アレキサンダー大王によって大帝国となったマケドニアは、BC168年にローマに敗れて、属州マケドニアとなる。現在の北マケドニアと、ギリシャ北部のマケドニア地方、それにアルバニアの大部分を含むエリアである。ここには、ローマとビザンチウム(現イスタンブール)とを結ぶエグナティア街道が建設され、街道沿いのいくつもの都市が繁栄した。

アルバニア
 デュラス(ドゥラキウム)
 アドリア海をはさんで、アッピア街道の終点ブリンディシの対岸にある街。ローマ時代はドゥラキウムと呼ばれ、エグナティア街道の起点となった。紀元前48年、カエサルがポンペイウスに敗れたドゥラキウムの戦いの舞台でもある。ローマがビザンチン帝国となった後も重要都市であり続け、10世紀以降は第一次ブルガリア帝国やノルマン人との激しい争奪戦が行われている。
 デュラスのいちばんの見所は、ローマの円形闘技場。デュラスは今もアルバニア第二の大都市であるため、遺跡の一部は壊されて家が建っていたりするが、それでも巨大な闘技場の雰囲気がよくわかる。闘技場の通路の一部は、後に教会に改造されており、突然モザイク画があらわれて驚いた。また、近くにはビザンチンマーケットの遺跡も残されている。
 
2023.8 円形闘技場 2023.8 円形闘技場内の教会
2023.8 ビザンチンマーケット
 デュラスの旧市街を囲む城壁は、ビザンチン時代の5世紀頃に築かれたもの。その後もブルガリアやヴェネツィアなどによって強化された。海の近くに見張り台も残るが、これはヴェネツィア時代のものである。
2023.8 城壁 2023.8 見張り台(ヴェネツィアン・タワー)
 アポロニア
 ドゥラキウムの南にあり、ドゥラキウムとともにエグナティア街道の起点となった街。学問の街として知られ、初代皇帝アウグストゥスもここで学んだことがある。ローマ世界にアポロニアという街はいくつもあるが、ここが最も規模が大きかったと言われる。しかし、3世紀の地震によって川の流路が変わり、港に泥が堆積して湿地となってしまったため、街は衰退した。
 遺跡は広大であるが、発掘されているのは10%ほどで、見学できるのはプリタニオン(評議場)やオデオンがある一角のみ。プリタニオンは美しかったが、遺跡の規模としては物足りないものだった。
2023.8 プリタニオン 2023.8 図書館
2023.8 オデオン(奥はプリタニオン) 2023.8 イオニア人の神殿
2023.8 柱廊
 アポロニア遺跡の入り口付近に、聖マリア教会と聖マリア修道院がある。建てられたのは11-14世紀と、アポロニアが衰退した後のものであるが、思ったより立派で見応えがあった。
2023.8 聖マリア教会 2023.8 教会内のイコン
 ブトリント(世界遺産)
 現在のアルバニアの南端、ギリシャとの国境近くにある都市遺跡。海とつながっているブトリント湖に突き出た半島全体が都市となっている。ローマ以前のヘレニズム期には都市が形成されていた。ローマ時代には、湖の対岸から水道橋が築かれ、アドリア海の交易の拠点として栄える。しかし7世紀以降は第一次ブルガリア帝国、ノルマン人、ヴェネツィア共和国、オスマン帝国など支配者が変わる中で衰退し、街は放棄された。人が住まなくなったことで、ブトリント湖周辺の自然が守られ、ラムサール条約登録地にもなっている。
 遺跡の入り口は半島の南側で、湖の対岸にはヴェネツィアの砦が見えている。自然保護のためか、湖を渡る橋もトンネルも建設されておらず、渡し船が唯一の交通手段になっていた。
2023.8 ヴェネツィアの砦
 遺跡は、湖の近くと、少し内陸のエリア、そして丘の上のエリアの3つに分かれる。最初は内陸のエリア。ここは、ヘレニズム期に医学の神アスクレピウスの聖域だったところで、ローマ時代に浴場などが建設されて生活の場となった。水があるのは池というわけではなく、浸水しやすい場所だったようである。
