古代ローマは、紀元前753年ロムルスが建国したといわれ、カルタゴのハンニバルとの戦いやカエサルのガリア攻略などを経て、紀元前1世紀には地中海全域を支配するローマ帝国となった。古代ローマの中心は現在のフォロ・ロマーノであり、1世紀から2世紀にかけての帝国の全盛期には多くの建物が競うように建てられた。4世紀のコンスタンチノープル遷都後は衰退し遺跡となったが、今も驚くほど当時の痕跡が残っている。

ローマ(世界遺産)
 フォロ・ロマーノ  
 ローマ建国以来の中心で、カエサルが暗殺された元老院をはじめ共和国時代から公の建物が集まっていた。今も多くの神殿や凱旋門などの遺跡が残り、ここを歩くと皇帝たちの存在が身近に感じられる。芭蕉の「夏草や〜」ではないが、学生時代の真夏にここを訪れたことで遺跡にハマってしまった。そしてアルジェリアへ行った帰りに14年ぶりに訪れたが、初訪問の時には気にもとめなかったことが数多くあり、とても新鮮であった。
 1992.8 セウェルス帝の凱旋門 1992.8 サトゥルノの神殿
2006.5 カエサルのバジリカ
2006.5 中央やや左が元老院
右端はアントニヌスとファウスティーナの神殿 
2006.5 ティトゥスの凱旋門
 パラティーノの丘  
 フォロ・ロマーノの横にあるパラティーノの丘は、ローマ発祥の地でもあり、帝政期には皇帝の住居があった。ガイドブックではあまり触れられていないので初訪問の時には上に登らなかったが、行ってみると予想以上に広く、遺跡もよく残っていたので驚いた。
2006.5 ドムス・アウグスタ 2006.5 馬場
 フォロ・トライアーノ  
 フォロ・ロマーノのまわりにも、皇帝たちのフォロがいくつもある。その1つ1つが立派で、またよく残っているため、見ているとローマの奥深さを感じた。
2006.5 トラヤヌスの市場 2006.5 アウグストゥスのフォロ
 コロッセオ  
 ローマ時代には数多くの闘技場が建てられたが、中でも最大のもので、ヴィスパシアヌス帝が建設を始めたて80年に完成した。ローマのシンボルともいえるものであるが、実際に目にするとその大きさに圧倒された。
1992.8 1994.2
 マルケルス劇場  
 マルケルス劇場は、カエサルが着工しアウグストゥスが完成させた円形劇場。テヴェレ川の近くにある。今は、なんと集合住宅になっている。
2019.9 マルケルス劇場 2019.9 オクタヴィア回廊の前門
コンスタンティヌスの凱旋門  カエサルのフォロ ディオクレティアヌス浴場
2006.5 2006.5 2006.5
 4世紀のコンスタンティヌス帝の名がついているが、多くの部分はハドリアヌス帝などの時代のものの流用らしい。レリーフがすばらしいが、ゆっくり見る時間が無かったのが残念である。 フォロ・ロマーノのすぐ隣。かつては1つの街としてつながっていたのかと思うと想像がふくらんだ。  テルミニ駅のすぐ正面にあり、現在は一部が教会に変わっているようである。
 サンタンジェロ城
 もとは139年ハドリアヌス帝が墓として建造。ルネサンス時代に大改造が加えられて城塞となった。
1992.8
 カラカラ浴場  
 ローマ遺跡といえば浴場が必ずあるが、ここは1600人を収容するローマ帝国最大のものだった。カラカラ帝時代の217年に完成したもので、浴場というより宮殿のようであった。
1992.8 1992.8 床のモザイク
 アッピア街道  
 「すべての道はローマに通ず」といわれたローマ街道の1つ。最初の訪問時は、街道沿いでいちばん有名なチェチリア・メッテラの墓周辺を訪れたが、下調べ不足で石畳の道を見つけられなかった。
1994.2 チェチリア・メテッラの墓
 2度面の訪問は、水道橋公園から15分ほど歩いてクインティーリ荘へ。アッピア街道沿いにある邸宅跡で、2世紀に貴族のクインティーリ兄弟が建て、その後コンモドゥス帝が住んだところである。理由がわからないが、訪問時は無料開放されていたので、旧アッピア街道側に自由に出ることができ、石畳の雰囲気を楽しめた。
2019.9 クインティーリ荘 2019.9 コンモドゥスのニンフェウム
2019.9 旧アッピア街道 2019.9 旧アッピア街道
 水道橋公園  
 ローマの街には、周辺から11本もの水道が築かれていた。水道橋公園にはそのうち6本の水道が通っていて、北側の水道橋はユリア水道、テプラ水道、マルキア水道が、北側の水道橋は新アニオ水道、クラウディア水道が共用している。
2019.9 北側の水道橋 2018.9 南側の水道橋
 ☆世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」  1980年登録

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