存廃の基準となる輸送密度は257人、収支係数は2901と、日本有数の赤字路線であった。しかし代替道路が未整備で、とくに朱鞠内湖の北岸を通る朱鞠内〜名寄間は道路も無いほどの山奥だったためバスに転換できず、特定地方交通線に指定されなかったという特異な路線である。結局、道路整備を待って1995年に廃止された。 1924.10.25 雨龍線深川〜上多度志間開業(31.9.15添牛内まで延伸) 1931.10.10 幌加内線と改称(32.10.25朱鞠内まで延伸) 1937.11.10 名雨線名寄〜初茶志内間開業 1941.10.10 深川〜名寄間全通、深名線と改称 1995.9.4 全線廃止 |
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営業中 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
朱鞠内は日本最低気温を記録した所で、86年夏に乗車した時はのどかな車窓風景だと思ったが、冬にもう一度訪れると本当に北の果てに来たという感じで、印象は全く違っていた。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1991.2 朱鞠内駅 | 1991.2 朱鞠内駅 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
廃線跡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
深川-名寄121.8km | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006年は廃線探訪がテーマではなかったが、朱鞠内湖に行った帰りに深名線に沿って走った。湖畔駅は跡形も無く、朱鞠内駅もきれいに整備されてしまって昔の面影は無かったが、政和を過ぎて間もなく、立派なトラス橋が現れた。保存されているらしく、レールが無いこと以外は現役当時のままといった感じで、つい見とれてしまった。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006.9 朱鞠内駅跡E | 2006.9 政和-雨煙別間B | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2度目の深名線跡訪問は南から北上した。上多度志付近の路盤は確認できたが、駅舎が残るはずの鷹泊はさっぱり見つからない。少し不安になったが、沼牛は駅舎とホームまで雰囲気よく残っていた。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009.10 上多度志駅付近@ | 2009.10 沼牛駅跡A | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
深名線の駅は同一設計のものが多いようで、沼牛、政和、添牛内の3駅は大きさ、形ともにそっくりである。添牛内が適度に荒れていていちばん雰囲気がよかった。政和は道路が集落を避けるようにバイパスになっていたので、あやうく通り過ぎるところだった。ここもよく残っているが、深川方の路盤で工事が行われていたので、取り壊しが近いのかもしれない。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009.10 政和駅跡C | 2009.10 添牛内駅跡D | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
朱鞠内湖北岸の区間にも行ってみたかったが、時間の関係で今回はあきらめ、南岸から北母子里にまわりこんだ。駅跡がなかなかみつからずあきらめかけたら、森の脇の草むらからホームが顔をのぞかせていた。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009.10 北母子里駅跡F | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
深名線