スペインのもととなるのは、5世紀にガリアからヒスパニアにかけて進出したゲルマン族の西ゴート王国である。7世紀にはイベリア半島をほぼ統一するが、711年ウマイヤ朝の侵入により滅亡した。同時に国土回復運動(レコンキスタ)が始まり、800年近くにわたるイスラムとキリストの争いの場となった。そしてカスティーリャ王国とアラゴン王国はスペイン王国に統合、1492年グラナダを攻略してイスラム勢力が一掃された。直後の16世紀にはスペイン・ハプスブルグ朝が成立、また大航海時代の先駆けとして新大陸に進出し全盛期を迎えるが、17世紀以降は次第に衰えていった。

  560年 西ゴート王国、トレド遷都
  711年 ウマイヤ朝侵入、西ゴート王国滅亡
  718年 アストゥリアス王国(のちのレオン王国)成立、レコンキスタ開始
  824年 ナバラ王国成立
 1035年 ナバラ王国分割、カスティーリャ王国・アラゴン王国誕生
 1085年 トレド攻略
 1236年 コルドバ攻略
 1479年 カスティーリャ王国とアラゴン王国の同君連合成立(スペインの統一)
 1492年 グラナダ攻略、レコンキスタ完了
 1492年 コロンブス、新大陸発見
 1516年 スペイン・ハプスブルグ朝成立、スペイン帝国時代
 1635〜59年 フランス・スペイン戦争
 1701〜13年 スペイン継承戦争
 1808年 ナポレオン侵攻
 1936年 スペイン内戦

マドリード州
 マドリード
 マドリードは、イスラム時代は砦があるだけであった。1085年、カスティーリャ王国がトレドを奪還する際にここもイスラム支配下から解放された後もこの地方の中心はトレドであったが、1561年、フェリペ2世が宮廷をマドリードに移したことで、スペインの首都として発展することになる。
 卒業旅行はアメリカとヨーロッパを1回でまわるという壮大なもので、アメリカに4日間滞在した後マドリードに朝降り立った。観光はスペイン広場からスタートして王宮へ。1764年に完成した建物で、金色に輝く豪華な部屋が続く。天井画が見事だった。
1994.2 スペイン広場 1994.2 王宮
 次はマヨール広場へ。フェリペ3世が1619年に完成させたものだが、大きな火災があって1854年に再建されている。そのまま東へ進んで、かつての宮殿の跡であるレティーロ公園を散策した後、プラド美術館に入った。プラドは、正直なところ好みの絵ではなく、印象に残っていない。
 なお、プラド通りとレティーロ公園は、多くの都市計画のモデルになったとして、2021年に世界遺産に登録された。
1994.2 マヨール広場 1994.2 レティーロ公園(世界遺産)
 ☆世界遺産「プラド通りとブエン・レティーロ」   2021年登録
カスティーリャ・ラ・マンチャ州
 トレド(世界遺産)
 6世紀には西ゴート帝国の首都として栄るが、711年にイスラム勢力が占領。1085年に、カスティーリャ王国が長い包囲戦の末攻略し、レコンキスタ(国土回復運動)の1つの転機となった。イスラム、キリスト、ユダヤなど様々な文化が融合した街である。
 1日だけのポルトガル訪問から夜行列車でマドリードに戻って、すぐトレドへ向かう。駅から少しあるくと、いよいよ旧市街の入り口アルカンタラ橋とアルカサルが見えてきた。旧市街の中ではアルカサルやカテドラル、サント・トメ教会などをまわったが、やはりここの魅力は街そのものであると思う。
1994.2 アルカンタラ橋、アルカサル 1994.2 カテドラル
 旧市街をひとまわりした後、サン・マルティン橋からタホ川の対岸に渡って旧市街を眺めた。道は大きく迂回していてだいぶ歩くことになったが、ここからの風景は最高だった。
1994.2 タホ川対岸より
カテドラル・アルカサル
1994.2 タホ川対岸より
1994.2 トレド旧市街全景
 ☆世界遺産「古都トレド」   1986年登録
 アランフェス(世界遺産)  
 アランフェスは15世紀末にスペイン王家の土地となり、16世紀からは王家の春と秋の別荘として王宮の建設が始まった。完成したのは、なんと18世紀になってからである。
