美濃町線(徹明町〜美濃24.5km)
 美濃電気軌道によって建設された軌道線。名鉄となった後に起点が変更されている。名鉄の600V区間全廃の方針により、揖斐線などとともに廃止された。

  1911.2.11 美濃電気軌道神田町(のちの岐阜柳ヶ瀬)〜上有知(のちの美濃町)間開業
  1923.10.5 美濃町駅を移設(のちの美濃)
  1930.8.20 合併により名古屋鉄道となる(のち名岐鉄道)
  1935.8.1  合併により名鉄美濃町線となる
  1950.4.1  岐阜柳ヶ瀬〜梅林間を徹明町〜梅林に移設
  1999.4.1  関〜美濃間廃止
  2005.4.1  全線廃止

 乗車したのは白川郷へ行った帰りだったので、全線暗闇の中でしか乗っていない。写真の美濃駅は01年に先行廃止されている。また右の写真はどの駅か忘れてしまった。
 
1998.2 美濃駅  1998.3
 廃線跡を訪れたのは廃止6年後。線路こそ撤去されているものの、路盤やホームは比較的残っていた。ただ小屋名より北側は廃線跡を見失ってしまった。 
2011.4 北一色駅跡@ 2011.4 野一色〜琴塚間A
2011.4 琴塚駅跡B 2011.4 岩田坂駅跡C
2011.4 下芥見〜上芥見間D 2011.4 小屋名駅付近E
 谷汲線(黒野〜谷汲11.2km)
 谷汲山華厳寺の門前町へ向かう路線として、谷汲鉄道により建設された路線。戦時中に名鉄となっている。利用者が少なかったことから、名鉄600V区間全廃より一足はやく2001年に廃止されている。
  1926.4.6  谷汲鉄道黒野〜谷汲間開業
  1944.3.1  合併により名鉄谷汲線となる
  2001.10.1 全線廃止

 谷汲線は廃止前に乗るはずであったが、八百津線でもたもたしているうちに日が暮れそうになってあきらめたという因縁がある。罪滅ぼしに早く廃線跡を訪れたいと思っていたので、この時は時間が無い中で谷汲駅だけでもと見に行った。駅跡はほぼ現役時代のまま残され、電車も保存されていてまだ営業しているようである。ファンも何人かいて、人気の高さが感じられた。少しだけ線路跡も歩いてみたが、林の中に一直線に続いていていい雰囲気である。 
2004.11 谷汲駅跡@ 2004.11 谷汲駅付近@
 2011年には、黒野から北上した。廃止から10年たっているが、ほとんどの駅でホームが残されている。とくに北野畑はお花に囲まれていい雰囲気だった。 
2011.4 黒野北口駅跡D 2011.4 豊木駅跡C
2011.4 北野畑駅跡B 2011.4 赤石駅付近A
 揖斐線(忠節〜本揖斐18.3km)
 岐北軽便鉄道が前身であるが、経営がきびしく、美濃町線を開業させた美濃電気軌道に合併された。名鉄となった後の1954年に岐阜市内線と接続し、1967年からは新岐阜駅前までの乗り入れが始まっている。2003年に名鉄が600V区間全廃の方針を表明すると、自治体の支援や公設民営などさまざまな存続案が検討されたが、どれも実現には至らず廃止されている。

  1914.3.29  岐北軽便鉄道忠節〜北方町(のちの美濃北方)間開業
  1921.11.10 合併により美濃電気軌道北方線となる
  1926.4.6   美濃北方〜黒野間開業
  1928.12.20 黒野〜本揖斐間開業
  1930.8.20  合併により名古屋鉄道となる(のち名岐鉄道)
  1935.8.1   合併により名鉄揖斐線となる
  1954.12.21 岐阜市内線と接続する
  2001.10.1  黒野〜本揖斐間廃止
  2005.4.1   全線廃止

 揖斐線に乗車したのは2004年。2001年に黒野-揖斐間が廃止されていたので、この時は黒野が終点であったが、1年と経たずに全線廃止になってしまった。県庁所在地である岐阜の基幹鉄道があっさり無くなるとは少しショックであった。 
2004.11 黒野駅F
 廃線跡を訪れたのは2011年。楽しみにしていた伊自良川橋梁は跡形も無くなっていた。しかしホームが残っている駅は多く、美濃北方には雰囲気のいい木造駅舎が残されていた。 
2011.4 旦ノ島〜尻毛間K
2011.4 美濃北方駅跡J 2011.4 美濃北方駅跡J
2011.4 真桑駅跡I 2011.4 真桑〜政田間H
2011.4 政田駅跡G 2011.4 中之元駅跡E
 岐阜市内線
 

名鉄美濃町線・揖斐線・谷汲線