オリエント地域は古くからエジプトとメソポタミア、ギリシャとペルシャといった大国の中間に位置し、文明の十字路となった。そして、シリアはマケドニアのセレウコス朝、レバノンはフェニキア人の国、ヨルダンはユダヤ王国とそれぞれ異なる歴史を経て、紀元前1〜2世紀頃にはローマの属州となる。ローマ時代も、宿敵パルティアを西にひかえた最前線であると同時に、東方との交易の中継地として隊商都市が繁栄した。ローマの衰退とともにこれらの都市の多くが見捨てられ、現在では北アフリカと並んでもっともローマ遺跡の多い地域となっている。

ヨルダン
 アンマン遺跡
 アンマンは、アンモン人が紀元前16世紀頃に定住した地といわれ、旧約聖書にも登場する。ローマ時代にはダマスカスなど10都市からなるデカポリスの1つとして繁栄したが、イスラム勢力下に入ってからは衰退していった。現在はヨルダンの首都として再び発展したため、市街地の中に劇場など僅かな遺跡が残るのみである。
 ヨルダン南部から大移動して16時20分到着。まずは博物館のある丘の上を見る。この後で丘から見下ろした劇場を下からも見学して、1時間ほどの観光を終えた。
   
  1998.8 ヘラクレス神殿 1998.8 劇場 
 ジェラシュ遺跡
 ここもローマ時代のデカポリスの1つとして繁栄し、2世紀ハドリアヌス帝の時代に多くの建造物が建てられた。しかし、7世紀のペルシャ人の侵入と746年の大地震で破壊されている。アンマンからダマスカスへ向かう途中、ヨルダン最後の見学地となった。
 パルミラ、ペトラに比べると知名度が低く、世界遺産にも登録されていないのであまり期待していなかったが、行ってみると広大な遺跡に数多くの建物が残っていて驚かされた。なかでも円形のフォーラムは印象的で、ちょうど劇場から見下ろすことができていい。また列柱道路や神殿などどれも見ごたえがあり、イメージは完全に覆された。
  1998.8 凱旋門  1998.8 ゼウス神殿
  1998.8 フォーラム 1998.8 劇場よりフォーラム
  1998.8 アルテミス神殿 1998.8 アルテミス神殿入口
  1998.8 列柱道路 1998.8 ニンファエウム
シリア
 ボスラ遺跡(世界遺産)
 紀元前1世紀にはナバテヤ王国の北の首都となり、ローマ、ビザンチン時代も栄えた街である。ツアーコースには含まれていなかったが、アンマンからダマスカスへの移動途中にあるので、現地ガイドのサービスで寄ってもらえた。シリアに入って最初の見学地である。
 ボスラを有名にしているのはオリエント最大規模のローマ劇場である。イスラム侵入後も要塞として利用されたため破壊をまぬがれたらしく、大きさと共に重厚な雰囲気が他のローマ劇場と違う雰囲気を感じた。劇場の裏にもいくらか遺跡が残っているようであったが、残念ながらそちらには行かれなかった。
  1998.8 ローマ劇場
 
  1998.8 ボスラ遺跡
 ☆世界遺産「古代都市ボスラ」 1980年登録
 パルミラ遺跡(世界遺産)  
 パルミラはダマスカスの北東230km、ローマ時代の紀元前1世紀頃から隊商都市として大繁栄した。そして絶頂期の3世紀、ローマから半独立状態にあったパルミラの女王ゼノビアは、領土拡大を目指してローマと対決する。しかし強大なローマには敵わず、273年に滅亡した。
 パルミラでは遺跡のすぐ隣に2泊。ホテルから列柱が目の前に見えるので、朝起きた時から最高の気分である。観光も歩いて出発し、いちばん奥にあるディオクレティアヌス城砦から入口に向かって進んだ。
1998.8 ディオクレティアヌス城砦とアラブ城砦 1998.8 居住区
 パルミラといえば、何といっても砂漠に並ぶ列柱の美しさである。列柱道路から四面門にかけてはどちらを向いても絵になる風景で、遺跡に1歩足を踏み入れた瞬間から目を奪われた。
 
 1998.8 四面門
1998.8 列柱道路  1998.8 アゴラ
1998.8 劇場  1998.8 記念門
 ホテルで少し休憩したあとベル神殿へ。紀元32年に建てられたパルミラ最大の建物である。壁があるので列柱道路のように見通しはきかないが、大きさには圧倒される。
1998.8 ベル神殿 1998.8 ベル神殿
 パルミラの郊外には、墓地が点在している。午前中に墓の谷にあるエラベル兄弟の墓と3人兄弟の墓、午後にはアルタバンの地下墓地へ行った。アルタバンは日本人が見つけたもので、明かりがまったく無い地下へもぐっていくので探検気分を楽しんだ。
1998.8 墓の谷 1998.8 アルタバンの地下墳墓
 気温が高くなる午後はホテルでゆっくりして、夕陽の時間にアラブ城砦へ登る。ここから見る、夕焼けに染まる遺跡全景は息を飲むほどの美しさで、この風景はローマ世界一ではないかと思った。
 
 1998.8 アラブ城砦よりパルミラ全景
一番手前がディオクレティアヌス神殿、中央に四面門、道の向こう側にベル神殿がある
 翌朝、パルミラを出発する前に、もう一度遺跡の中を散歩する。これは遺跡が目の前にあるからこそできることで、朝日に輝く遺跡もまた素晴らしい。この散歩で、パルミラの印象がさらに強烈なものになった。
  1998.8 夜明けのパルミラ列柱  1998.8 葬祭殿
 ☆世界遺産「パルミラ遺跡」 1980年登録
レバノン
 バールベク遺跡(世界遺産)
 ギリシャ人が太陽の都市ヘリオポリスを築いたことに始まり、ローマ時代の紀元60年ごろから200年以上かけて壮大な神殿群が建造された。古代オリエントの豊穣の神バアルとギリシャの神が融合した神殿で、オリエントにおけるローマ帝国の聖地の1つである。4世紀以降は信仰がキリスト教、イスラム教と移っていったため衰退し、1759年の大地震で廃墟となっている。
 レバノンは1989年まで泥沼の内戦が続いていたこともあり、地中海沿岸の観光はまだ一般的ではないため、シリアのダマスカスから日帰りで高原地域のみを見て回った。なお、翌年からベイルートなどの海岸部のツアーが出てきたことは少し悔しかった。
  1998.8 前庭 1998.8 大庭
 バールベクは遺跡の周囲が街になっていて少しイメージとは違っていたが、神殿跡はよく残っている。壁や柱がほぼそのまま残るバッカス神殿、一部の柱のみが天に向かってそびえるジュピター神殿、対照的だがどちらも印象に残る。どちらかというとジュピター神殿の美しさの方が好きである。
  1998.8 バッカス神殿  1998.8 レリーフ
  1998.8 ジュピター神殿
 ☆世界遺産「バールベク」 1984年登録

古代ローマ −オリエント