カルタゴと同じ時代、チュニジアの西部からアルジェリアにかけて、強力な騎兵で知られたヌミディア王国があった。ポエニ戦争当初はカルタゴ側の主力であったが、全盛期の王マシニッサがローマと同盟関係を結んでカルタゴ滅亡の立役者になっている。マシニッサ亡き後はカエサルと対立して滅ぼされ、属州ヌミディアとしてローマに編入された。一方、かつてのカルタゴ領もローマ化後は属州アフリカの一部となり、現在のチュニジアはローマ時代を通じて重要な穀倉地帯として栄えている。

チュニジア北部
 ザグアン水道橋  
 ローマの水道橋は地中海世界各地に残っているが、チュニス郊外のザグアンにある水道橋も比較的保存状態のいいものである。チュニジア初日、市内観光のあと郊外で最初に立ち寄った。
 水道橋は道路に沿っていてとても見やすく、はるか遠くまでずっと続いている。高い所から低い所まで見られるのもよい。まだポン・デュ・ガールなどの巨大な水道橋を見たことが無いので、ここを見られてけっこう満足した。もう少し街の近くには、水道の終点にあたる貯水槽も残されていた。
  
2002.9 ザグアン水道橋  2002.9 ザグアン水道橋
チュニジア中部
 スベイトラ遺跡
 この町が大きく発展したのは、ビザンチン時代に入ってからである。7世紀半ばにはグレゴアールがビザンチンからの独立を宣言し、スベイトラに都をおいたが数ヶ月後にアラブ軍に占領・破壊されてしまった。時代が新しいためか世界遺産には登録されていないが、見所は多い。カイルアンからトズールへ移動する途中、ちょうどお昼頃到着した。
 入口を入ると、広場の先に遺跡全体がもう見えてくる。いちばん手前にあるのは劇場と大浴場で、大浴場の床にはモザイクが残っている。
  2002.9 劇場 2002.9 大浴場
 ここの面白い所は、教会、聖堂とギリシャの神殿が混在していることである。とくに3つならんだ神殿は、他で見たことのない印象的なものだった。
  2002.9 セルブス教会 2002.9 ミネルバ・ジュピター・ジュノーの3神殿
 神殿群の裏側には、小さな聖堂がいくつか残る。ベラトール聖堂のモザイクは驚くほど美しかった。まだ先にも遺跡はあるが、観光はここまでで終了。入り口の凱旋門も遠くから眺めただけで、1時間半では短すぎると感じた。
  2002.9 ベラトール聖堂 2002.9 凱旋門
 エルジェム闘技場(世界遺産)
 古代都市シスドラスとして栄えたところで、闘技場は2世紀ゴルディアン帝のころ建造された。7世紀末のアラブ軍との最終決戦の地としても知られる。南部の砂漠エリアをまわったあとスースに戻る途中にあって、ここもお昼頃到着した。
 この闘技場は保存状態がよく、規模や観客席のアーチの美しさはローマのコロッセオにも引けをとらないと感じた。人が少なく好きなように歩き回れるのもいい。ちょうど青空が出てきて、絵になる遺跡である。
  2002.9 2002.9
 ☆世界遺産「エル・ジェムの円形闘技場」 1979年登録
チュニジア西部(ヌミディア)
 ブラレジア遺跡
 紀元前4世紀頃からのヌミディア王国の首都で、ローマ時代になってからも栄えた。大地震のため、遺跡の広さのわりに建物はあまり残っていないが、ここの一番の見所はモザイク画である。早起きしてチュニスを7時に出発し、10時前に到着した。
 まず入口には、ユリア・メムニアの浴場がある。ユリア・メムニアはセプティミウス・セウェルス帝の妻の名で、崩れかけたアーチが印象的だった。
  2002.9 ユリア・メムニアの浴場 2002.9 ユリア・メムニアの浴場
 奥に進むと、劇場、フォーラム、市場、神殿などが建ち並ぶかつての街の中心がある。神殿も、ギリシャ風の神殿だけでなくエジプトの神を祀ったイシス神殿があるのは面白い所である。
 アポロンの神殿から北に向かった所が北の住居群。ここの最大の特徴は地下室が発達していることである。地上は崩れたが地下はよく残っていて、モザイクの床もそのままになっている。
  2002.9 劇場 2002.9 イシス神殿
  2002.9 アポロンの神殿 2002.9 北の住居群
 遺跡のいちばん奥には、モザイクが最も美しいアンフィトリテの家がある。モザイクは博物館に移してしまうことが多いが、ここは遺跡の床にそのまま残っているのでありがたい。絵が見えやすいようにと、わざわざ絵に水をかけてくれた。遺跡見学はちょうど2時間。午前中のうちに終わった。
  2002.9 アンフィトリテの家に残るモザイク
 ドゥッガ遺跡(世界遺産)  
 紀元前4世紀頃すでにヌミディア王国の重要な都市として栄え、ローマ時代の2〜4世紀にもっとも繁栄している。しかしヴァンダル人の侵入などにより衰退し、近年まで忘れ去られていた。ブラレジア観光後、デブルスークで昼食をとって14時45分に到着した。
 入口の脇にはまず劇場がある。ここは規模も保存状態もよく、なかなか見応えがある。
2002.9 劇場 2002.9 アレクサンデル・セウェルスの凱旋門
(いちばん奥の門)
 遺跡の中心にはキャピトルがある。神殿は1つしかないが、ジュピター、ジュノー、ミネルヴァの3神を祀っていて、マルクス・アウレリウス帝とルキウス帝に捧げられた。ちょうど丘の上にあたるので、どこからでもよく見えて絵になる。この遺跡の象徴といった感じである。
2002.9 キャピトル
2002.9 ローマ人の住居跡 2002.9 リキニアの浴場
 リビコ・プニック廟は、ヌミディア時代の数少ない遺跡である。しかし遠くから眺めただけだったので、感慨は無かった。
  2002.9 2002.9 リビコ・プニック廟
 ローマ時代のトイレもいろいろな遺跡で見てきたが、ここがいちばんわかりやすい。用をたすために座る所が円形の長椅子のようになっていて、用をたす穴もはっきりわかる。ローマ人はトイレで井戸端会議をしていたというのがイメージできる。
 ドゥッガも観光はちょうど2時間。ここから移動も2時間で、19時前にはチュニスに戻った。一日でブラレジアとドゥッガを堪能して大満足である。
  2002.9 トリフォリウムの家 2002.9 トイレ
 ☆世界遺産「ドゥッガ」 1997年登録

古代ローマ −ヌミディア・アフリカ