感じられる。ただ、何といっても残念なのが東階段のレリーフを保護するために設置された大きな屋根で、やむを得ないとはいえ雰囲気が台無しである。
2012.4 ペルセポリス全景
手前が百柱の間、正面奥がアパダーナ、左奥にタチャラ、右奥が大階段
2012.4 アルタクセルクセス2世王墓 2012.4 百柱の間
 ☆世界遺産「ペルセポリス」 1979年登録
 ナグシェ・ロスタム  
 ペルセポリスの北東6kmにある、アケメネス朝の王墓群。ペルセポリスをゆっくり見て、その後昼食をとったので、到着したのは15時10分である。
 ここは巨大な王墓が4つ並んでいて、入り口からすべて見渡せる。墓の入り口ははるか頭の上にあり、垂直の崖なので近づくこともできない。不思議なのは墓の下にある数多くのレリーフで、墓と一緒に作られたように見えるが、実は800年も後のササーン朝時代のものである。昔の偉人に捧げる絵のような感覚だったのだろうか。時間が遅くなってきたので、ここの観光は30分ほどで終えた。
2012.4 右からダレイオス1世、アルタクセルクセス1世、アレイオス2世の王墓 2012.4 シャープール1世のレリーフ
 パサルガダエ(世界遺産)  
 パサルガダエは、アケメネス朝の創始者キュロス2世が紀元前546年頃に建設した、最初の首都である。ナグシェ・ロスタムからイスファハンに向かう途中にあり、50分ほどで到着した。
 車を降りる前から、もう目の前にキュロス2世の墓が見えている。大きな石段を積んだ上にあって、ピラミッドのようである。現地ガイドは、屋根の部分から墓が見つかったと言っていたが、本当かどうか調べてもわからなかった。パサルガダエには他にも宮殿跡や神殿跡などが点在しているが、この日はイスファハンまで4時間半の大移動が残っているので、墓を見ただけで16時50分に出発した。 
2012.4 キュロス2世の墓
 ☆世界遺産「パサルガダエ」 2004年登録
イラン・フーゼスターン州
 スーサ(世界遺産)  
 スーサは、エラム王国時代からアケメネス朝まで、2000年以上にわたって首都として栄えた街である。エラム時代の街の上にアケメネス時代の街が重なっているので、今見えているのはほとんどがアケメネスのものである。
 ホテルのあるアフワズから120kmも離れているが、道がいいので1時間半ほどで走って9時45分到着。丘の上に登ると、広々とした遺跡が広がっていた。ほとんど基礎だけなので平面的で地味だが、アパダーナには巨大な円柱や馬の彫像が残っていた。これが遺跡全体のごく一部にすぎないというから驚きである。
2012.5 アケメネス時代の遺跡 2012.5 アパダーナ(謁見の間)
 イランの観光地は、英語案内がない所も多い。遺跡の真ん中にアラビア語の看板があったので、ガイドに聞いてみると、何とエラム時代の遺跡と書いてある。言われてみるとアケメネス時代のものとは雰囲気が違っていた。
2012.5 エラム時代の遺跡
 観光は見えている範囲で終わりかと思ったが、もっと奥に進んでもいいというので行ってみると、規模は小さいが英語案内のある遺跡があった。これは門の跡で、王の像も出土したらしい。さらに奥にも建物跡らしきものが見えるのでどんどん進んで行くと、はるか向こうにも規模の大きい遺跡が見えた。ダムの底のような地形だが、もともとなのか発掘したからなのかはよくわからない。
2012.5 ダレイオス1世の門 2012.5 王の村?
 遺跡の脇には、中世の城のような建物がある。フランスの考古学調査隊が発掘品を保管するために建てられたものだが、それにしても大げさである。中には入れないがまわりを一周して、高い所から遺跡全体を眺めることができた。城の裏側は案内地図ではアクロポリスと書いてあるが、見渡す限り何もない荒野で、発掘される時が楽しみである。この後に博物館も見たので、たっぷり2時間20分もスース遺跡に滞在した。 
2012.5 フランス調査隊の城 2012.5 アクロポリス
 ☆世界遺産「スーサ」 2015年登録
 シューシュタル(世界遺産)  
 シューシュタルは、ササーン朝時代に建設された水利施設が今も残るとして、2009年に新たに世界遺産となっている。しかし、まだガイドブックにも載っておらず、どんなものが見られるか行ってみないとわからない所であった。チョガー・ザンビルから30分強かかって14時20分到着。まず昼食となる。レストランからローマの水道橋のような崩れた橋が見えたが、いつの時代のものか説明はなかった。 
2012.5 古い橋
 昼食後に訪れたのは、アヒルや水鳥が群れている池だった。水辺の公園にしか見えないが、これが歴史的な水利施設で、高い所から水を落とす勢いで水車を回したようである。仕組みは単純で、そのためにダムの堰堤のようなものを造らなければならなかったのかと思ってしまう。施設そのものより、両岸から流れ落ちる人工の滝の風景が印象に残った。
 この後は空港に直行して飛行機に乗る予定だったが、途中でなんと運転手が警察に捕まってしまい、なかなか出てこない。45分たってようやく解放されたかと思ったら、追い越し禁止の道で追い越しをしたらしく、そのまま3日間運転禁止だという。我々はどうなるのかと心配したが、タクシーで空港に移動して事なきをえた。 
2012.5 水利施設全景 2012.5 水利施設
 ☆世界遺産「シューシュタルの歴史的水利施設」 2009年登録

ペルシャ帝国