スペインは、1532年にインカ帝国を滅亡させて南米を植民地化した。そしてポルトガルが植民地化したブラジルなどの一部を除いて、南米のほぼ全域がペルー副王領となっている。19世紀の独立運動の高まりによって多くの国が独立したが、今なお植民地時代の文化が色濃く残っている。

ペルー
 クスコ市街(世界遺産)
 標高3400mにあるクスコは、アンデス地域の拠点であり、インカ帝国時代には都として栄えた。しかし1532年にピサロ率いるスペイン人がインカ帝国の皇帝アタワルパを捕えると、翌33年にはクスコを占領する。そしてインカ時代の建物は徹底的に破壊され、スペイン風の新たな街が建設されている。現在では、マチュピチュへの玄関口としても有名である。
 まずはアルマス広場。広場を囲むように、1550年に建設が始まったカテドラルや、1650年再建のラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会など植民地時代初期の建物が並んでいる。
2000.5 カテドラル 2000.5 ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会
 サント・ドミンゴ教会は、インカ帝国の太陽神殿コリカンチャを破壊した上に建てられた。クスコ大地震の際に、教会は全壊したが、インカ時代の土台はまったく無傷だったという。今も、教会の裏手にインカ時代の石組を見ることができる。
2000.5 サント・ドミンゴ教会
(コリカンチャ)
2000.5 サント・ドミンゴ教会裏手の石組
 高台にあるインカ帝国の砦サクサイワマンに登ると、クスコの街が一望できる。赤い屋根が連なる町並みはヨーロッパの中世都市と間違えてしまうようである。
2000.5 サクサイワマンより
 世界遺産「クスコ市街」 1983年登録
 リマ市街(世界遺産)  
 リマは、スペインが南米を統治する拠点として、1535年に選定した新しい街。あまり治安がよくないということで自由な散歩はできず、アルマス広場周辺のみの観光だった。カテドラルはペルーで最も古い教会で、中にはピサロの棺といわれるものがあった。
 
 2000.5 カテドラル 2000.5 ピサロの棺
2000.5 大統領官邸
 世界遺産「リマ歴史地区」 1988、91年登録
エクアドル
 キト市街(世界遺産)  
 インカ時代の北の都で、クスコと同様スペイン人により破壊され、現在はスペイン時代の街並みが残る。標高3800mのクスコほどではないが、標高2800mの高地にある。
 サンフランシスコ教会は、1535年に建設が始まった南米最古の教会と言われる。1605年に建設が始まったラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会は、黄金の教会として有名だが、内部の撮影はできなかった。
2004.5 サンフランシスコ教会 2004.5 ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会
 旧市街のすぐそばにパネシージョの丘があり、街を見下ろすことができる。キトはアンデスの高山に囲まれた街だが、雲が多く山は見えなかった。
2004.5 パネシージョの丘より
 世界遺産「キト市街」  1978年登録
 グアヤキル  
 太平洋に近いグアヤス川沿いの港町で、今ではキトを抜いてエクアドル最大の都市となっている。歴史的な建物はほとんど無いが、カラフルなサンタ・アナの丘が印象に残る。
2004.5 サンタ・アナの丘
ボリビア
 スクレ(世界遺産)  
 スクレは、スペイン入植者によって建設された街で、当初はラプラタと呼ばれた。銀山のあるポトシは標高が高く住みにくいため、過ごしやすいこの街に行政機関などが集まる。そして1825年にはここで独立宣言が行われ、初代大統領の名前スクレが街の名前になった。現在でもボリビアの憲法上の首都はスクレである。ちなみに国名ボリビアも、独立の英雄シモン・ボリバールの名に由来している。(彼はボリビア人ではなく、むしろボリビアをペルーと統合しようとしたのだが・・・)
 ボリビア入国後、高度順応のため標高4000m近いラパスは乗継だけにして、まず標高2750mのスクレに入った。まだ明るかったので、とりあえず街の中心部の散歩。独立宣言が行われた自由の家はもう閉まっていたが、カテドラルの中に入ることができた。どの建物も白いのは、条例で義務づけられているからである。サン・フランシスコ教会ではちょうど結婚式の人たちが出てきて、白い街に似合う光景だった。
2016.5 カテドラル 2016.5 自由の家
2016.5 サン・フランシスコ教会
 世界遺産「古都スクレ」  1991年登録
 ポトシ(世界遺産)  
 ポトシの銀山が発見されたのは、スペインが南米に進出して間もない1545年である。それから17世紀前半にかけて、ポトシだけで全世界の銀の半分を産出し、標高4000mを超える過酷な地が南米有数の大都市になったのである。スペインの繁栄はポトシの銀がもたらしたと言っても過言ではない。鉱山の衰退とともに街も衰えるが、近年はまた人口が増えてきているようである。
 スクレから3時間弱で到着。まずは富の山セロ・リコが見えてくる。ここから街全体を見下ろすことができるが、どこが街の中心なのかよくわからなかった。
2016.5 セロ・リコ(富の山)
 かつてのポトシの繁栄を伝えるのは、旧国立造幣局である。産出した銀を、その場で貨幣にしてしまうというのは何とも合理的だが、訪れたのがメーデーの祝日だったため中に入れなかった。街の中には数多くの教会が残っていて、ちょうどミサが行われていたサンフランシスコ教会とサント・ドミンゴ教会では中に入ることができた。
2016.5 旧国立造幣局 2016.5 サンフランシスコ教会
2016.5 ラ・コンパニーア・デ・ヘススの塔 2016.5 サンタ・テレサ修道院
 世界遺産「ポトシ市街」  1987年登録
 ラパス  
 ラパスは、ポトシやスクレとペルーのクスコを結ぶ中継地としてスペイン人が建設した街だが、立地がよかったのか急速に大都市へと発展し、ボリビアの実質的な首都となった。中心部の標高3650m、周囲の高台は標高4000mという、世界最高所の大都市である。
 ウユニからラパスへの飛行機が2時間半も遅れたため、ティワナクを見学してラパスに戻るともう17時半。まずはロープウェイからすり鉢のような街の全景を眺める。ロープウェイは2014年に登場したばかりで、通勤など日常交通のためのものだが観光にもちょうどいい。すり鉢の底で下車した後は、また車で反対側の斜面を登ったが、キリキリ展望台に着いた時には日が沈んでいた。
2016.5 ロープウェイより 2016.5 キリキリ展望台より
アルゼンチン
 ブエノスアイレス  
 南米におけるスペイン植民地の中心はペルーのリマであったが、1776年にブラジルを領有するポルトガルから防衛するため、リオ・デ・ラプラタ副王領が分離された。この中心都市がブエノスアイレスで、1816年にスペインからの独立を宣言したリオ・デ・ラプラタ連合州もブエノスアイレスを首都としている。中世ヨーロッパ風の立派な街並みが残り、南米のパリとも言われる街である。
2006.12 2006.12
チリ
 プンタアレーナス  
 マゼラン海峡に面する港町。海の向こうにはフエゴ島が見えている。パイネ観光後、飛行機に乗るために訪れた街である。
2006.12
 

スペイン・ペルー副王領