2023.8 アスクレピウスの聖域 2023.8 劇場
2023.8 浴場 2023.8 ギムナジウム
 東側の湖畔へ行く途中にあるのが、洗礼堂。ここは、床一面が精密で美しいモザイクによって彩られているのだが、残念ながら保護のため砂がかけられていて見ることができない。
2023.8 洗礼堂
 東側の湖畔にあるのが、大聖堂。6世紀に建てられたもので、屋根はないが、壁やファサードがよく残る。床にはモザイクも少しだけ残っている。
2023.8 大聖堂 2023.8 床に残るモザイク
 大聖堂から、城壁に沿って遺跡の北側へ。そこに、都市の入り口の1つ、ライオンゲートがある。写真では見にくいが、門の上にライオンが彫られている。
2023.8 ライオンゲート 2023.8 城壁
 遺跡のある半島の中心、丘の上には、ヴェネツィア時代の城があり、博物館になっている。ここからは、川のように見えるブトリント湖の奥に、海が見えていた。その奥の島はギリシャのコルフ島である。
2023.8 ヴェネツィア時代の城 2023.8 西側(海側)の景色
 最後に訪れたのは、湖畔の近くにあるトリコンチ宮殿。建っているものはあまり無いが、雰囲気のいい所だった。
2023.8 トリコンチ宮殿
 ☆世界遺産「ブトリント」 1992年登録
北マケドニア
 オフリド(リュクニドス)
 オフリド湖畔にあるエグナティア街道の街で、ローマ時代はリュクニドスと呼ばれた。早くからキリスト教が受け入れられている。867年に第一次ブルガリア帝国に征服され、その首都として発展した。ローマ時代のものは少ないが、初期キリスト教の遺構プラオシュニクや劇場などが残されている。
2023.8 プラオシュニクの洗礼堂 2023.8 プラオシュニクの遺跡
2023.8 劇場
 ヘラクレア
 古代マケドニア王国のフィリッポスU世が建設した街で、当時はヘラクレア・リンケスティスと呼ばれた。ローマの時代となった後も、エグナティア街道の要衝として繁栄している。現在は街の名がビトラに変わり、街の中心が少し北に移動しているが、北マケドニアの重要都市の1つであることは変わっていない。
 遺跡としての規模は小さく、入口からほぼ全体が見える。入口付近にあるのは、浴場、裁判所、小バジリカなど。小バジリカの床は、モザイクではないが美しい。
2023.8 浴場 2023.8 小バジリカ
 小バジリカの先にあるのが、大バジリカ。ここのモザイクがヘラクレア遺跡のハイライトで、ライオンや鹿などの動物、大きな木などが色鮮やかに描かれている。手前に壁があって、見るポイントが限られるのが残念だった。
2023.8 大バジリカのモザイク
2023.8 大バジリカのモザイク 2023.8 大バジリカのモザイク
 遺跡の奥にある居住区にも、美しいモザイクが残されている。太陽のコントラストが強く、写真はイマイチだが、かなり見応えのあるものだった。
2023.8 居住区のモザイク 2023.8 居住区のモザイク
 高台にあるのは、ローマ劇場。貴賓席もあって、昔の様子がよく残っていた。
2023.8 劇場 2023.8 劇場の地下入口と貴賓席
2019.5 高台から見た大バジリカ
 ストピ
 ここはエグナティア街道からは少し離れているが、古代マケドニア王国の時代から交通の要衝として栄えた街。ローマ時代も、属州マケドニアの主要都市の1つであった。現在の北マケドニアで最大の遺跡となっている。
 入口から入ると、最初にあるのがローマ劇場。中に入らないようにとロープがあったのだが、ガイドさんはロープをまたいで中を案内してくれた。劇場の座席には有力者の指摘席があったとのことで、座席に刻まれた名前が残っている。ローマ劇場は数え切れないほど見てきたが、座席の名前を見たのは初めてである。
