明治時代に開業した歴史ある路線で、ナローゲージながら利用者は多く、とくに西大寺会陽の日は貨車まで動員してピストン輸送を行った。1955年に両備バスとなった後も好調で、廃止するとは思えない営業成績であるが、1962年に並行して国鉄赤穂線が開業すると、その僅か7日後に廃止となっている。

  1911.12.29 西大寺軌道観音(のちの西大寺市)〜長岡(のちの財田)間開業
  1912.1.28  長岡〜森下間開業
  1914.11.2  西大寺鉄道と改称
  1915.9.15  森下〜後楽園間開業
  1955.10.1  合併により両備バスとなる
  1962.9.8   全線廃止
   1941 1949 1955 1960
 輸送人員(千人/日) 4.9 5.6 3.4 2.7
 輸送密度(千人/日) 3.3 3.2 1.9 1.4
 貨物輸送量(万t/年) 0.4 0.3 0.1 0.1
営業係数 63 98 80 86
廃線跡
 西大寺市-後楽園11.4km
 西大寺市の駅跡はバスターミナルになっていて、特徴ある車両や旧本社建物、財田駅舎など見所が多い。その先で一度廃線跡を見失うが、すぐにサイクリングロードとなって大多羅の近くまで続いていた。
2009.12 西大寺市駅跡@ 2009.12 西大寺市駅跡@
手前の建物は旧財田駅舎、奥は旧本社
2009.12 西大寺市〜広谷間A 2009.12 広谷〜大多羅間B
 2度目の訪問は、逆に後楽園から歩きはじめた。後楽園駅は夢二郷土美術館になっていて、鉄道を思わせるものは何もない。後楽園から原尾島にかけて、碁盤の目のような道路網の中に不自然な斜めの道があるので、廃線跡はわかりやすかった。原尾島の先で百間川を越えるが、何も痕跡は残っていない。
2015.2 後楽園駅跡F 2015.2 後楽園〜森下間E
2015.2 森下駅跡D 2015.2 原尾島駅付近C
 
車両
 開業時に準備されたのは、新造のSL5両とPC10両。SLはすべてBタンクで、延べ9両使用された。DCは、単車5両、ボギー車3両が導入されたが、このうち最初のボギー車であるキハ100は2つに切断されて、2両の小型DCに改造されている。
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 1-5 5 Bタンク 1911 1949
6-7 2 Bタンク 1926 1949 もと鴻池軌道
8-9 2 Bタンク 1927 1949
DC キハ1-5 5 5570mm 1931 1962
キハ100 1 1934 1951
キハ6 1 11482mm 1936 1962
キハ7 1 11754mm 1936 1962
キハ8・10 2 5570mm 1951 1962 キハ100改造
PC ハボ1-15 15 木造ボギー車 1911-13 1962
ハボ16-22 7 木造ボギー車 1926 1962 もと鴻池軌道
 キハ7
 キハ6とともに導入された半鋼製DCであるが、キハ6は丸妻なのに対しキハ7は流線型となっており、西大寺鉄道の看板車両だった。廃線後も保存対象となり、西大寺駅跡に残されている。
2009.12 キハ7:西大寺市駅跡
 ハボ1形
 1911年の開業時に、木造ボギー車を10両導入し、2年後にさらに5両増備した。路線規模のわりに車両が多いのは、お祭りの見物客を大量輸送する必要があったためである。当初の15両は、すべて廃線まで50年生き残り、ハボ13が保存されている。
2019.1 ハボ13:池田動物園

西大寺鉄道