もとは都城と志布志を結んでいた路線で、後に都城〜西都城間は日豊線に編入された。さらに志布志から北郷まで延伸したが、こちらは日南線に編入されて、どちらも現存している。志布志線が志布志への最短ルートでありながらこちらが廃止になって日南線が残るというのが不思議である。存廃の基準となった輸送密度は1616人、収支係数847で、南九州の廃止路線の中では最も輸送密度が高かった。

  1923.1.14 志布志線都城〜末吉間開業
  1924.3.25 末吉〜大隅松山間開業
  1925.3.30 大隅松山〜志布志間開業
  1932.1.26 都城〜西都城間は日豊線となる
  1984.6.22 第2次特定地方交通線として廃止承認
  1987.3.28 全線廃止
  1932  1937 1949 1956 1960 1965 1970 1973 1977 1980 1983 1986
 輸送人員(千人/日) 1.1 2.6 10.1 11.5 13.7 7.8 5.5 5.2 3.8 2.9 2.3 1.8
 輸送密度(千人/日) 0.5 0.5 1.7 2.0 2.4 3.5 2.7 2.5 1.8 1.4 1.2 1.0
 貨物輸送量(万t/年) 3.5 11.8 42.4 62.4 57.9 33.1 28.5 20.2 14.7 11.0
廃線跡
 西都城-志布志38.6km
 西都城を出てすぐ廃線跡がサイクリングロードになるが、ここはその起点付近。歩いている人はけっこう多い。今町はサイクリングロードの休憩所を兼ねていて、ホームが残されている。
2008.10 西都城-今町間@ 2008.10 西都城-今町間@
2008.10 今町駅跡A 2008.10 今町駅跡A
 末吉駅の西都城方に残るガーター橋で、この手前まで車で行かれた。志布志線は駅以外の遺構が少ないため貴重である。末吉駅は立派な公園に整備されてしまっているが、ホーム上屋だけがなぜかそのまま残っていた。
2008.10 今町-末吉間B 2008.10 末吉駅跡C
 岩北もサイクリングロードの脇にホームが残されている。岩川〜大隈松山間は小さな峠越えで、廃線跡を見失ってしまったが、峠を下るとすぐまた見つかった。ここの駅跡は現役時代の雰囲気がよく残っていていい。
2008.10 岩北駅跡D 2008.10 大隈松山駅跡E
 写真では少しわかりにくいが、左の写真の川の向こう側に立派な大築堤が残っている。見ごたえのある遺構の1つである。
 伊崎田は駅舎やホームがほぼそのまま残されており、駅舎の中まで当時のままというのがいいが、線路の位置が舗装道路になってしまっているのが残念である。ここは集落から離れた山奥にあって見つけるのにかなり苦労した。この先志布志までの区間も、廃線跡はほとんど見つけられなかった。
2008.10 大隈松山-伊崎田間F 2008.10 伊崎田駅跡G

志布志線