かつてヌビアと呼ばれたスーダンの歴史は、エジプトの歴史と密接な関わりがある。エジプト古王国時代と同じ紀元前2500年頃、ヌビア北部にケルマ王国が成立した。1000年にわたって栄え、エジプト中王国が衰退した時期にはエジプトに攻め込むが、紀元前16世紀にエジプト新王国が成立するとその支配下に入った。やがて新王国が衰えると、エジプト支配下から離れ、紀元前9世紀頃にクシュ王国が成立している。紀元前4世紀頃まではナパタを首都としたので、ナパタ王国とも呼ばれる。全盛期にはエジプトを支配し、ブラックファラオと言われる黒人を王を誕生させた。エジプト支配は100年ほどで終わるが、クシュ王国は紀元4世紀まで1300年にわたって続いている。

 BC9世紀   クシュ王国成立
 BC760   カシュタ即位、エジプトへの進出はじまる
 BC747   ピイ、下エジプトを平定しエジプト第25王朝(黒人王朝)成立
 BC701   シャバタカ、イスラエルでアッシリアに敗れる
 BC671・667 タハルカ、アッシリアに大敗しエジプトを失う
 BC656   タヌゥトアマニの死によってエジプト第25王朝終焉
 BC4世紀  王国の中心がメロエに移る

スーダン北部
 ゲベル・バルカル(世界遺産)  
 紀元前15世紀頃、エジプトのトトメス3世は、ヌビア支配の拠点としてゲベル・バルカルに大神殿を建設した。ここを聖地としたのは、右の写真にある岩が、王の力の象徴、コブラに似ていたためと言われる。クシュ王国成立後もエジプトの神が信仰されたため、ここは引き続き聖地となり、神殿の改修や増築が行われている。
 昼間の観光に時間がかかったので、ゲベル・バルカル到着は18時15分。この日は丘に登って夕陽をみることになる。急な岩場を15分ほどで登ると、上は真っ平だった。ちょうど夕陽の方向にあるピラミッド群が美しい。山頂を横断した所からは神殿群を見下ろすことができるが、垂直の崖の真下にあるので、覗き込むだけでかなり怖かった。
2013.9 ゲベル・バルカルの丘より
ピラミッド群と夕陽
2013.9 コブラ岩
2013.9  アメン大神殿を見下ろす
 翌朝は神殿群の見学。前日に丘から見下ろしたアメン大神殿に向かう。入口はアメン神の聖獣とされたヒツジのスフィンクスがあるが、どれも壊されている。神殿も柱がいくつか残るほかは礎石のみであるが、往時の規模は感じられた。
2013.9 アメン大神殿とゲベル・バルカルの丘 2013.9 アメン大神殿
 コブラ岩の下の方へ行くと、ハトホル柱が目印のムト神殿がある。ここは内部が見られる所で、神殿内の壁はエジプトの神々で埋め尽くされていた。中でも注目は入って右側にあるゲベル・バルカルの山をモチーフにした壁画で、コブラ岩がはっきりと描かれていた。
2013.9 B700号神殿 2013.9 ムト神殿のハトホル柱
2013.9 ムト神殿内部 2013.9 ムト神殿内部
 クッル遺跡  
 クッル遺跡は、エジプトの王家の谷のように王の墓が集まっている所で、ファラオとなった5人のうち4人はここに眠っている。ゲベル・バルカルから見て死者の方角である西側に位置するが、このあたりではナイル川が南北でなく東西に流れているため、川を挟んで生者と死者が分かれるというエジプトのルールとは異なっている。墳墓のほとんどは破壊されていて地上に見るものは無いが、2つの墓の内部を見学できた。真っ暗なので写真はうまく撮れなかったが、左の壁に生前の姿、正面に死んだ時の儀式、そして右の壁は復活の儀式と、絵巻物のようになっている様子が興味深かった。
2013.9 クッル遺跡の墳墓
2013.9 タヌゥトアマニ王の墓内部 2013.9 カルハタ(シャバカ王の妻)の墓内部
 ヌッリ遺跡  
 黒人王朝のファラオのうち、タハルカだけはクッルに墓を造らず、ヌッリを墓所とした。ここはゲベル・バルカルから見て東側、太陽が昇る方向なので、それまでの墓の概念を壊すものである。次のタヌゥトアマニはまたクッルに戻るが、その後の王のうち少なくとも20人はヌッリを墓所としていて、今もピラミッド群が残されている。多くは崩れかけているので怖くて登れないが、タハルカの墓はなだらかな丘のようになっていて、自由に上ることができた。
 なお、スーダン初の世界遺産「ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群」の、「ナパタ地方の遺跡群」には、クッル遺跡とヌッリ遺跡が含まれている。
2013.9 左がタハルカの墓
2013.9 ヌッリのピラミッド群

クシュ王国 -ナパタ