北ベトナムでは中国による支配が長く続き、1009年に初めて長期政権が誕生した。ハノイはこの時から都が置かれている。しかし黎朝の後期からは南北に分裂し、最終的には南部を拠点とする阮朝が政権を奪った。この時代にはフランスが進出しており、阮朝はフランスの植民地下で第二次世界大戦まで続いている。なお、李朝から西山朝までは大越国と呼ばれたが、阮朝は越南国を名乗り、これが今のベトナムという名につながっている。

 1009〜1225年 李朝(大越国成立)
 1225〜1400年 陳朝
 1428〜1789年 黎朝
 1786〜1802年 西山朝
 1802〜1945年 阮朝(越南国)

ベトナム・紅河デルタ地方
 ハノイ(世界遺産)  
 李朝から西山朝までの歴代の都の遺跡。仕事でのハノイ滞在だったが、3時間ほど自由時間があったので歩いて行った。
 遺跡なので廃墟のようなものを想像していたが、比較的新しそうな建物が並んでいてイメージが違う。案内板もないので、いつの時代のどのような建物か全くわからないまま終わった。
2012.7 タンロン城  2012.7 北門
 ☆世界遺産「ハノイのタンロン皇城の中心区域」  2010年登録
ベトナム・中北部
 フエ(世界遺産)  
 1802年に成立した阮朝の都。街の中心に王宮跡、そして郊外には歴代皇帝の墓が残されている。大晦日の夜に到着し、元日の観光となったが、新年を祝う雰囲気はまったく無かった。
 まずはトゥドゥック帝廟。19世紀後半の建設で、池を中心とした広大な敷地は中国の庭園のようである。古代ならともかく、明治時代と同時期に巨大な皇帝の墓をつくるというのは信じがたい。
 
2012.1 トゥドゥック帝廟 2012.1 トゥドゥック帝廟 
 
2012.1 トゥドゥック帝廟  2012.1 トゥドゥック帝廟
 続いてカイディン帝廟。なんと20世紀後半、間もなく昭和が始まるという時代のものである。こちらは一転して西洋風で、金色に輝く室内はヨーロッパの宮殿のようだった。
 
2012.1 カイディン帝廟  2012.1 カイディン帝廟
 昼食後はフエ王宮へ。広大な敷地だが、残っているのは門などごく一部である。芝生に変わった王宮跡を見ると、兵どもが夢の跡という言葉が思い出される。
 
2012.1 フエ王宮  2012.1 フエ王宮
 
2012.1 フエ王宮
 ☆世界遺産「フエの建造物群」  1993年登録
ベトナム・中南部
 ホイアン(世界遺産)  
 16世紀頃から、ヨーロッパ、日本などとの貿易港として発展した街。19世紀にはトゥポン川に土砂が堆積して貿易港としての価値を失うが、町並みはそのまま残ることになった。日本が鎖国する前に日本人街があったことでも知られる。ここは大晦日の観光となった。
 日本橋とも呼ばれる来遠橋はいい雰囲気だが、周辺の街並みはあまり特徴が無い。1軒の内部も見学できたが、日本の旧家の方が見応えがあると思う。1時間弱しか時間は無かったが、それで十分という感じである。
 
2011.12 来遠橋  2011.12
 ☆世界遺産「ホイアンの古い町並み」  1999年登録

大越国・越南国