現在のヨルダンには、紀元前3世紀にナバテヤ人の王国が建国され、交易で大いに栄えた。ペトラは王国の首都で、ローマ時代に入ってもしばらくは独立を守ったが、ローマに占領された後は交易ルートからはずれて衰退し、363年の大地震で廃墟となっている。そして、200年程前まで砂に埋もれていたため、当時の風景がほとんどそのまま残っている。 BC6世紀頃 ナバテヤ人がアラビア半島から移住し、ペトラに都市を築く BC3世紀頃 ペトラにナバテヤ人の王国建国 BC300年頃 セレウコス朝の支配下で一定の自治を認められる BC60年頃 ローマと友好関係を結ぶ 106年 ローマがペトラ占領、ナバテヤ人の王国滅亡 |
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ヨルダン | |
ペトラ遺跡(世界遺産) | |
ペトラは高い岩山に囲まれた天然の要塞で、独特の地形のために近年まで忘れ去られていた。遺跡への入り口はシクと呼ばれる狭い通路のみで、したがって観光はすべて歩きである。 8:30に出発。最初は、なぜか馬に乗る。まだシクの手前で、僅か5分ほどなので記念写真を撮るための観光用である。馬を降りるといよいよシクで、狭い通路が延々と続く。かつての水路や石畳などが残っていて興味深い。 |
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1998.8 シク入口 | 1998.8 シク |
シクを30分程進むと、ついに目の前にエル・カズネが現れる。ちょうど朝日で輝いていて、知っていても感動するような登場の仕方である。劇的な舞台を体感しているような感じで、頭の中にはインディ・ジョーンズのテーマがまわりはじめた。対照的にエル・カズネの内部は驚くほど殺風景で、魅せるためだけの建物だったのかと思ってしまう。 | |
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1998.8 エル・カズネ内部 | |
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1998.8 エル・カズネ | 1998.8 アウターシク |
エル・カズネを過ぎると、アウター・シクと呼ばれる盆地のような所を歩く。ここには円形劇場や列柱道路などのローマ風の建物と、他のローマ遺跡では見たことのないナバテヤ人の墳墓群が混在している。墳墓は宮殿のように立派なものや不思議な文様の岩に刻まれているものなど、さまざまで見応えがあった。岩の頂上にも犠牲祭壇とよばれる遺跡があるのだが、1時間以上かかるということなのであきらめた。 | |
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1998.8 アウターシクの墳墓 | 1998.8 円形劇場 |
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1998.8 宮殿墳墓 | 1998.8 シルク墳墓 |
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1998.8 列柱道路 | 1998.8 カスル・エ・ビント |
列柱道路の先にあるレストランに到着したのは12時45分。もう歩き始めて4時間以上たっている。しかしこの先の山の上には、エド・ディルという神殿がある。希望者だけということだったが、ほとんど全員登り始めた。道はほとんど上り階段で、歩くこと40分。神殿はエル・カズネに負けないほど立派で、まわりの景色もいいので最高の気分だった。 | |
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1998.8 エド・ディル | |
エド・ディルでゆっくりして、気づいたら15時過ぎ。朝出発した入口までは歩くしかないので、あわてて戻り始めた。帰り道のエル・カズネは、日が当たらない代わりに怪しげに赤く色づいていて、神秘的である。入口まで戻ったのは17時少し前。大満足だったまる一日の観光が終了した。 | |
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☆世界遺産「ペトラ」 1985年登録 | |
イスラエル | |
アヴダット遺跡(世界遺産) | |
ナバテアは、アラビア半島からペトラを経由して地中海へ向かう香の道の交易で栄えた。ネゲヴ砂漠には、その中継地となったアヴダット、マムシト、シヴタなどの都市があり、ナバテアがローマ帝国に併合された後も7世紀頃まで繁栄していた。 実は、ツアーの予定表では「エン・アヴダット国立公園」を見学となっていた。遺跡があるのはただの「アヴダット国立公園」で、「エン・アヴダット」は緑の渓谷である。それなのに到着したのは遺跡だったので、遺跡好きとしては大喜びだった。遺跡は丘の上にあって、ビザンチン時代のものが多いが、ナバテアの神殿も残されている。アーチが多用されていて印象的である。 |
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2014.5 遺跡全景 | 2014.5 |
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2014.5 ナバテアの神殿 | 2014.5 |
☆世界遺産「ネゲヴ砂漠の香の道と都市群」 2005年登録 |
ナバテヤ王国