もともとは旭川と稚内を結ぶ本線として建設され、幌延まわりの完成後は支線に転落した。存廃の基準となった輸送密度は600人、収支係数887で、第2次特定地方交通線の基準を満たしていたが、長大な路線であるため一度は留保され、後に追加承認されて1989年に廃止となっている。国鉄廃止線の中で最も距離の長い路線である。

  1914.11.7 宗谷線音威子府〜小頓別間開業
  1922.11.1 宗谷線音威子府〜浜頓別〜稚内(現南稚内)間全通
  1930.4.1  宗谷線音威子府〜幌延〜稚内間全通により、浜頓別まわりは北見線と改称
  1961.4.1  天北線と改称
  1985.8.2  第2次特定地方交通線として廃止承認
  1989.5.1  全線廃止 
  1932 1937 1949 1956 1960 1965 1970 1973 1977 1980 1983 1986
 輸送人員(千人/日) 0.9 1.3 3.1 4.7 5.8 6.2 4.2 3.5 2.6 2.0 1.5 1.3
 輸送密度(千人/日) 0.1 0.2 0.5 0.7 1.0 1.3 0.9 0.8 0.6 0.5 0.4 0.3
 貨物輸送量(万t/年) 9.4 25.6 39.0 50.0 67.7 69.0 33.4 19.8 8.6 6.4 1.9
営業中
 乗車した時は廃止が決定していたわけではないのでかすかな期待を寄せていたが、1年後には廃止してしまった。雪煙をあげる急行天北との交換が印象に残っている。 
1988.3 敏音尻駅にて 1988.3 敏音尻駅
廃線跡
 天北線(音威子府〜南稚内148.9km)
 宗谷本線から分かれてすぐの所から、廃線跡は立派な2車線道路になっている。天北通りという名が付いていた。
2015.9 南稚内〜声問間@
 恵北、沼川、曲淵、小石と、駅跡はいずれも小さな公園になっているが、当時の遺構は見つからない。曲淵〜小石間は、長い間国鉄で最も駅間距離が長い区間だったが、道路から離れた森の中を通っていて近づくことはできなかった。 
2015.9 恵北駅跡A 2015.9 沼川駅跡B
2015.9 曲淵駅跡C 2015.9 小石駅跡D
 鬼志別駅跡を過ぎてから猿払駅跡までは、廃線跡が立派な道路になっている。人家も車もまったく見られない、何のために作ったかわからない道路である。  
2015.9 鬼志別駅跡E 2015.9 芦野駅跡付近F
2015.9 猿払駅跡G
 猿払駅跡を過ぎると、廃線跡は自転車道になる。ちょうど線路の幅くらいで、適度に荒れているので雰囲気がいい。浅茅野、飛行場前、山軽の各駅はホームも残っていて、飛行場前の木造のホームは朽ちかけていた。
2015.9 猿払〜浅茅野間H 2015.9 浅茅野駅跡I
2015.9 飛行場前駅跡J 2015.9 山軽駅跡K
 ターミナルだった浜頓別駅跡は、立派なバスターミナルに変わっていて面影は無い。このあたりは廃線跡がどこにあったかもよくわからない。  
2015.9 浜頓別駅跡L
 下頓別は、ホームが残っていて雰囲気がいい。中頓別は立派なバスターミナルになっていて、変な色のディーゼルカーが保存されてはいるものの、鉄道時代の雰囲気は感じにくい。
2015.9 下頓別駅跡M 2015.9 中頓別駅跡N
 松音知は、天北線の駅でもっとも雰囲気がよかったところ。ホームだけで無くレールまで残っていて、きちんと除草もしてある。周囲に人家は無く、秘境駅のようだった。
2015.9 松音知駅跡O
 敏音知駅跡は、新しいバスターミナルが建てられていて、モニュメントだけがある。上頓別は空き地、小頓別は公園になっていて、鉄道の面影はない。上音威子府はわかりにくい所にあって見つけるのに苦労したが、ホームが残っていた。
2015.9 敏音知駅跡P 2015.9 上頓別駅跡Q
2015.9 小頓別駅跡R 2015.9 上音威子府駅跡S

天北線