笹津線(南富山-笹津)
 前身は1914年開業の富山軽便鉄道であるが、国鉄高山線開業により利用者が激減したため、一度は1933年に廃止されてしまった。しかし用地は残っており、南富山以南の富南鉄道と合併した富山地方鉄道は戦後になって笹津線を復活させている。笹津線の利用者は8〜10千人程度あったようだが、黒字にはいたらず、1975年に廃止されている。

  1914.12.6 富山軽便鉄道富山〜笹津間開業
  1915.10  富山鉄道と改称
  1933.4.20 堀川新(のちの南富山)〜笹津間廃止、富山〜堀川新間を富南鉄道に譲渡
  1950.9.1  富山地方鉄道南富山〜大久保町間開業
  1952.8.15 大久保町〜地鉄笹津間開業
  1975.4.1  全線廃止
 笹津線の跡地は大半が道路になっている。鉄道の痕跡はほとんど無いが、大久保町駅は駅前広場の雰囲気が残されていた。
2015.2 南富山〜日本繊維前間@ 2015.2 袋〜赤田間A
2015.2 熊野〜伊豆の宮間B 2015.2 大久保町駅跡C
 大沢野町八木沢駅を過ぎた所から、廃線跡はサイクリングロードになって雰囲気が出てくる。しかしサイクリングロードは1駅間だけで、敷紡前駅を過ぎると道路になり、そのまま笹津駅の駅前に到達する。
2015.2 大沢野町八木山〜敷紡前間D 2015.2 敷紡前駅跡E
 
 射水線(新富山-越ノ潟15.1km)
 前身は1924年に開業した越中電気軌道で、1932年に伏木口まで延伸し、戦後には高岡軌道線(現在の加越能鉄道)の高岡駅まで直通運転を行った。一方、富山側は神通川の西にある新富山が起点であるが、富山市内線の富山駅前まで乗り入れた時期もある。利用者が少ない人数ではなかったが、1966年に富山新港が建設されて堀岡〜越ノ潟間が分断。船での連絡となって利用者が急減した。その後も14年存続するが1980年に廃止されている。

  1924.10.12 越中電気軌道富山北口〜四方間開業
  1926.7.21  連隊橋(のちの新富山)〜富山北口、四方〜打出浜間開業
  1927.2.13  越中鉄道と改称(28.1.1地方鉄道となる)
  1929.7.2   打出浜〜堀岡間開業
  1930.10.12 堀岡〜越ノ潟、西越ノ潟〜新湊東口間開業(30.12.23越ノ潟〜西越ノ潟間接続)
  1932.11.19 新湊東口〜庄川口間開業(33.12.25庄川口〜伏木口(のちの六渡寺)間延伸)
  1943.1.1   合併により富山地方鉄道射水線となる
  1966.4.15  堀岡〜越ノ潟間廃止、越ノ潟以西を加越能鉄道に譲渡
  1966.12.1  堀岡〜新港東口間開業
  1980.4.1   全線廃止
  1960 1965 1967 1970
 輸送人員(千人/日) 19 18 10 7
 富山北口〜八町間は、廃線跡がバス専用道となっているということで、2007年はその区間を見に行った。八ヶ山付近の一直線の道は、いかにもという感じで雰囲気がいい。森の先では八ヶ山駅跡も確認できた。
2007.11 富山北口〜八ヶ山間C
 北陸新幹線開業直前の2015年2月、改めて全区間を探訪した。新富山駅跡はマンションが建てられているが、廃線跡は道路になっている。富山北口からのバス専用道はすでに使用されなくなっていて、北陸線をまたぐ橋も撤去されていた。
2015.2 新富山駅跡@ 2015.2 富山北口〜八ヶ山間A
 かつてのバス専用道は、立入禁止の看板はあるが、柵はないので通っている車もある。八ヶ山駅跡にあるバス停の待合所はすでに廃墟のようになっていた。
2015.2 富山北口〜八ヶ山間B 2015.2 八ヶ山駅跡D
 かつてのバス専用道が終わると、廃線跡は拡幅された立派な道路になる。鯰鉱泉前という駅名にある温泉のホテルは今も健在だった。
2015.2 八ヶ山〜八町間E 2015.2 鯰鉱泉前駅跡F
 四方から終点の新港東口まで、ほぼ全区間がサイクリングロードになっている。鉄道の痕跡はほとんど無いが、唯一、海老江駅だけは崩れかけたホームが残っていた。
2015.2 四方駅付近G 2015.2 打出駅付近H
2015.2 本江駅付近I 2015.2 海老江駅跡J
2015.2 堀岡駅跡K 2015.2 新港東口駅跡L
 

富山地方鉄道笹津線・射水線