木造車
 国鉄の電車の歴史は、1904年の甲武鉄道(現在の中央線)に始まる。初期の電車は木製で、ほとんどが戦前に姿を消したが、全国で3両が復元・保存されている。鉄道博物館のデ968は、なぜか写真を撮り忘れた。
○ナデ6141
 ナデ6110形と呼ばれ、1913〜14年に製造された16m級ボギー車。山手線で使用された後、目黒蒲田電鉄、鶴見臨港鉄道、日立電鉄と渡り歩いた。1972年の鉄道100周年を記念して登場時の姿に復元され、鉄道博物館で展示されている。

○モハ1-035
 1921〜22年に製造されたデハ33500形の改番後の形式で、16m級ボギー車。大井川鉄道に譲渡され、引退後も千頭駅で保管されていたものを、1997年にJR東海が復元整備している。現在はリニア・鉄道館で展示されている。
2015.12 ナデ6141:鉄道博物館 2015.11 モハ1-035:リニア・鉄道館
旧30系
 1926年に登場した、国鉄初の鋼製電車。いずれも17m級で、3扉ロングシートと、2扉クロスシートの2つのグループがある。
 3扉ロングシート車  
 1926〜28年製造のモハ30形、1929〜31年製造のモハ31形、1932〜33年製造のモハ33・34形が含まれる。京浜線、山手線などに投入された。1953年の称号規定改正により、以下の形式となっている。
  モハ10形:中間電動車、34両
  クモハ11形:片運電動車、137両
  クモハ12形:両運電動車、13両
  クハ16形:制御車、72両
  サハ17形:付随車、51両
  クモニ13形:3等・荷物合造車、15両

 ほとんどの車両は1970年頃までに廃車となったが、鶴見線の大川支線では20m車が通過できなかったため、旧モハ31形にあたるクモハ12形2両が1996年まで使用されていた。自宅から1時間もかからずこんな列車が見られたので、何度か見に行ったり周辺を歩いたりした思い出がある。改造車を含めて4両が保存されている。 
1984頃 クモハ12:武蔵白石駅 1993.2 クモハ12:武蔵白石-大川間
○クモハ12-041
 旧モハ30形の17m級3扉ロングシート車。クモヤ22に改造され、浜松工場の入換用に使用されていた。1987年に旅客用に再改造され、飯田線のイベント列車等で活躍したが、現在はリニア・鉄道館で展示されている。

○クモハ12-052
 最後まで大川支線で営業運転を行っていた2両のうちの1両で、1996年に運用を終えた。その後は大井車両センターで保管されており、イベント等で公開されることがある。
2015.11 クモハ12-041:リニア・鉄道館 2017.8 クモハ12-052:大井車両センター 
○クモハ11-117
 旧モハ30形の17m級3扉ロングシート車で、片運に改造されてクモハ11形となった。幡生駅から見えるところに留置されており、かなり荒廃している。

○クモエ21-001
 1967年にクモハ11形を改造した救援車。両運転台に改造されている。下野市の日酸公園に保存されており、現存する唯一の救援用電車である。
2018.10 クモハ11-117:下関総合車両所 2017.1 クモエ21-001:下野市日酸公園 
 2扉クロスシート車
 1930〜32年に製造されたモハ32形で、横須賀線向けに製造された。電動車以外は20m級だったため、1953年の称号規定改正で改番されていない。以下の形式があった。
  モハ32形→クモハ14形:片運電動車、45両
  サロ45形:2等車、13両
  サロハ46形:2・3等合造車、13両
  クハ47形:制御車、10両
  サハ48形:付随車、28両
  クロ49形:貴賓車、2両
 クモハ14形は1970年に消滅するが、20m級の制御車は1983年まで使用された。保存車は1両も無い。
クモハ47-009 晩年の飯田線時代
旧50系・62系
 1934〜43年に、木造車の鋼体化改造により登場した形式。いずれも17m級で、旧50系は3扉ロングシート、旧62系は2扉クロスシートである。1953年の称号規定改正により、旧30系と同じ番号に統合され、以下のようになっている。
  旧50系→クモハ11形:片運電動車、92両
        クハ16形:制御車、157両
        サハ17形:付随車、21両
        クモニ13形:荷物車、24両
  旧62系→クモハ14形:片運電動車、9両
        クハ18形:制御車、11両
 1970年までに全車廃車となったが、地方私鉄に譲渡されたものも多い。
クモニ13
40系
 1932〜42年に製造された、20m級の3扉ロングシート車。初期は平妻であったが、1935年頃からは半流に変わっている。以下の形式がある。クモハ40形の2両が、動態保存車として2006〜07年まで残されていた。
  クモハ40形:両運電動車、80両
  クモハ41形:片運電動車、55両
  クモハ60形:片運電動車、出力増強型、126両
  クハ55形:制御車、96両
  サロハ56形:2・3等合造車、13両
  サハ57形:付随車、47両
  クハニ67形:3等・荷物合造車、7両
 
左から小野田線色、大糸線色、阪和線色 
最後まで残っていた動態保存車2両が、今も静態保存されている。

○クモハ40-074
 営業終了後も国府津で職員輸送に使用されていたもので、1987年に一度除籍されたが、1988年3月に動態保存用として復籍した。その後はイベント列車として運行されたが、2000年に営業を終了し、2007年から鉄道博物館で展示されている。半流の後期車である。

