8620 | |
日本で初めて大量生産された旅客用機関車。1914年から29年にかけて、672両が製造された。この時代の旅客用としては標準的な1C(モーガル)を採用している。現在も2両が動態保存となっているほか、静態保存機は18両ある。 | |
○58654 最末期まで現役で残っていた8620形の1つで、1975年の廃車後は矢岳駅前で保存されていた。JR九州発足後の1987年に復元イベントが始まり、1988年から「SLあそBOY]「SL人吉号」として復活している。2005年に故障して休車となるが、修復して2009年から再復活している。 |
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1989.3 58654:豊肥線立野付近 | 2011.9 58654:肥薩線球泉洞付近 |
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2021.11 58654:鳥栖駅 | |
○8630 1972年に車籍を残したまま梅小路蒸気機関車館(現在の京都鉄道博物館)の保存車の1つとなったもので、1979年3月に車籍を抹消したものの、動く状態で保存されている。 |
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1986.8 8630:梅小路蒸気機関車館(左) | 2017.6 8630:京都鉄道博物館 |
○8620 8620形のトップナンバー。1958年に廃車となるが、鉄道90周年事業として1962年に整備された青梅鉄道公園の保存車となった。 ○48624 1963年の廃車後、長く釧路車両管理所で保管されていたもので、士幌線音更駅跡に移設されている。 |
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1998.3 8620:青梅鉄道公園 | 2015.9 48624:士幌線音更駅跡 |
○48640 1973年の廃車後、鰺ヶ沢町役場前で保存されていたもの。2007年に弘南鉄道新里駅に移されており、弘南鉄道車内から見ることができる。 ○58623 1970年の廃車後、製造メーカーである日本車輌の豊川製作所で保存されている。公道からも見ることができる。 |
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2017.6 48640:弘南鉄道新里駅 | 2017.7 58623:日本車輌豊川製作所 |
○58685 1969年の廃車後、多度津駅前で保存されている。 ○68691 1969年の廃車後、山形駅から徒歩10分ほどの第二公園で保存されている。上屋や木があって写真は撮りにくい。 |
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2016.10 58685:多度津駅前 | 2016.11 68691:山形市第二公園 |
C50 | |
8620形の改良型で、1929年から33年にかけて154両製造された。新たに空気ブレーキなどを装備したが、軸重の増加により汎用性が低下したため、早期に入換用などとなっている。1974年までに全車廃車となり、保存機も6両のみである。 | |
○C50-75 1971年の廃車後、足立区の中央本町公園で保存されていたもので、北鹿浜公園に移設されている。 ○C50-123 1970年の廃車後、小山市の駅東公園で保存されている。 |
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2016.8 C50-75:足立区:北鹿浜公園 | 2018.5 C50-123:小山駅東公園 |
C51(旧形式:18900) | |
幹線の高速列車牽引用に開発されたもので、その後の旅客機の標準となる2C1(パシフィック)を採用した。1919年から28年にかけて289両が製造され、戦前の超特急「燕」やお召列車も牽引している。晩年は地方に転出し、1965年に営業を終えた。戦前を代表する花形機関車にもかかわらず、保存機は4両のみ、しかもそのうち2両はカットされている。 | |
○C51-5 1962年の廃車後、鉄道90周年事業として1962年に整備された青梅鉄道公園の保存車となっていたもので、2007年に鉄道博物館に移設された。 |
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1998.3 C51-5:青梅鉄道公園 | 2015.12 C51-5:鉄道博物館 |
○C51-239 1962年の廃車後、新潟鉄道学園で保存されていたもので、1972年に梅小路蒸気機関車館(現在の京都鉄道博物館)に移設された。 |
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2022.10 C51-239:京都鉄道博物館 | |
C53 | |
C51より牽引力を高める目的で、C52を輸入して研究された3シリンダー型を初めて採用した機関車。1928年から29年にかけて97両が製造された。当時の流行にのって流線形に改造されたものもある。大型であったため地方へ転用することができず、1950年までにすべて廃車となっている。1両のみ保存されている。 | |
