標茶からの本線と厚床への支線があり、とくに厚床支線は根釧原野の中央を走る、最も北海道らしい景色の見られる路線といわれた。第2次特定地方交通線の基準を満たしていたが、100kmを超えるため一度は廃止が留保され、後に追加承認されている。存廃の基準となる輸送密度は590人、収支係数1283であった。

  1933.12.1 厚床〜別海間開業(34.10.1厚床〜中標津間全通)
  1936.10.29 標茶〜計根別間開業
  1937.1.30 計根別〜根室標津間開業し、標津線全通
  1985.8.2  第2次特定地方交通線として廃止承認
  1989.4.30 全線廃止 
  1937 1949 1956 1960 1965 1970 1973 1977 1980 1983 1986
 輸送人員(千人/日) 0.5 1.9 2.8 3.7 5.3 4.4 3.4 2.7 2.4 1.8 1.6
 輸送密度(千人/日) 0.1 0.4 0.6 0.8 1.2 1.0 0.8 0.6 0.6 0.4 0.3
 貨物輸送量(万t/年) 9.6 12.1 21.5 25.1 30.4 22.6 15.4 9.8 5.7
廃止前
 乗車したのは廃止3年前の1986年。夏休みだったので、観光客も乗っていた。 
1986.8 根室標津駅D 1986.8 根室標津駅にてD
廃線跡
 標茶〜根室標津69.4km
 標津線の廃線跡めぐりは、廃止から22年後となった。泉川駅は何も残っておらず、位置に自信がもてない。西春別駅は立派な鉄道記念公園として整備されていた。 
2011.7 泉川駅跡@ 2011.7 西春別駅跡A
 上春別駅は、草むらの中にホームが残っている。標津線の中でいちばん雰囲気がいい駅である。当幌駅は空地、中標津駅はバスターミナルになって、鉄道の面影は感じられない。川北駅はディーゼルカーが保存されていた。 
2011.7 上春別駅跡B 2011.7 川北駅跡C
 中標津〜厚床47.5km
 続いて厚床へ向かう支線側へ。廃線跡をまたぐ跨線橋に標津線の文字を発見した。春別駅、別海駅はいずれも開発され、鉄道の面影はない。 
2011.7 協和〜春別間E 2011.7 春別駅跡F
2011.7 春別〜平糸間G 2011.7 別海駅跡H
 標津線最後の見所は奥行臼駅。木造の駅舎や線路、ホームが状態よく保存されていた。 
2011.7 奥行臼駅跡I 2011.7 奥行臼駅跡I
 

標津線