○クモハ40-054
 こちらも国府津で職員輸送に使用されていたもので、除籍されることなくJR東日本に継承されたが、2006年に除籍された。青梅鉄道公園で展示されていたC51を鉄道博物館へ移す代わりとして、2007年から青梅鉄道公園で展示されている。こちらは初期の平妻車である。
2015.12 クモハ40-074:鉄道博物館 2017.8 クモハ40-054:青梅鉄道公園 
42系
 1933〜35年に製造された、20m級の2扉クロスシート車。製造期間が短かったため、基本的に平妻である。以下の形式がある。
  クモハ42形:両運電動車、13両
  クモハ43形:片運電動車、41両
  クハ58形:制御車、25両
  クロハ59形:2・3等合造車、21両
  モハユニ44形:3等・郵便・荷物合造車、5両
 クモハ42形の2両が、小野田線の本山支線用として残り、JR最後の旧型国電の営業車となった。2003年3月に営業運転を終えたが、1両は今も車籍が残っている。
 
1990.3 クモハ42形:長門本山駅 2018.10 クモハ42-001:下関総合車両所
 左:大糸線色、右:スカ色
51系
 ロングシートの40系とクロスシートの42系の中間的な用途を目的とした20m級の3扉セミクロスシート車。1936〜43年に製造され、40系後期車と同じ半流である。以下の形式がある。
  クモハ51形:片運電動車、57両
  クモハ54形:片運電動車、出力増強、9両
  クハ68形:制御車、20両
  クロハ69形:2・3等合造車、11両
 飯田線では1983年まで使用されたが、1両も保存されることなく廃車となってしまった。
左:福塩線色、右:スカ色
52系
 1936〜37年に製造された、20m級の急行用2扉クロスシート車。流電と呼ばれた、旧型国電の中で最も華やかな車両である。以下の形式がある。
  クモハ52形:流線型電動車、6両
  クモハ43形:半流電動車、4両
  サロハ46・66形:2・3等合造車、5両
  サハ48形:付随車、5両
 最初は関西の東海道・山陽線、1950年からは阪和快速として使用され、1957年に飯田線に転用となった。1983年までに全車廃車となっている。
 スカ色 飯田線時代
特徴的な半流の先頭車2両が保存されている。

○モハ52-001
 1978年に廃車となった後、登場時の姿に復元されて吹田総合車両所の玄関前で保存されている。車両基地公開イベントの際に見ることができる。

○モハ52-004
 豊川の日本車両製造で保管後、1991年から佐久間レールパークで展示されていた。この頃は最終時の姿であったが、登場時の姿への復元が行われ、2011年からリニア・鉄道館で展示されている。
2016.10 モハ52-001:吹田総合車両所 2015.11 モハ52-004:リニア・鉄道館
63系・72系
 戦時中に大量輸送を目的として開発され、1944〜51年に688両が製造された。現在も通勤電車と同じ20m級4扉を採用した最初の形式である。しかし戦時の粗悪な設計であったため安全性が犠牲になっており、1951年の桜木町事故をきっかけに全面的な更新改造を行って72系に変更している。また、72系としての新造車もあり、合わせて1000両を超えている。おもな種類は以下のとおりであるが、細かい差異は数え切れない。
  63系    :1944-50年製造、945両(667両が72系に改造編入)
  72系半鋼車:1952-56年製造、422両
  72系全金車:1956-57年製造、68両
 1960年頃から、半鋼車の近代化改造が始まり、全金車として生まれ変わった車両も多い。更新の内容は様々で、2両として同じ車両は無いと言われる。また、1974年から仙石線向けに行われた更新車は、103系とほとんど同じ車体になっている。最後まで使用されたのは仙石線と富山港線で、1985年に消滅している。
 
半鋼製車 左から茶色、仙石線DC色、可部線色 全金車 左から仙石線ウグイス、富山港線色、
茶色、スカ色

1000両を超えていた形式でありながら、保存車は僅か1両である。

○モハ63-638
 モハ72-258から事業用車クモヤ90-005に改造されていたもの。63系登場時の木枠窓に復元されてリニア・鉄道館で展示されている。
2015.11 モハ63-638:リニア・鉄道館
 クモハ84
 荷物電車のクモニ83に改造されていた車両を、1988年になって再び旅客車に改造したもの。瀬戸大橋の開通によって支線となる宇野線茶屋町〜宇野間で使用された。1996年に廃車となっている。
1988.3 宇野駅
 番号 Msc
84
 前歴  登場  消滅  備考
001-003 3 クモニ83 1988.2 1996.3
80系
 国鉄で初めて、長距離輸送を目的として開発された電車。2次車以降は非貫通2枚窓の湘南型となり、緑とみかん色の塗装とともに「湘南電車」の原型をつくった。さらに1957年には軽量車体を採用した全金車も登場している。1949〜58年に652両が製造されている。急行電車として使用されたこともあるが、新性能車の登場後は地方に転出し、1983年に飯田線から撤退して消滅した。保存車は初期型の先頭車と中間車の2両のみ。湘南型の車両はすべて解体されてしまった。
左から 切妻の先頭車化改造車と湘南型
○クハ86-001、モハ80-001
 廃車後、しばらく柳井駅構内で保管された後、1986年から大阪の交通科学博物館で展示された。交通科学博物館の閉館後は、京都鉄道博物館に移設されている。
2016.6 クハ86-001:京都鉄道博物館 
70系
  横須賀線、中央東線、京阪神緩行線などの中距離輸送を目的とした、3扉セミクロスシート車。外観は80系2次車とほぼ同じ湘南型である。1950〜57年に282両が製造された。新性能車の登場後は地方に転出し、1978年に新潟地区、1981年に福塩線から撤退して消滅した。保存車は1両も無い。
左から阪和快速色、新潟色、スカ色

旧型国電