2023.8 ローマ劇場 2023.8 座席に刻まれた名前
 劇場の背後、少し高いところにあるのがバジリカ。古いバジリカの上に新たらしいバジリカが立てられており、時代によって床の高さに違いがある。床にはモザイクがあり、これを保護するため大きな屋根で覆われていた。
2023.8 バジリカのモザイク
 バジリカの隣にある洗礼所は、ストピ遺跡のハイライト。孔雀や動物などのモザイクが、驚くほど色鮮やかに残っていた。ここの孔雀は、マケドニアの紙幣にもなっている。ひなたと日陰のコントラストが強くて、あまりいい写真は撮れなかった。
2023.8 洗礼所
2023.8 洗礼所のモザイク 2023.8 洗礼所のモザイク
 バジリカの裏手に、メインストリートであるヴィア・サクラが通っている。フォーラムもあって、キリスト教以前のローマらしい遺跡の風景が広がっていた。
2023.8 ヴィア・サクラ 2023.8 半円形のフォーラム
 ヴィア・サクラを奥に進むと、ドムスの家、テオドシウス宮殿と、大きな建物が並ぶ。テオドシウス宮殿のモザイクも美しかった。
2023.8 ドムスの家 2023.8 テオドシウス宮殿
 テオドシウス宮殿の奥には、さらに巨大な豪邸がある。大実業家だったペリスティアの家で、50近い部屋やプールまであったという。モザイクは何も保護されていないので心配になる。
2023.8 ペリスティアの家 2023.8 ペリスティアの家のモザイク
 ペリスティアの家の先にも、水飲み場、ポリハモスの家、シナゴーグ、大浴場・小浴場、公文書館と、見所がいくつもある。見学は1時間半の予定と聞いていたが、2時間半近くかけてじっくり見て回ることができた。
2023.8 水飲み場 2023.8 ポリハモスの家
2023.8 小浴場 2023.8 公文書館
 最後に見たのは、入口近くにあるイシス神殿。ここで巨大な女神像が見つかったとのことである。なぜ、エジプトの神であるイシスがここに祀られているのかは、よくわからなかった。
2023.8 イシス神殿
ギリシャ北部
 テッサロニキ(世界遺産)
 テッサロニキはヘレニズム期に建設された街で、交通の要衝として発展し、ローマ時代にはマケドニア地方の中心都市となった。ローマ帝国の分割統治時代には、首府の1つとなったこともある。世界遺産に登録されているのは、主にビザンチン時代の教会群であるが、ロトンダなども世界遺産になっている。
 2019年のギリシャ訪問時、テッサロニキは宿泊しただけだったが、朝の散歩で街の中心を一周した。円形の外観が印象的なロトンダは、306年にガレリウス帝の霊廟として建てられたもの。その後教会に改造され、さらにオスマン時代にはミナレットが追加されてモスクになるという変わった変遷をたどっている。ガレリウスの凱旋門も303年の建造で、レリーフが不思議なほど鮮明に残っていた。
2019.5 ロトンダ(世界遺産) 2019.5 ガレリウスの凱旋門
 街の中に残るアゴラは1ヶ所だけだと思っていたら、もっと大きいアゴラがあることを帰国後に知った。2023年に再びテッサロニキに泊まる機会があったので、夕方の散歩で見に行った。
 
2019.5 ローマ時代のアゴラ 2023.8 ローマ時代のアゴラ 
 ☆世界遺産「テッサロニキの初期キリスト教とビザンチン様式の建造物群」 1988年登録
 アンフィポリス
 アンフィポリスは、ギリシャ時代からトラキアとの交易ルート上という戦略的に重要な場所にあり、アテネやスパルタが街の支配をめぐって争った。紀元前357年にマケドニアに占領され、さらにローマ帝国領となった後も、属州の主要都市として栄えている。
 アンフィポリスのシンボル、ライオン像は、街の外れ、ストリモナス川の対岸にある。資料があまりないのではっきりしないが、ギリシャ時代の記念碑だと思われる。想像していたより大きかった。
