イタリアに隣接する現在のクロアチア周辺は、ヘレニズム期にはイリュリア王国が存在したが、ローマの拡大によって紀元前2世紀にはローマ属州イリュリクムとなり、のちに属州ダルマツィアとパンノニアに分割された。この地方出身のローマ皇帝も多く、とくに284年に即位したディオクレティアヌス帝は混乱した軍人皇帝時代を終わらせ新たな四分割統治体制を確立した皇帝として有名である。

クロアチア・ダルマチア地方
 スプリトのディオクレティアヌス宮殿(世界遺産) 
 ここは本来は、ダルマツィア出身のディオクレティアヌス帝が、305年に引退して移り住んだ宮殿である。死ぬ前に引退した皇帝は非常に珍しいが、さらにローマ帝国滅亡後に異民族が居住地にしたという複雑な歴史を持っている。宮殿のあるスプリトの街は、現在ではクロアチア最大の港町となっている。
 バスは港の近くに到着。海岸道路沿いに家が立ち並んでいるだけのように見えるが、これは宮殿の城壁である。門から城壁の中に入ると、古代を彷彿させるような柱や天井が残されていた。
2010.5 ディオクレティアヌス宮殿 2010.5 ディオクレティアヌス宮殿内部
 城壁を通り抜けると、そこは宮殿ではなく中世の街である。中心となるペリスティルの広場には大聖堂があるが、中央にある八角形の建物はもともとディオクレティアヌス帝の霊廟。他にも、近代的なガラス張りの店の中に古代の柱があったりして、古代・中世・現代が混じり合った不思議な街であった。
2010.5 大聖堂 2010.5 東側の城壁跡
 この街の観光は2時間しかなく、説明を聞きながら一通り街を一周すると、フリータイムは20分しかない。古代のジュピター神殿を転用した洗礼室と鐘楼のてっぺんのどちらを選ぶか迷ったが、洗礼室は並んでいたので鐘楼に登ることにした。上から見ると古代らしいものはほとんどないが、中世の街並みとして十分に美しいものだった。
2010.5 洗礼室 2010.5 大聖堂の鐘楼より 西側の景色
 ☆世界遺産「ディオクレティアヌス宮殿のあるスプリトの歴史的建造物群 」 1979年登録

古代ローマ −イリュリクム