リュキアは、現在のトルコ南西の海岸沿いにあたる。この地域は、古代において統一した国家は成立せず、独立した都市国家が結びついていた。最初に文献に登場するのは、紀元前1250年頃ヒッタイト王国の同盟国としてであり、その後はトロイアの同盟国としてギリシャ神話などに登場する。紀元前6世紀頃アナトリア西部において台頭したリディア王国からも独立していたが、紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシャの支配下となった。ローマ時代にも、属州リュキアがおかれている。

トルコ南西部
 クサントス遺跡(世界遺産) 
 古代リュキアにおける中心都市で、ギリシャ神話にもたびたび登場する街。アケメネス朝ペルシャの侵攻によって破壊され、その後も破壊と再建が繰り返された。数少ない、古代リュキアの雰囲気が残る遺跡として、世界遺産に登録されている。ただし、遺跡で最も有名なネーレーイスの記念碑をはじめ、レリーフなどのほとんどは、発掘した英国人チャールズ・フェローがイギリスへ持ち帰ってしまった。
 現在の遺跡で最も有名なのは、紀元前5世紀の「ハービーの墓」。ハービーとは、死者の魂を空に運ぶと信じられている鳥の翼をもった生き物である。これもオリジナルのレリーフは大英博物館へ行ってしまったが、遺跡にレプリカが展示されている。また、古代リュキア語で書かれた碑文もレプリカがおかれている。
2024.5 ハービーの墓(右) 2024.5 リュキア文字の石碑
 クサントスのアクロポリスは、ローマ時代に整備されてしまったが、ところどころに古代リュキア時代と思われる遺構もある。しかし説明板などは無く、想像するしかない遺跡である。
2024.5 劇場とアゴラ(奥) 2024.5 リュキア時代の階段?
 道路をはさんでアクロポリスの反対側には、列柱通りや教会跡などがある。教会の床にあるモザイクはシートで保護されていたが、ところどころシートの隙間から見ることができるようになっていた。
2024.5 教会跡
 レトーン遺跡(世界遺産) 
 レトーン遺跡は、クサントスから車で15分ほどのところにある。レト、アポロン、アルテミスの3神殿が並んでおり、古代リュキアの聖域だったと考えられている。双子であるアポロン、アルテミスの母レトの神殿が最も大きく、また保存状態もよい。レトーンの名称もレトに由来している。
 
2024.5 レト神殿  2024.5 左:アルテミス神殿、右:アポロン神殿
 神殿の手前にあるポルティコも、古代リュキアの時代からローマ時代にかけて増築されてきたものである。ここは水はけが悪いようで、完全に水没していた。
2024.5 ポルディコ
 ☆世界遺産「クサントスとレトーン」 1988年登録
 ミュラ遺跡 
 古代リュキアでは、岩壁をくりぬいた岩窟墳墓が多くつくられた。ミュラ遺跡には、多くの岩窟墳墓が集中して残されていて、見所となっている。また、石棺には不思議な顔のレリーフがあり、見ていて楽しい。なお、岩窟墳墓のすぐ横にあるローマ劇場も、保存状態がいいものである。
 
2024.5 岩窟墳墓  2024.5 石棺のレリーフ
2024.5 劇場
 カシュ 
 現代のカシュは、リュキア地方の観光の拠点となるリゾート地だが、古代にはアンティフェロスという街があった。遺構はほとんど残っていないが、古代リュキアの岩窟墳墓をめざして、1時間ほど朝の散歩を楽しんだ。街の広場にも、リュキアの石棺などが展示されている。
 
2024.5 岩窟墳墓

古代リュキア