横荘線は横荘鉄道、雄勝線は雄勝鉄道が前身。戦時中に合併したが、横荘線は非電化、雄勝線は電化で、ほとんど別会社のようであった。
廃線跡
 横荘線(横手〜老方38.2km)
 前身の横荘鉄道は、横手と羽後本荘を結ぼうと計画したことから付けられた名前で、実際に全区間の免許を取得し両側から建設が進められた。10年以上かけて横手から老方までを開業したが、これ以上の延伸は断念している。戦後間もなく山間部の二井山〜老方が廃止され、しばらく落ち着いていたが、1965年の豪雨で雄物川橋梁が流出。その後は段階的に廃止されていった。なお、海側は羽後本荘〜前郷間を開業させただけであったが、国鉄矢島線(現・由利高原鉄道)の一部となって今も健在である。

  1918.8.18 横荘鉄道横手〜沼舘間開業
  1919.7.15 沼舘〜舘合間延伸
  1920.3.24 舘合〜羽後大森間延伸
  1928.11.1 羽後大森〜二井山間延伸
  1930.10.5 二井山〜老方間延伸
  1944.6.1  羽後鉄道と改称(52.2.15羽後交通と改称)
  1953.8.5  二井山〜老方間廃止
  1965.10.21 舘合〜二井山間休止(66.6.15廃止)
  1969.1.16 沼舘〜舘合間廃止
  1971.7.20 全線廃止
1941 1949 1955 1960 1965 1970
 輸送人員(千人/日) 1.1 1.7 1.8 2.3 2.7 1.3
 輸送密度(千人/日) 0.3 0.5 0.5 0.9 1.3 0.9
 貨物輸送量(万t/年) 5.9 4.5 4.8 5.7 5.3 0.7
 終点の老方は何も残っておらず、場所もはっきりしない。老方の集落をはずれた所からは廃線跡が細い道路となり、浮蓋駅跡は人家が全く見当たらない所にあった。
2014.6 老方駅跡@ 2014.6 浮蓋駅跡A
 浮蓋〜二井山間がこの路線のハイライトで、あたりに何もない細い道路に、鉄道時代そのままのトンネルが連続している。御岳トンネルの先には、未舗装の路盤が残されていた。
2014.6 二井山〜浮蓋間B
浮蓋トンネル
2014.6 二井山〜浮蓋間C
2014.6 二井山〜浮蓋間D
御岳トンネル
2014.6 二井山〜浮蓋間E
 二井山駅跡には案内ポストが立っているが、周囲は驚くほど何もない。ここから先は大苦戦で、八沢木、羽後大森、舘合といった主要駅も全く見つけられない。結局沼舘まで来てようやく二井山と同じポストを発見した。
2014.6 二井山駅跡F 2014.6 沼舘駅跡G
 羽後里見もポストが立っているが、鉄道の面影は無い。ここから浅舞方は立派な二車線の道路に変貌していた。
2014.6 羽後里見駅跡H 2014.6 浅舞〜豊前間I
 雄勝線(湯沢〜梺11.7km)
 地元の有志が中心となって建設された路線で、戦時中に横荘鉄道に合併されている。利用者は本体の横荘線より多く、最後も2年長く生き残ったが、1973年に廃止された。

  1928.8.10 雄勝鉄道湯沢〜西馬音内間開業
  1935.2.13 西馬音内〜梺間延伸
  1943.12.5 横荘鉄道に合併される
  1944.6.1  羽後鉄道と改称(52.2.15羽後交通と改称)
  1967.12.1 西馬音内〜梺間廃止
  1973.4.1  全線廃止
1941 1949 1955 1960 1965 1970
 輸送人員(千人/日) 1.2 2.2 2.2 2.5 2.9 1.9
 輸送密度(千人/日) 0.6 1.1 1.2 1.3 1.5 1.3
 貨物輸送量(万t/年) 3.4 2.3 2.2 3.1 3.9 0.7
 終点の梺駅は、なぜか腕木式信号機が残る。当時の車両も保管されていて、それほど傷んでいないように見える。
2014.6 梺駅跡J 2014.6 梺駅跡J
 雄勝線の廃線跡がはっきりわかる所はほとんど無い。西馬音内やあぐりこの駅も、バス停などからおおよその見当がつくだけである。鉄道の痕跡がわかるのは羽後三輪駅で、空地にホームの残骸が残されていた。また羽後山田も駅跡の南に小さな橋台が残されている。
2014.6 西馬音内駅跡K 2014.6 あぐりこ駅跡L
2014.6 羽後三輪駅跡M
右がホームの残骸
2014.6 羽後山田駅跡N
奥の保育園が駅跡、手前は鉄道の橋台
車両
 雄勝線は、開業時から電化されており、ECが活躍した。機関車は導入されていないが、ECの増結用にPCは使用されていた。また、横荘線廃止後に、DLとDCの一部が雄勝線へ転属し、廃止時には雄勝線の電車運転は行われていなかった。
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
EC デハ1-3 3 8.4m木造単車 1927 1971
デハ4 1 11.8m木造ボギー車 1950 1963 もと日立デハ7
デハ5-7 3 12-13m半鋼製ボギー車 1954-63 1973 もと西武等
PC ハフ11・13・14
ハ12
4 木造単車 1936-42 1971 もと高畠・国鉄
ホハフ2
ホハニ2
2 木造ボギー車 1955-56 1973 もと国鉄
  ホハフ5 1 木造ボギー車 1963 1973 デハ4改造
 デハ1形
 雄勝鉄道開業時の木造単車で、全長8.4mのポール集電なので路面電車と変わらない。この車両が1971年まで40年以上活躍したとは驚きである。デハ3が、終点の梺駅跡で保存されている。
2014.6 デハ3:梺駅跡
 ハフ11・13形
 ハフ11は、1908年に青梅鉄道が導入したもので、高畠鉄道を経て雄勝鉄道に入った。また、ハフ13・14は、1912年に新宮鉄道が導入し、国鉄を経て雄勝鉄道入り。いずれも1971年まで生き残り、廃止後は3両とも明治村に引き取られて、今も乗客を乗せている。
2018.10 ハフ14:明治村
 横荘線の車両
 横荘線は最後まで非電化で、戦前はSLと木造単車のガソリンカー、戦後はDLとDCが活躍した。自社発注のDCであるキハ1形は、湘南型のスタイルながらバケットが付いていた。DC2は南部縦貫鉄道に譲渡され、廃止後も七戸駅後で動態保存されている。
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 1-2 2 Cタンク 1918 1937 もとl国鉄1204-05
3 1 1C1タンク 1919 1951 もと国鉄3033
4 1 Cタンク 1922 1937
5 1 1C1タンク 1950 もと国鉄3317
18 1 Cタンク 1952 1959 もと東武18
6265 1 2Bテンダ 1948 1951 もと国鉄6265
DL DB1 1 B形ロッド式 1951 1957
DC1-2 2 C形 1958-59 1973
GC ジ1-4 4 木造単車 1928-30 1956
DC キハ1-3 3 液体式ボギー車 1950-57 1973
キハ4 1 機械式ボギー車 1958 1973 もと国鉄キハ044
PC ハ1等 6 木造単車 1961 もと国鉄等
ホハ1等 5 木造ボギー車 1918-54 1973
ホハフ6 1 鋼製ボギー車 1966 1971 もと都電1032
2023.10 もとDC2:南部縦貫鉄道七戸駅跡

羽後交通