紀元前9世紀に誕生したクシュ王国は、当初はゲベル・バルカルのあるナパタ地域が中心であったが、紀元前4世紀頃にメロエに移る。これは、エジプトからの侵攻に備えるためや、紅海方向への交易のルートを考えたためなどの理由が考えられるが、まだわかっていない。そして、メロエ時代は使う文字も独自のメロエ文字に変わっていく。メロエ文字はまだ解読されておらず、クシュ王国の歴史は新しい時代ほどわからないことが多くなるのである。クシュ王国は地中海世界がローマに統一された後も独立を保つが、350年頃エチオピアのアクスム王国に滅ぼされ、約1200年の歴史に幕を下ろした。

スーダン北部
 メロエ(世界遺産)  
 エジプトを一時期支配したクシュ王国の王たちは、ナパタ時代にはヌッリなどにエジプトを模倣したピラミッドを建造していたが、メロエに移った後もピラミッド建造は続く。その場所は王都の東の一角で、少なくとも30以上のピラミッドが今も林立している。ここは連泊だったので、ゆっくり見てまわることができた。
 まずは南のピラミッド群。ここはアマニスロやアルカマニなどメロエ時代初期の王の墓がある。ほとんどが崩れているか修復されているかのどちらかなので、見どころは少なかった。北のピラミッド群の全景が遠くに見えていて、ちょうどいい展望台という感じである。 
2013.9 南のピラミッド群 2013.9 北のピラミッド群全景
 続いて北のピラミッド群に移動。ここはピラミッドが一列に並んでいるので、とても絵になる。メロエのピラミッドの特徴は、ピラミッドの前に前室と塔門があり、エジプトの神殿のようになっていることだが、その塔門や前室の壁にはエジプトの神々などのレリーフが残っていた。メロエ時代は女性の力が強かったようで、塔門が2つある最も規模の大きい墓は女王シャナクドアケトのものだった。
2013.9 北のピラミッド群 右は女王シャナクドアケトの墓
2013.9 女王シャナクドアケトの墓内部 2013.9 北のピラミッド群
 一度車に戻って、メロエの王都跡に向かう。途中にある西のピラミッド群で下車して、立入禁止と思われるエリアまで見学した。ゲベル・バルカルでもメロエでも他の観光客が全くいないので、世界遺産を貸切りしたようである。
 続いて王都へ。ここの中心はアメン神殿だが、礎石しか残っていない。周辺にはいくつかの小神殿があるが、形があるものは僅かであった。また奥の方にはローマ風呂があるということだったが、鍵がかかっていて中に入れず、窓から一生懸命のぞきこんだがよくわからなかった。
2013.9 西のピラミッド群 2013.9 王都のアメン神殿
2013.9 礼拝堂
アマニシェフト女王の神殿?
2013.9 ローマ風呂?
 ピラミッド群と王都の観光は午前中で終わり、夕方まで休憩となる。そして17時頃、夕陽をみに再び北のピラミッド群へ向かった。少し雲があったので地平線に沈む夕陽はみられなかったが、幻想的な風景をたっぷり堪能できた。
 
2013.9 夕陽に染まる北のピラミッド群  2013.9 北のピラミッド群の日没
 ムサワラット遺跡  
 メロエの翌日は、ムサワラットとナガーの遺跡へ。舗装道が無く、前日は雨の影響で道が通れなかったようなので心配したが、何度かぬかるみにはまりながらも辿りつくことができた。
 ムサワラットは、メロエと同じ時代の神殿が多く集まっている。なぜナイル川からだいぶ離れたこの場所に神殿が建てられたのか、納得がいく説明はなく、情報も少ないのでよくわらかない。ただ、列柱やゾウの像など見所は多い所であった。
 
2013.9 100号神殿 2013.9 ゾウの像 
2013.9 200号神殿
奥は100号神殿
2013.9 300号神殿 ベス神の装飾
 メインの神殿から少し離れた所に、アペデマク神殿がある。雨の影響で車では行くことができないので、片道15分ほど歩いて行った。アペデマクとはヌビアの神で、この時代にはエジプトの神の上位にいる。壁一面に神々のレリーフが残っていて、頑張って歩いた甲斐がある遺跡だった。
2013.9 アペデマク神殿 2013.9 アペデマク神殿のレリーフ
 ナガー遺跡  
 昼食後、さらにぬかるみのダートを進んでナガー遺跡へ。ここは本当に事前の情報が何もない所だったが、ムサワラット遺跡と雰囲気はよく似ていた。いちばん印象的だったのはキオスクで、小さいけれど絵になる。アメン神殿も入口の羊の像などの保存状態がよく、往時の様子をイメージしやすい遺跡である。
 
2013.9 キオスク 2013.9 ライオン神殿 
2013.9 アメン神殿

クシュ王国 -メロエ