| ナバテア人は、アラビア半島北部を中心とした遊牧民族であったが、南アラビアから地中海世界へと運ばれる乳香などの交易で勢力を拡大する。そしてペトラに定住するようになり、紀元前168年にナバテア王国が成立した。紀元前70年頃のアレタス3世の時代にはダマスカスやシナイ半島にまで勢力を広げるが、ローマ帝国と対立。紀元前60年頃にはローマと和睦して影響下に入るが、独立は保った。しかし、紅海やシリア砂漠の交易ルートが徐々に主流となり、ルートから外れたナバテア王国は衰退していく。そして106年トラヤヌス帝の時代にローマに併合され、ナバテア王国は滅亡した。 BC4世紀頃 ナバテア人がアラビア半島北部で勢力を強める BC168年 ナバテア王国成立 BC60年頃 ローマ帝国の影響下に入る 106年 ローマ帝国に併合、ナバテア王国滅亡 |
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| ヨルダン | |
| ペトラ遺跡(世界遺産) | |
| ペトラは、古くからエドム人などが居住していたようだが、紀元前4世紀頃からナバテア人が定住し、ナバテア王国の都となった。ナバテア王国滅亡後も、ナバテア人はここを拠点として活動していたが、363年の大地震で廃墟となる。そして、高い岩山に囲まれた独特の地形のために、近年まで忘れ去られていた。遺跡への入り口はシクと呼ばれる狭い通路のみで、したがって観光はすべて歩きである。 8:30に出発。最初は、なぜか馬に乗る。まだシクの手前で、僅か5分ほどなので記念写真を撮るための観光用である。馬を降りるといよいよシクで、狭い通路が延々と続く。かつての水路や石畳などが残っていて興味深い。 |
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| 1998.8 シク入口 | 1998.8 シク |
| シクを30分程進むと、ついに目の前にエル・カズネが現れる。ちょうど朝日で輝いていて、知っていても感動するような登場の仕方である。劇的な舞台を体感しているような感じで、頭の中にはインディ・ジョーンズのテーマがまわりはじめた。対照的にエル・カズネの内部は驚くほど殺風景で、魅せるためだけの建物だったのかと思ってしまう。 | |
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| 1998.8 エル・カズネ内部 | |
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| 1998.8 エル・カズネ | 1998.8 アウターシク |
| エル・カズネを過ぎると、アウター・シクと呼ばれる盆地のような所を歩く。ここには円形劇場や列柱道路などのローマ風の建物と、他のローマ遺跡では見たことのないナバテヤ人の墳墓群が混在している。墳墓は宮殿のように立派なものや不思議な文様の岩に刻まれているものなど、さまざまで見応えがあった。岩の頂上にも犠牲祭壇とよばれる遺跡があるのだが、1時間以上かかるということなのであきらめた。 | |
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| 1998.8 アウターシクの墳墓 | 1998.8 円形劇場 |
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| 1998.8 宮殿墳墓 | 1998.8 シルク墳墓 |
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| 1998.8 列柱道路 | 1998.8 カスル・エ・ビント |
| 列柱道路の先にあるレストランに到着したのは12時45分。もう歩き始めて4時間以上たっている。しかしこの先の山の上には、エド・ディルという神殿がある。希望者だけということだったが、ほとんど全員登り始めた。道はほとんど上り階段で、歩くこと40分。神殿はエル・カズネに負けないほど立派で、まわりの景色もいいので最高の気分だった。 | |
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| 1998.8 エド・ディル | |
| エド・ディルでゆっくりして、気づいたら15時過ぎ。朝出発した入口までは歩くしかないので、あわてて戻り始めた。帰り道のエル・カズネは、日が当たらない代わりに怪しげに赤く色づいていて、神秘的である。入口まで戻ったのは17時少し前。大満足だったまる一日の観光が終了した。 | |
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| ☆世界遺産「ペトラ」 1985年登録 | |
| イスラエル | |
| アヴダット遺跡(世界遺産) | |
| ナバテアは、アラビア半島からペトラを経由して地中海へ向かう香の道の交易で栄えた。ネゲヴ砂漠には、その中継地となったアヴダット、マムシト、シヴタなどの都市があり、ナバテアがローマ帝国に併合された後も7世紀頃まで繁栄していた。 実は、ツアーの予定表では「エン・アヴダット国立公園」を見学となっていた。遺跡があるのはただの「アヴダット国立公園」で、「エン・アヴダット」は緑の渓谷である。それなのに到着したのは遺跡だったので、遺跡好きとしては大喜びだった。遺跡は丘の上にあって、ビザンチン時代のものが多いが、ナバテアの神殿も残されている。アーチが多用されていて印象的である。 |
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| 2014.5 遺跡全景 | 2014.5 |
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| 2014.5 ナバテアの神殿 | 2014.5 |
| ☆世界遺産「ネゲヴ砂漠の香の道と都市群」 2005年登録 | |
| サウジアラビア | |
| マダイン・サーレハ(世界遺産) | |
| サウジアラビア北部、アルウラの近郊にあり、ナバテア人の遺跡としてはペトラに次ぐ規模がある。南アラビアの乳香を地中海世界へと運ぶ中継地として大いに栄えた。岩山に刻まれた数多くの墓が残されている。なお、マダイン・サーレハとは「預言者サーレハの町」という意味なのでイスラム以降の呼び名。古くはヘグラと呼ばれていたと思われるが、アルヒジュル(岩だらけの場所)という呼び方もあって、関係がよくわからない。 |
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| 2025.12 カスル・アル・ファリード | |
| マダイン・サーレハは、自由に見てまわることはできず、現地の混乗ガイドツアーに参加することになる。参加したガイドツアーは15時出発で、約2時間かけて4ヶ所を巡った。 最初は、ジャバル・イスリブ。ここは岩が大きく掘り込まれており、重要な会議や儀式が行われたと考えられてる。その前は岩の間の狭い通路(シク)になっていて、ペトラのシクが思い出された。シクの途中には、ナバテア人の神ドゥシャラ(鷲)が彫られた祭壇もあった。 |
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| 2025.12 ジャバル・イスリブ | 2025.12 シクの途中にある祭壇 |
| 2ヶ所目ジャバル・アルバナート。少女の山という意味で、岩山に多くの女性の墓が刻まれている。1ヶ所だけ中に入れる墓があったが、内部は狭く、遺体や副葬品を置いたと思われる横穴がいくつかあるだけだった。 |
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| 2025.12 岩山の東にある大規模な墓 | 2025.12 岩山の西にも多くの墓がある |
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| 2025.12 殺風景な墓の内部 | |
| 次に訪れたのが、マダイン・サーレハで最も有名な、カスル・アル・ファリード。ここは、1つの岩山が1つの墓になっている。正面に陽があたるのは夕方だけなので、遅めの出発でラッキーだった。 |
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| 2025.12 カスル・アル・ファリード | |
| 最後に訪れたのは、ジャバル・アルアフマル。ピーナッツのような岩の四方に、18の墓が刻まれている。ちょうど夕陽に染まる時間帯で、美しかった。 |
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| 2025.12 ジャバル・アルアフマルの墳墓群 | |
| ☆世界遺産「アルヒジュルの考古遺跡」 2008年登録 | |
ナバテア王国