 トレドが楽しくて時間をかけすぎたので、アランフェスの駅に着いたのは18時を過ぎていた。駅前は静かな並木道で、すぐに王宮がある。しかし、当然ながらもう中には入れないので、すぐに駅へ戻った。
1994.2 王宮
 ☆世界遺産「アランフェスの文化的景観」  2001年登録
カスティーリャ・イ・レオン州
 セゴビア(世界遺産)  
 ローマ時代の壮大な水道橋が残るこの街は、中世に入っても重要な街であり続ける。1474年にはイザベル1世がここでカスティーリャ王国の女王となることを宣言し、また1570年にはフェリペ2世がここで結婚式を挙げている。今も旧市街がよく残されている。
 ローマ水道橋の脇から旧市街へ入る。最初に目につくのはカテドラルで、1525年に建設が始まり、完成したのは何と1768年。高さ88m、奥行105mという規模である。
2012.9 カテドラル 2012.9 カテドラル内部
 旧市街の最も西にあるのがアルカサル。ローマ時代に要塞があった場所で、現在の城は13世紀初めに築かれた。白雪姫のモデルになったといわれている。
 アルカサルの内部は、城というより宮殿のような豪華さである。しかし最も印象に残ったのは、塔の上から見た旧市街全景であった。城の美しい外観も見たいので、サンティアゴ門から旧市街を出て、エレスマ川の対岸に向かうと、川岸が公園のようになっていて、ここから見上げるアルカサルが最も美しかった。
2012.9 アルカサルより 旧市街全景 2012.9 対岸よりアルカサル
 エレスマ川の対岸に行ったもう1つの目的は、ラ・ベラクスル教会である。13世紀にテンプル騎士団によって建てられたもので、珍しい12角形である。街はずれにぽつんと建つ素朴な教会で、雰囲気がいい。セゴビアには、他にも12世紀のサン・ミリャン教会とサン・クレメンテ教会、13世紀のサン・エステバン教会と歴史的な建物があちこちにあり、まる一日たっぷり楽しんだ。
2012.9 ラ・ベラクルス教会 2012.9 サン・エステバン教会
2012.9 サン・ミリャン教会 2012.9 サン・クレメンテ教会
 ☆世界遺産「セゴビア旧市街とローマ水道橋」   1985年登録
 アビラ(世界遺産)  
 アビラはローマ帝国の植民都市を起源とする。イスラムの時代を経て、1085年にアルフォンソ6世がここを奪還すると、強固な城壁が築かれた。またここは、聖女テレサが生まれ育った聖者の街でもある。
 セゴビアからバス1時間ほどでアビラに到着。まずは荷物を預けようと思ったが、バスターミナルも駅も預けられる場所が無い。最近はテロ対策のため荷物預けがほとんど無くなっているようで、スーツケースを持ったまま観光せざるをえなくなってしまった。カテドラルも荷物をもったままでは迷惑なので、2人で交互に中に入るなど、相当不便である。行動が制限されると勘も働かないのか、サンタ・テレサ修道院を見つけることができなかった。
2012.9 カテドラル 2012.9 サン・ビセンテ門
 アビラ一番の楽しみは、クアトロ・ポステスからの旧市街の眺めである。旧市街を囲む城壁は塔が一定間隔で並んでいて、とても見ごたえがある。城壁の外側が空地になっているので、街の形がわかってとても絵になる風景だった。
2012.9 クアトロ・ポステスより 旧市街全景
 ☆世界遺産「アビラ旧市街と市壁外の教会」   1985年登録
アンダルシア州
 セビーリャ(世界遺産)  
 セビーリャは、ローマ時代、西ゴート時代から栄えた街。イスラム時代にはイベリア半島の主要都市の1つとなり、イスラム勢力の分裂時代にはセビ−リャ王国がコルドバを攻略したこともある。1248年にカスティーリャ王国が奪還したあとは、新大陸に向けた港湾都市として大航海時代を支え、16〜17世紀にはスペイン最大の都市となっている。
 グラナダから夜移動したので、観光は少し遅めの朝にスタート。まずはアルカサルに入る。アルカサルは、イスラム時代の城を14世紀に王宮として改築したもので、あえてイスラム風にしたムデハル様式といわれる建築である。敵国の文化を取り入れるという所は面白い。
