紀元前30年、プトレマイオス朝が滅亡し、エジプトはローマ帝国領アエギュプトゥスとなる。その後もしばらくは古代エジプトの神々が信仰されていたが、312年にローマ帝国がキリスト教を公認し、390年にはキリスト教以外の信仰が禁じられたことにより、古代エジプトの侵攻は衰退した。 ローマの東西分裂後は東ローマ帝国領となるが、646年にイスラム帝国が占領。ローマによる支配が終わっている。 |
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アレキサンドリア県 | |
アレキサンドリア | |
アレキサンドリアは、プトレマイオス朝の首都で、エジプトがローマ帝国領となった後もエジプト最大の都市として繁栄した。キリスト教が広まった後は、古代5主教座の1つ、アレキサンドリア教会がおかれている。エジプトにおけるキリスト教は独自の発展を続け、コプトと呼ばれる。 アレキサンドリア教会の創建者は聖マルコとされ、コプト教会の教皇座は聖マルコ大聖堂となる。その後、何度も破壊され、現在の建物は1990年に再建されたもの。なお、828年にヴェネツィアの商人がここから聖マルコの遺骸を盗んで建てたのが、ヴェネツィアの聖マルコ寺院と言われる。1968年に、遺骸の一部がエジプトの聖マルコ教会に返還されている。 |
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2025.5 聖マルコ大聖堂 | 2025.5 聖マルコ大聖堂の祭壇 |
アレキサンドリア郊外に、コム・シュワハのカタコンベが残る。これは、元は2世紀頃の貴族の墓で、深いらせん階段を降りたところに立派な棺がおかれた。その後、3世紀頃に共同墓地となって、周囲に穴が迷路のように広がった不思議な構造である。 |
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2025.5 コム・シュワハのカタコンベ入口 | 2025.5 貴族の墓 |
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2025.5 共同墓地 | |
アブ・メナ(世界遺産) | |
4世紀、聖メナスがこの地に埋葬されると、病気が治るといった奇跡がおこり始め、ヨーロッパ中から巡礼者が訪れるようになった。5世紀には巡礼者のための街もできたが、イスラム帝国の侵攻などにより9世紀頃には衰退した。遺跡にあるのはバジリカや宿泊所、浴場などの廃墟で、保存状態はよくないが、広大な遺跡は往時の繁栄を感じられる。 |
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2025.5 バジリカ跡 | 2025.5 洗礼場跡 |
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2025.5 宿泊所跡 | 2025.5 浴場跡 |
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2025.5 聖メナスのレリーフ(グレコ・ローマン博物館) | |
遺跡から少し離れたところに、1959年にアブ・メナ修道院が建設された。さらにその奥には、2005年に新アブ・メナ大聖堂が建設され、近代的な祈りの場となっている。 |
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2025.5 新アブ・メナ大聖堂 | |
☆世界遺産「アブ・メナ」 1979年登録 |
古代ローマ−アエギュプトゥス