下北半島の先端、大間を目指した路線であるが、大畑まで開業したところで戦争に突入、戦後も延伸することはなかった。国鉄赤字ローカル線廃止の中では、三セクでなく民間鉄道に転換した珍しい路線だったが、結局廃止になってしまった。存廃の基準となった輸送密度は1524人であった。

  1939.12.8 大畑線下北〜大畑間開業
  1981.9.18 第1次特定地方交通線として廃止承認
  1985.7.1  下北交通に転換 下北〜大畑 18.0km
  2001.4.1  全線廃止 
  1949 1956 1960 1965 1970 1973 1977 1980 1983 1986 1990 1995 2000
輸送人員(千人/日) 2.7 2.8 3.1 4.1 2.5 2.5 2.3 2.2 1.6 1.1 0.9 0.7 0.6
 輸送密度(千人/日) 1.4 1.6 1.7 2.5 1.7 1.6 1.5 1.5 1.1 0.5 0.5 0.4 0.4
 貨物輸送量(万t/年) 8.6 12.1 12.9 13.5 2.1 1.3 0.5 0.1
 営業係数 121 160 204 201
営業中
 乗車したのは下北交通となって3年目。雪の残る季節だが、乗客はそれなりに乗っていた。大畑駅は当時の本州最北の駅である。  
1989.3 大畑駅にて 1989.3 大畑駅
廃線跡
 大畑線(下北-大畑18.0km) 
 廃線跡を訪れたのは廃止から9年後。下北から進み始めるとすぐ、田名部川橋梁が見えてくる。列車が走ってきてもおかしくないような雰囲気で、嬉しくなってきた。
2010.10 海老川〜田名部間@
田名部川橋梁
2010.10 田名部駅跡A
 田名部駅を過ぎて橋梁を超えると、市街地から山の中に入っていく。池のほとりに廃線跡が一直線に伸びていて、ここもいい雰囲気である。
2010.10 田名部〜樺山間B 2010.10 田名部〜樺山間C
 樺山駅跡がなかなか見つからずうろうろしていたら、民家の脇のけもの道のような所の先に発見。草をかきわけて進まないとたどりつけない駅で、9年まで現役だったとはとても思えなかった。
2010.10 樺山駅跡D 2010.10 樺山〜陸奥関根間E
 出戸川橋梁や川代・正津川の各駅もよく残っていて、見所がとても多い。終点の大畑駅は駅舎がバス待合室として健在で、車庫の中では車両も保管されているはずである。
2010.10 陸奥関根〜川代間F
出戸川橋梁
2010.10 川代駅跡G
2010.10 正津川駅跡H 2010.10 大畑駅跡I
 未成線 
 大畑より先は開業はしていないが、工事が進んでいたので未成線跡を見ることができる。とくに大畑を過ぎてすぐの所にあるアーチ橋は巨大で迫力があった。下風呂温泉にも13連のアーチが残されていて、遊歩道として健在である。
2010.10 未成区間J 2010.10 未成区間K
下風呂温泉の街の背後に橋梁が見える
車両
 キハ85形
 国鉄キハ22形を譲り受けたもので、ワンマン対応や便所撤去なとの改造をしている。形式名の85は開業年に由来する。廃止後も、3両すべて大畑駅跡で動態保存されている。
 形式 番号 両数  前歴 譲受  消滅  備考
キハ85形 1-3 3 国鉄キハ22形 1985.5 2001.4
1989.3 大畑駅

下北交通