雨竜炭田の石炭を留萌港まで運ぶための鉄道で、明治鉱業、浅野同族、三井鉱山と宮内省が株主となっていた。運行も当初は鉄道省に管理委託しており、戦後の1952年に自社運行を開始している。本線のほか留萌港に臨港貨物線を開業させ、最盛期には貨物輸送が50万tを超えたが、鉱山の閉山とともに廃止されている。

  1928.4.21 恵比島〜太刀別間免許
  1929.8.24 太刀別〜佐々木沢間免許(昭和〜佐々木沢間は後に失効)
  1930.7.1  恵比島〜太刀別間開業
  1930.10.1 太刀別〜昭和間開業
  1969.5.1  営業休止
  1971.4.15 全線廃止 
1941 1949 1955 1960 1965 1970
 輸送人員(千人/日) 0.4 0.8 0.9 1.4 1.3 1.1
 輸送密度(千人/日) 0.3 0.6 0.6 0.9 0.9 0.8
 貨物輸送量(万t/年) 29.6 30.5 30.3 33.6 50.6 28.0
営業係数 79 93 96 78 73 132
廃線跡
 恵比島〜昭和17.6km
 起点の恵比島は、NHKのドラマ「すずらん」の舞台「明日萌駅」として有名になった所で、雰囲気のいい駅舎があるが新しいものである。廃線跡はほとんど辿るのが困難な山の中だが、川のところで少しだけ顔を出していた。幌新温泉の駐車場には、当時のSLが保存されていた。
 
2011.7 恵比島駅@
左の草地が留萌鉄道のヤード跡
2011.7 幌新〜袋地間A
第2幌新太刀別川橋梁
 
2011.7 15号SLB  2011.7 新雨竜〜太刀別間C
第6幌新太刀別川橋梁
 
車両
 留萌鉄道では、開業後しばらくは国鉄が運行管理をしていたため、自社の車両を持たなかった(15、17は、車籍は留萌鉄道だが明治鉱業の入替機である)。戦後になって、貨客分離のためのDCが7両導入されている。このうち5両は廃線後に茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)へ譲渡されている。
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 15、17 1 Bタンク 1931 1971 明治鉱業所有
DL DR101CL 1 C形ロータリー車 1959 1971
DD201-202 1 11350mmB-B形 1960 1971
DC ケハ501 1 12220mm機械式 1952 1971 国鉄客車台ワク流用
ケハ502 1 18890mm機械式 1953 1971 国鉄客車台ワク流用
キハ1001-1002 2 20100mm液体式 1955・56 1971
キハ1103 1 20100mm液体式 1959 1971
キハ2004-2005 2 20000mm液体式 1966 1971
PC ホハフ2854
ホハニ201
2 木造ボギー車 1952 1971 もと国鉄
 15・17号
 1889年クラウス製で、九州鉄道が導入したもの。国有化を経て、1931年に明治鉱業が昭和炭鉱の入替用として購入した。廃線後も、15号は沼田町内で保存され、17号も解体されてはいないようである。
 
2011.7 15号SL
 キハ1000形
 キハ1000形は留萌鉄道初の液体式DCで、非貫通2枚窓の湘南型とヘソライトが特徴的だった。廃線後は茨城交通に譲渡され、1989年に引退している。
キハ1000形
 キハ2000形
 国鉄キハ22形とほぼ同一設計で、留萌鉄道最後の導入車両。廃線後は茨城交通に譲渡され、2015年まで活躍していた。廃車後、キハ2004は平成筑豊鉄道で保存されている。
 
2018.9 もとキハ2004:平成筑豊鉄道金田駅 

留萌鉄道