○C53-45 1950年の廃車後、鷹取工場で保管されていたもので、鉄道90周年事業として1962年に整備された交通科学館の保存車となった。京都鉄道博物館の開館に合わせて移設されている。 |
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2022.10 C53-45:京都鉄道博物館 | |
C54 | |
C51、C53より軸重を軽くし、亜幹線で使用できる機関車として開発されたもの。しかし当初から故障が多く、1931年に17両が製造されただけである。1963年までに全車廃車となり、保存車も残っていない悲運の機関車と言われる。 | |
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C54 | |
C55 | |
C54と同じコンセプトで開発された、C54の改良型。1935年から37年にかけて62両が製造された。このうち21両は流線形で登場したが、後に他と同じスタイルに改造されている。1975年に営業を終え、4両が保存されている。 | |
○C55-1 1972年に車籍を残したまま梅小路蒸気機関車館(現在の京都鉄道博物館)の保存車の1つとなったもの。1978年に廃車となり、現在は静態保存機である。 ○C55-50 1974年の廃車後、北海道鉄道記念館(現在の小樽市総合博物館)で保存されている。 |
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2016.6 C55-1:京都鉄道博物館 | 1989.7 C55-50:北海道鉄道記念館 |
○C55-52 1975年の廃車後、吉松駅前で保存されている。特徴的な門デフをつけている。 |
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2011.9 C55-52:吉松駅前 | |
C56 | |
比較的距離の長い地方ローカル線向けに開発されたもので、タンク機のC12がベースとなり、1C(モーガル)に戻っている。1935年から39年にかけて160両が製造されたが、汎用性の高さから戦時中は半数以上が軍部に供出され、タイやビルマに送られた。国内に残った車両は戦後も小海線などで使用され、1974年に営業を終えている。2両が動態保存されているほか、静態保存機は20両近くある。 | |
○C56-44 1941年に陸軍に供出され、泰緬鉄道の建設などに使用されたもの。日本軍の撤退によってタイに取り残され、タイ国鉄で使用されていた。廃車後は放置されていたが、1979年に帰国し、大井川鉄道で動態復元されている。2003年に一度休車となるが、2007年に復活、2015年からは「ジェームス号」となって活躍している。 |
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2016.8 C56-44::千頭駅付近 | |
○C56-160 1972年から梅小路蒸気機関車館の所属となるものの、現役としてイベント列車の牽引に活躍する。そして、現在まで一度も車籍を抹消されることなく、「北びわこ号」「やまぐち号」などに使用され続けている。 |
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2017.3 C56-160:田村-米原間 | 2012.10 C56-160:津和野駅 |
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2019.7 C56-160:京都鉄道博物館 | |
○C56-31 C56-44と同様に、1941年にタイに渡ったもの。1979年に日本に戻り、靖国神社に奉納された。現在も靖国神社遊就館で展示されている。 ○C56-92 1973年の廃車後、出水市総合運動公園に保存されていたもので、2008年に出水駅前へ移設されている。 |
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2017.1 C56-31:靖国神社遊就館 | 2020.3 C56-92:出水駅前 |
○C56-98 1974年の廃車後は大阪市内の民間企業が保管していたもので、2001年に嵯峨野駅前に移設、そして2003年にトロッコ嵯峨駅前の「19世紀ホール」で展示されている。 |
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2016.5 C56-98:トロッコ嵯峨駅 | |
○C56-101 佐久鉄道のキホハニ56とともに、佐久市の成知公園で保存されている。 ○C56-131 1975年に廃車となったもので、松江城に近い北公園で保存されている。 |
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2018.12 C56-101:佐久市成知公園 | 1986.7 C56-131:松江市北公園 |
C57 | |