1994.2 アルカサル 大使の間 1994.2 アルカサル 中庭
 カデドラルは、1401年にイスラムのモスク跡に建築が始まり、1519年に完成した。ヨーロッパではローマのサンピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ規模である。鐘楼にあたるヒラルダの塔はイスラム時代のミナレットがそのまま転用されている。
1994.2 カテドラルとヒラルダの塔 1994.2 ヒラルダの塔より
 ☆世界遺産「セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館」  1987年登録
カタルーニャ州
 バルセロナ(世界遺産)  
 バルセロナの歴史は複雑である。街の起源はローマ時代で、西ゴート王国ののちイスラム勢力に占領される所までは他のスペインの都市と同じであるが、レコンキスタが始まる前の801年にフランク王国の領土となる。986年にはバルセロナ伯領として独立を果たし、のちにカタルーニャ君主国に発展、海外にも領土を持つ大国となった。しかしスペインが統一された後は中心がマドリードに移り、18世紀のスペイン継承戦争に敗れたことで自治権も完全に失っている。なお、現在の街の大半は、19世紀に碁盤の目のように新しく整備されたものである。
 マドリードから夜行で到着して、すぐにサグラダ・ファミリアへ。言わずと知れた建築家ガウディの作品で、1882年に着工されて未だに完成していない。それどころか、ガウディの生存中にできたのは生誕のファザードと地下聖堂、4本の塔などで、現在でも18本の塔のうち8本しかできていないというスケールの大きい話である。生誕のファザードの彫刻は緻密で圧倒される。サグラダ・ファミリアの塔は途中まで登れるが、迷路のようで、外が見えるところも少ない。
1994.2 サグラダ・ファミリア 1994.2 サグラダ・ファミリア 生誕のファザード
 次は地下鉄で移動してカデドラルへ。バルセロナ全盛期の1298年に建設が始まり、150年かけて完成したもので、正面のファサードは19世紀に改装されている。この後ガウディ初期のグエル邸に行ったが、ここは変わった建物には見えなかった。
1994.2 サグラダ・ファミリアより 1994.2 カテドラル
 18年ぶり2度目のバルセロナでは、ガウディと同時代の建築家、ドメネク・イ・モンタネールの作品を目指した。まずは1908年に完成したカタルーニャ音楽堂。ガウディほどの奇抜さはないが、斬新な外観は負けず劣らずといった感じである。内部はガイドツアーでないと入れないので待たされることを覚悟していたが、幸い50分後のツアーで入ることができた。何といっても天井のシャンデリアが印象的である。
2012.9 カタルーニャ音楽堂 2012.9 カタルーニャ音楽堂
2012.9 舞台の壁画 2012.9 天井のシャンデリア
 少し時間が余ったので、バルセロナの街を散歩しながらガウディの建物を見学。カサ・バトリョは1906年、カサ・ミラは1910年に完成したものである。
2012.9 カサ・バトリョ 2012.9 カサ・ミラ
 地下鉄で移動し、ドメネクのもう1つの傑作、サン・パウ病院へ。1902年に着工され、ドメネク死後の1930年に完成したもので、2009年まで病院として使われていたという。サン・パウ病院の真正面にはサグラダ・ファミリアが見えているので近づいてみたが、18年前より明らかに工事が進んでいた。なお、2010年に聖堂内部が完成して正式なカトリック教会になったようである。
2012.9 サン・パウ病院 2012.9 サグラダ・ファミリア
 ☆世界遺産「アントニ・ガウディの作品群」 1984年登録(グエル公園、グエル邸、カサ・ミラの3ヶ所)
  2005年追加登録(サグラダ・ファミリア(生誕のファザードと地下聖堂)、カサ・ヴィセンス、カサ・バトリョ、
    コロニア・グエル教会地下聖堂の4ヶ所)

  世界遺産「バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院」 1997年登録    

スペイン王国