2023.8 ライオン像
 次に訪れたのは、博物館。と思ったら、博物館には入らず裏手へまわる。そこにあったのは、紀元前5世紀にアテネの攻撃から2度にわたってアンフィポリスを守ったスパルタの将軍ブラシダスの墓だった。ブラシダスは2度目の戦いで戦死しており、アンフィポリスでは英雄と称えられていたようである。
2023.8 ブラシダスの墓
 車で5分ほど移動して、いよいよアンフィポリス遺跡の見学。遺跡は広大であるが、残っているものは少なく、主に教会の土台などであった。モザイクが見学できる所が2ヶ所あり、他ではあまり見ない緑色のモザイクが印象的。なお、ここは1時間ほどの滞在中に2人しか出逢わず、貸切状態だった。
2023.8 ロトンダ 2023.8 奥はアトス山
2023.8 モザイク 2023.8 モザイク
 フィリッピ(世界遺産)
 フィリッピは、その名の通りマケドニア王フィリッポスU世が築いた街。フィリッポスU世は、アレキサンダー大王の父である。フィリッピの近くにはパンゲオ山の金鉱があり、ここを手に入れたことでマケドニアは大帝国へと拡大していく。ローマ領となった紀元前42年には、オクタヴィアヌスがアントニウスを破ったフィリピの戦いの舞台にもなった。ローマ帝国の下でも、エグナティア街道の要衝として繁栄た。また、聖パウロがヨーロッパで初めて洗礼を施した地でも知られている。ローマ時代に街が大規模に拡張されたため、ヘレニズム期のものはあまり残っていない。街はブルガール人やセルビア人の侵入などによって次第に衰退し、16世紀頃までには街が放棄されている。
 遺跡の入口近くにある劇場は、ギリシャ時代につくられ、ローマ時代に改築されたもの。山の斜面を利用している。門に、フィリッポスU世のレリーフが残っている。
2023.8 劇場 2023.8 フィリッポスU世のレリーフ
 続いて登場するのは、バジリカA。ここの柱は2本が組み合わさって1つの土台に載る構造なので、土台がハート型になっていた。
2023.8 バジリカA 2023.8 バジリカAの柱の土台
 バジリカAの奥にあるのは、ヘロンと聖パウロの牢獄。聖パウロは牢獄へ入れられるが、その周辺だけ地震がおこって牢から脱出したという伝説がある。それがここだと特定されているのかどうかはわからないが、遺跡の中でいちばん厳重に管理されていた。
2023.8 ヘロン(小神殿) 2023.8 聖パウロの牢獄
 ここまでは山の斜面にある高台の見学で、ここから広大なフォーラムを見下ろすことができる。がれきの山になっているが、商店だけでなく神殿や図書館もあったようである。
2023.8 フォーラム 左奥はオクタゴン、右奥はバジリカB
2023.8 フォーラム 2023.8 大理石の床
 フォーラムの奥に見えるバジリカBは、壁の一部が残っていて巨大さがわかる。残念ながら修復中で、近づくことはできなかった。
2023.8 バジリカB
 フォーラムの横には、オクタゴンと呼ばれる八角形の聖堂がある。ここにはモザイクが残っていて、保護のために屋根が付けられていた。
2023.8 オクタゴン 2023.8 オクタゴンのモザイク
 フォーラムと並行した道は、古代のエグナティア街道である。ドゥラキウムとビザンチウムを結ぶ古代の重要な街道であるが、雰囲気が残っている場所はほとんど無い。ここは石畳が適度に崩れていて、いい雰囲気だった。
2023.8 エグナティア街道
 博物館は、遺跡のいちばん奥にある。動物や鳥を彫刻した柱頭や色ガラスは、あまり見たことがないもので興味深かった。
2023.8 動物や鳥の柱頭 2023.8 色ガラス
 ☆世界遺産「フィリッピの考古遺跡」 2016年登録

古代ローマ -マケドニア