当初はC55の増備車の予定であったが、ボイラー使用圧力の上昇や動輪の変更などのマイナーチェンジが行われたため、新たにC57という形式になった。1937年から47年にかけて201両が製造されている。細く美しい姿から「貴婦人」と呼ばれ、優等列車からローカル輸送まで幅広く活躍した。2両が動態保存されており、静態保存機は30両程度ある。 | |
○C57-1 1972年に車籍を残したまま梅小路蒸気機関車館の保存車の1つとなり、1979年に「やまぐち号」として国鉄のSL旅客列車が復活した際、その牽引機に抜擢された。その後も、一度も現役を退くことなく「やまぐち号」などで活躍している。 |
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1989.8 C57-1:津和野駅 | 2012.10 C57-1:津和野駅 |
○C57-180 1969年の廃車後、新津市内の小学校で保存されていたもの。1998年から復元が始まり、1999年に復活を果たした。おもに「ばんえつ物語」で使用されている。 |
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2016.10 C57-180:会津若松駅 | |
○C57-26 宇都宮、浜松、亀山などで活躍し、1971年に廃車となった。行田市の水城公園で保存されている。 |
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2022.4 C57-26:行田市水城公園 | |
○C57-44 C57は四国での使用実績が無いのだが、1976年の廃車後、なぜか愛媛県の西条市市民公園で保存された。2014年に四国鉄道文化館に移設されている。 ○C57-139 1971年の廃車後、国鉄名古屋教習所で保存されていたもので、2011年にリニア・鉄道館に移設された。 |
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2016.10 C57-44:四国鉄道文化館 | 2015.11 C57-139:リニア:鉄道館 |
○C57-186 1975年の廃車後、東京の小金井公園で保存されている。32系客車を連結し、ホームも作られているため現役のような姿である。 ○C57-189 1971年の廃車後、加悦SL広場で保存されている。 |
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2016.11 C57-186:小金井公園 | 1995.5 C57-189:加悦SL広場(右) |
C58 | |
旅客だけでなく貨物列車にも使用できる万能機として開発されたもので、国鉄唯一の1C1(プレーリー)が採用されている。1938年から47年にかけて427両が製造され、SLとしてはD51に次ぐ両数である。2両が動態保存されているほか、静態保存機は40両以上ある。 | |
○C58-239 1972年の廃車後、盛岡市交通公園で保存されていたもの。2012年から復元整備が始まり、2014年に釜石線「SL銀河」として復活した。 ○C58-363 1972年の廃車後、埼玉県の吹上小学校で保存されていたもの。1987年に車籍を復活し、復元整備をして1988年から秩父鉄道で「パレオエクスプレス」として運行している。 |
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2017.6 C58-239:青笹付近 | 2003.3 C58-363:秩父鉄道 |
○C58-1 1972年に車籍を残したまま梅小路蒸気機関車館(現在の京都鉄道博物館)の保存車の1つとなり、1979年から運行を開始した「SLやまぐち号」の予備機となった。しかし故障などもあって1984年に撤退し、1987年から静態保存車となっている。 ○C58-48 1974年の廃車後、大阪市内の民間企業が保管していたもので、C56-98と同じく2001年に嵯峨野駅前に移設、そして2003年にトロッコ嵯峨駅前の「19世紀ホール」で展示されている。 |
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2022.10 C58-1:京都鉄道博物館 | 2016.5 C58-48:トロッコ嵯峨駅 |
○C58-98 1975年の廃車後、深川市の桜山公園で保存されている。なぜか手前に立ち入り禁止のロープがあって近づけなかった。 ○C58-139 1975年の廃車後、湧別町の郷土資料館で保存されていたもので、湧網線の廃止後に計呂地駅跡に移設されている。2015年に再び訪れた時には、上屋が整備され、後ろの変な色の客車は茶色に戻っていた。 |
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2016.9 C58-98:深川市桜山公園 | 1993.9 C58-139:湧網線計呂地駅跡 |
○C58-389 天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅前で保存されている。 |
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2021.9 C58-389:天竜二俣駅前 | |
