セルビア人は、7世紀頃バルカン半島に進出したが、長い間部族に分かれていて1つにまとまることはなかった。12世紀になってビザンチン帝国が衰えると、ステファン・ネマニャが諸部族を統一、1171年にネマニッチ朝を開いて中世セルビア王国が成立する。1330年にステファン・ウロシュ3世デチャンスキが第2次ブルガリア帝国を破り、バルカン半島の盟主となる。後を継いだステファン・ウロシュ4世ドゥシャンは、アルバニアやギリシャ北部まで拡大し、1346年には皇帝を名乗った。しかしドゥシャンの死後、1371年にオスマン帝国に敗れてネマニッチ朝が断絶し、帝国の時代も終わる。さらに1389年のコソヴォの戦いでも敗れてオスマン帝国の属国となり、1459年に中世のセルビア国家は滅亡した。

 1171年 中世セルビア王国成立
 1330年 ヴェルブジュドの戦い、第2次ブルガリア帝国を破る
 1346年 ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが皇帝を名乗る
 1371年 マリツァ河畔の戦い、オスマン帝国に敗れ、ネマニッチ朝断絶
 1389年 コソヴォの戦い、オスマン帝国に大敗し属国(セルビア公国)となる
 1459年 セルビア公国滅亡

 中世セルビア王国の領域は、現在のセルビア北部は含まれず、セルビア南部からコソヴォにかけてのエリアが中心であった。また、セルビア正教会の大主教座であるペーチ総主教修道院も現在のコソヴォにある。コソヴォは、オスマン帝国時代にアルバニア人が多数となったが、このような経緯からセルビアのコソヴォに対する思い入れは強く、現在もコソヴォの独立を認めていない。
コソヴォ
 ヴィソキ・デチャニ修道院(世界遺産) 
 ステファン・ウロシュ3世デチャンスキによって、1327年に建てられたセルビア正教会の修道院。建設した国王の通り名は、この修道院の名になっている。コソヴォにあるセルビア正教会の修道院の中で最初に世界遺産登録されたところで、後に3つの修道院が追加されている。なお、この4つの修道院は、コソヴォの世界遺産ではなくセルビアの世界遺産なのでややこしい。
 修道院は、アルバニア人による報復攻撃の対象となっているため、NATOの平和維持軍が守っている。行くまでは少し緊張していたが、大勢の観光客が集まり穏やかな雰囲気だった。建物は、ビザンチン様式のドーム、ゴシック様式の窓、ロマネスク様式の柱などが融合した独特のもの。また、内部のフレスコ画は、ビザンチン様式で最大のものである。本来は内部撮影禁止だが、現地ガイドさんにスマホを渡したら、何枚か撮ってもらえた。
2023.8 ヴィソキ・デチャニ修道院
2023.8 修道院内部 2023.8 修道院内部
 ペーチ総主教修道院(世界遺産) 
 13世紀中頃に、ジチャ修道院から大主教座が移された修道院。コソヴォ北西部、ペーチの街の郊外にある。なお、ヴィソキ・デチャニ修道院はここから南に15kmほどの所である。
 修道院は、1つの建物に4つの教会がある。下の写真で、右のドームの所がホデゲトリアの生神女教会。その左に少しだけドームが見えているのが、最初に建てられた聖使徒教会で、その奥に聖デメトリウス教会がある。左の三角屋根は、3つの教会をつなぐナルテックス。そして、右端の小さい教会は聖ニコラウス教会である。14世紀中頃までには現在の姿になったようである。ここも、現地ガイドさんに内部の写真を撮ってもらえた。
2023.8 ペーチ総主教修道院
 
2023.8 聖使徒教会 2023.8 聖デメトリウス教会
2023.8 ホデゲトリアの生神女教会 2023.8 聖ニコラウス教会
 グラチャニツァ修道院(世界遺産) 
 コソヴォの首都プリシュティナの南10kmにあるセルビア正教会の修道院。1321年に建てられた。後期ビザンチン様式の傑作で、いくつものドームが重なる美しい外観である。ここは、ちょうど修道女がお祈りの準備をしていて、内部の写真を撮ることはできなかった。なお、この修道院の周辺はセルビア人の居住区で、セルビアの通貨が使われているとのことだった。
2023.8 グラチャニツァ修道院
 プリズレン  
 コソヴォ南部にあるプリズレンの街の歴史は、ローマ時代にまで遡るといわれる。中世はビザンチン帝国やブルガリア帝国の支配を経て、1208年にセルビア王国領となった。そして王国の宮廷がおかれ、セルビア王国の政治的中心治となる。オスマン帝国の進出後、住民の多くはアルバニア人となり、正教会、カトリック教会、モスクなどが入り交じった街となっている。
 世界遺産に登録された4つめのセルビア正教会、リェビシャの生神女教会は、この街の中にある。2004年にアルバニア人過激派の焼き討ちにあい、内部が損壊してしまった。その後も修復されず、閉め切ったままとなっている。
2023.8 リェビシャの生神女教会(世界遺産)
 プリズレンの街の中心には、街のシンボルになっている石橋がある。右にはイスラム教のスィナン・パシャ・モスク、そしてそのドームの左奥にセルビア正教会が見えている。左の山の上はプリズレン城塞である。
2023.8 石橋
2023.8 シャドルヴァーン広場 2023.8 ハマム
 プリズレン城塞まではかなりの急坂だったが、思っていた以上に多くの観光客が登っていた。城塞から見るプリズレンの街は、赤い屋根が目立って美しい。写真の手前中央がスィナン・パシャ・モスクで、その右が石橋である。
2023.8 プリズレン城塞より
 ☆世界遺産「コソヴォの中世建造物群」 2004年登録、2006年拡大

中世セルビア王国