玉川電気鉄道は、もとは多摩川の砂利運搬を主目的としたもの。開業時は1067mmで、1920年に東京市電に合わせて1372mmに改軌している。また、世田谷線・砧線のほかにも3つの支線があったが、天現寺線と中目黒線は1948年に東京都電へ譲渡し、溝の口線は田園都市線に編入された。新玉川線の建設に伴い、1969年に玉川線と砧線が廃止され、世田谷線のみ残っている。
戦前
 1067mm
 電動車15両と付随車7両が在籍した。1920年の改軌時に、上田温泉電気、駿遠電気に譲渡されている。
 1372mm
 最初の15両は木造単車、16号からは木造ボギー車で、46号から半鋼製となった。玉川電気鉄道由来の車両は玉川線廃止時に消滅し、保存車は無い。
玉川電気 東急 両数  登場  消滅  備考
1-15 15 1920.8 1941.10
16-30 1-15 15 1920.12-24.6 1953.5
31-35 5 1925.1 1940.1
36-45 20-29 10 1925.6 1953.5
46-55 30-39 10 1927.4 1969.5
56-66 41-52 12 1928.7-29.3 1969.5
71-75 61-65 5 1940.1 1969.5 31号形鋼体化
戦後〜1960年代
 70・80形
 デハ70形は、東急となって最初に製造された戦時中の車両。デハ80形は戦後になってからの登場である。玉川線廃止後も、デハ70形の全車とデハ80形6両は世田谷線で活躍した。玉川線廃止時に江ノ電へ譲渡されたうちの1両が、宮の坂駅前で保存されている。
   
1994.5 デハ80形 2015.11 もとデハ80形:宮の坂駅 
形式 番号 両数  登場  消滅  備考
デハ70形 71-78 8 1943.3-46 2000.12
デハ80形 81-108 28 1950.1-53.5 2001.2
 200形
 玉川線向けに開発された連接車。モノコック構造やカルダン駆動などの最新技術を採用し、玉川線のマスコット的な存在だった。世田谷線には転用されず、玉川線廃止時に消滅している。1編成が電車とバスの博物館で保存されている。
 
2016.5 デハ204:電車とバスの博物館
形式 番号 両数  登場  消滅  備考
デハ200形 201-206 6 1955.7-55.8 1969.5
 150形
 玉川線輸送力増強のために導入されたもの。デハ200形の登場から9年も後の新造車であるが、吊掛け駆動の高床式ボギー車で、設計はデハ80形に類似している。デハ70・80形はカルダン駆動に更新されたが、デハ150形は最後まで吊掛け駆動だった。
   
デハ150形
形式 番号 両数  登場  消滅  備考
デハ150形 151-154 4 1964.4 2001.3
1990年代以降
 300系
 東急の軌道線としては35年ぶりの新形式。2車体3台車の連接構造で、VVVFインバータ制御が採用されている。全車異なるカラーで、玉電復刻塗装や「幸福の招き猫」ラッピング車なども登場している。
2018.4 下高井戸付近 2018.4 「幸福の招き猫」:下高井戸付近
 形式 番号 両数  登場  消滅  備考
300形 301-310A・B 20 1999.7-01.3
形式別車両数
種類 形式 1938 1954 1964 1972 1981 1985 1990 1995 2000 2005 2010 2015 2020
旧玉川 木造車 36
30形 10 9 9
40形 11 12 12
60形 5 5
合併後 70形 8 8 8 8 8 8 8 6
80形 28 28 6 6 6 6 6 4
150形 4 4 4 4 4 4 4
200形 6
新性能 300形 4 20 20 20 20
事業用 5 1 1
年表

  1907.3.6 道玄坂上〜三軒茶屋間開業(のちの玉川線)
  1907.8.11 渋谷〜玉川間全通
  1920.9.11 1067mmから1372mmに改軌
  1924.3.1  砧線:玉川〜砧間開業
  1924.5.21 天現寺線:渋谷〜天現寺間全通
  1925.5.1  世田谷線:三軒茶屋〜下高井戸間全通
  1927.3.29 中目黒線:渋谷橋〜中目黒間開業
  1927.7.15 溝ノ口線:玉川〜溝ノ口間開業
  1938.4.1  東京横浜電鉄に合併
  1938.11.19 天現寺線、中目黒線を東京市に運行委託(1948.3.10譲渡)
  1943.7.1  溝ノ口線1067mmに改軌、大井町線に編入
  1969.5.11 玉川線:渋谷〜二子玉川園間9.1km、砧線:二子玉川園〜砧間2.2km廃止

東京急行電鉄・軌道線