C59 | |
C53は、高性能であったが故に保守の手間が大きく、2年で製造が終了していたことから、優等列車向けの後継機として開発されたもの。国鉄最後の2C1(パシフィック)で、1941年から47年にかけて173両が製造された。C62の登場や電化の進展により役割が減少すると、47両はC60に改造されている。1970年9月の呉線電化により定期運用が無くなった。保存機は3両のみである。 | |
○C59-1 1965年の廃車後、小倉工場で保管されていたもので、2003年に九州鉄道記念館に移設され展示されている。 ○C59-164 1972年に車籍を残したまま梅小路蒸気機関車館(現在の京都鉄道博物館)の保存車の1つとなり、最後の呉線運用のうちの1機でもある。1979年に車籍を抹消して静態保存となっている。 |
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2016.8 C59-1:九州鉄道記念館 | 2022.10 C59-164:京都鉄道博物館 |
C60 | |
C59の軸重を軽くするため、従台車を追加して2C2(ハドソン)としたもの。1953年から61年にかけて47両が改造されている。おもに東北地方と九州地方で使用され、1968年の東北本線電化、1971年の鹿児島本線電化により役割を失った。保存機は1両のみである。 | |
○C60-1 C59-27からの改造で、1968年の廃車後、仙台市の西公園で保存されている。現在、屋根の設置などの工事中である。 |
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2016.9 C60-1:仙台市西公園 | |
C61 | |
戦後の旅客需要の急増に対応するために登場した、戦後最初の旅客用機関車。新造車にはGHQの統制があったため、D51の改造名義であるが、実際にはボイラーなど一部の部品しか流用されていない。国鉄初の2C2(ハドソン)で、1947年から49年にかけて33両が製造されている。奥羽本線や日豊本線などで使用され、1974年に定期運用を終えている。2両が動態保存されており、他に静態保存機が1両ある。 | |
○C61-2 1972年に梅小路に転属し、動態保存されているもの。1979年に車籍が抹消されたが、1987年に復活している。本線走行は行わず、京都鉄道博物館のSLスチーム号に使用されている。 ○C61-20 1973年の廃車後、伊勢崎市の華蔵寺公園で保存されていたもの。2010年に復元が始まり、2011年から上越線などでイベント列車の牽引を行っている。 |
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2017.12 C61-2:京都鉄道博物館 | 2016.5 C61-20:高崎問屋町付近 |
C62 | |
C61と同じ経緯で登場したもので、こちらはD52の改造名義となり、優等列車向けの設計である。1948年から49年にかけて49両が製造された。東海道・山陽本線の優等列車で大幅なスピードアップを果たし、「シロクニ」は旅客用SLの代名詞ともなっている。晩年は北海道で使用され、1973年に定期運用を終了した。過去も含めて2両が動態保存されたほか、静態保存機が3両ある。 | |
○C62-2 デフレクターにつばめマークが取り付けられ、C62の中でも最も人気があった車両。1972年に車籍を残したまま梅小路蒸気機関車館(現在の京都鉄道博物館)の保存車の1つとなった。1973年を最後に自力本線走行は行っていないが、構内走行は行われている。 ○C62-3 1976年の廃車後、小樽市の北海道鉄道記念館で静態保存されていたが、国鉄分割民営化イベントに合わせて復活した。そして1988年から「SLニセコ号」を牽引したが、資金難から1995年限りで運行を終了、1996年に静態保存に戻っている。現在は苗穂工場で保管されている。 |
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2020.1 C62-2:京都鉄道博物館 | 1990.8 C62-3:ニセコ駅 |
○C62-1 1967年の廃車後、広島機関区や広島鉄道学園で保管されていたもので、1994年に梅小路蒸気機関車館(現在の京都鉄道博物館)へ移設されている。 ○C62-26 1971年の廃車後、大阪市の交通科学館で展示されていたもので、京都鉄道博物館の開館に合わせて移設された。1・2号機は機関庫にいるが、こちらは入口を入ってすぐの所で展示されている。 |
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2016.6 C62-1:京都鉄道博物館 | 2016.6 C62-26:京都鉄道博物館 |
○C62-17 蒸気機関車の日本最高速度記録保持機で、1971年の廃車後、名古屋市の東山動物園で保存されていた。2011年、リニア・鉄道博物館に移設されている。 |
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2015.11 C62-17:リニア・鉄道館 |
蒸気機関車-旅客用テンダー機