現在のリヤドの近郊、ディルイーヤを本拠としていたサウード家のムハンマド・イブン・サウードは、ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブと盟約を結び、第1次サウード王国を建国した。アブドゥルワッハーブは、イスラム原理主義を掲げるワッハーブ派の宣教師で、現在のサウジアラビアにもワッハーブ派の思想が色濃く残っている。王国は、しばらくはディルイーヤ周辺に限られていたが、1788年までにはナジュドをほぼ平定、1793年にはハサー地方も占領する。そして1803年にはヒジャーズ地方に進出してメッカを占領するが、オスマン帝国の命を受けたエジプトに攻め込まれて、1818年に滅亡した。
 1821年にギリシャ独立戦争が始まると、オスマン帝国の支配が弱まり、1824年には早くも第2次サウード王国として復興する。しかしハイルを拠点とするラシード家が、オスマン帝国の支援を受けて徐々に勢力を拡大し、1891年にリヤドを征服してサウード家は亡命、第2次サウード王国も滅亡している。
 11年後の1902年、イブン・サウードがリヤドを奪還し、第3次サウード朝を建国する。当初はリヤド首長国とも呼ばれたが、支配地域の拡大とともにナジュド及びハッサ王国、ナジュド・スルタン国と名を変え、1926年にヒジャーズ王国を征服して現在のサウジアラビアとほぼ同じ領域になった。征服直後はナジュド及びヒジャーズ王国という連合王国だったが、6年後にサウジアラビア(サウード家のアラビア)と改称している。

 1744年 ディルイーヤにて第1次サウード王国建国
 1803年 サウード王国がメッカ占領
 1813年 エジプトのムハンマド・アリーにメッカを奪われる
 1818年 エジプトにより第1次サウード王国滅亡
 1824年 リヤドにて第2次サウード王国建国
 1891年 ラシード家に敗れて第2次サウード王国滅亡
 1902年 サウード家がリヤドを奪還し、第3次サウード朝建国
 1921年 ラシード家のジャバル・シャンマル王国を滅ぼす
 1926年 ヒジャーズ王国を征服し、ナジュド及びヒジャーズ王国となる
 1932年 サウジアラビアと改称

サウジアラビア
 ディルイーヤ(世界遺産) 
 現在のリヤドの北30kmのところにある、第1次サウード王国の首都。第1次サウード王国滅亡後は、長く廃墟になっていた。その中心であるツライフ地区は、宮殿跡などが今も残り、2010年に世界遺産に登録されている。その後修復が進められ、あまり古さを感じられなくなっていた。
2025.12 サルワ宮殿
   
2025.12 ツライフ・モスク跡? 2025.12 イマーム・アブドゥッラー・ビン・サウードの宮殿
  ☆世界遺産「ディルイーヤのツライフ地区」 2010年登録
 リヤド 
 第2次サウード王国の首都であり、ナジュド地方の中心。サウード家は、一時期ラシード家に追われて亡命するが、1902年にイブン・サウードが少人数でマスマク城を急襲、リヤドを奪還して今日まで続く第3次王朝を建国した。マスマク城は今もリヤドの中心にあり、門にはイブン・サウードが攻めた際の槍の先端が今も刺さっている。
2025.12 マスマク城 2025.12 マスマク城内部
 ハイル 
 リヤドの北西640kmにあり、サウード家のライバルであるラシード家の本拠地だったところ。街の中心に、ラシード家の要塞カラート・アイリフ城が残るが、おそらく再建されたものである。
2025.12 カラート・アイリフ城

サウード王国