大分交通は、戦時中に別府大分電鉄、耶馬溪鉄道、国東鉄道、宇佐参宮鉄道、豊州鉄道と、バス事業者の別杵自動車が合併して発足した。このため、大分交通の5路線は全てルーツが異なり、とくに別大線は路面電車、豊州線は軽便鉄道なので、企画も大きく異なっている。
廃線跡
 耶馬溪線(中津〜守実温泉36.1km)
 観光と森林資源輸送を目的とした耶馬溪鉄道がルーツで、1913年に一期開業、1924年には全通している。戦時中に大分交通に統合され、戦後は国鉄からの乗り入れも行われた。しかし1960年代に入ると大分交通は鉄道事業を一気に縮小、この路線も1971年に野路以南を廃止して、最後は10km足らずの路線となっている。

  1913.12.26 耶馬溪鉄道中津〜樋田間開業
  1914.12.11 樋田〜柿坂間開業
  1924.6.16  柿坂〜守実(のちの守実温泉)間開業
  1945.4.20  合併により大分交通耶馬溪線となる
  1971.10.1  野路〜守実温泉間廃止
  1975.10.1  全線廃止
   1941 1949 1955 1960 1965 1970 1974
 輸送人員(千人/日) 3.6 5.9 6.9 6.5 7.4 4.0 1.6
 輸送密度(千人/日) 1.3 1.6 1.6 1.5 1.6 0.9 0.8
 貨物輸送量(万t/年) 9.0 8.2 5.9 7.0 2.8
 起点の中津は、廃線後にビルが建てられたが、現在は広大な空き地となって鉄道の面影は無い。しかし、廃線あとからは離れるが、市街地のレストランに耶馬溪線で使用された車両がいくつも展示してある。特徴ある気動車がいくつも見られるのは楽しい。
 市街地の中も、ほとんどの区間がサイクリングロードとなっているので、廃線跡はすぐわかる。
2009.2 中津駅跡@ 2009.2 レストラン汽車ポッポA
2009.2 レストラン汽車ポッポA 2009.2 大貞公園駅跡B
 野路は廃止直前の終点で、ホームと待合室が残っているので昔の雰囲気が感じられる。この先にはトンネルが現存するが、駅からは見えなかった。  
2009.2 真坂-野路間C 2009.2 野路駅跡D
 洞門の手前にある仙崎隧道は、いかにも手掘りという感じのごつごつした内部が面白い。洞門を過ぎると線路跡は国道の対岸に行く。廃線跡の細い道が川岸を通っていく様は、かつての車窓風景を彷彿させる。 
2009.2 野路-洞門間E
右の小さいトンネルが廃線跡
2009.2 羅漢寺-冠石野間F
  耶馬溪平田はサイクリングの休憩所になっているようで、きれいに整備されていた。
2009.2 耶馬溪平田駅跡G 2009.2 津民駅跡H
 山国川第2橋梁は耶馬溪線のハイライトというべき所で、ゆるやかなカーブを描いて連なる橋脚はとても絵になる。少し高いところから見下ろす風景もなかなかよかった。 
2009.2 津民-耶鉄柿坂間I
山国川第2橋梁
 下郷もホームがきれいに整備されて残されていた。その先にある山国川第4橋梁も、第2橋梁ほどではないが十分見ごたえのある橋である。
2009.2 下郷駅跡J 2009.2 下郷-江淵間K
山国川第4橋梁
 中摩のあたりは国道から離れた田園地帯に廃線跡がある。白地駅のホームはだいぶ崩れているが、駅名票も建てられていた。廃線跡を追えたのはこのあたりまでで、終点の守実温泉は立派な建物に変わっていて鉄道の面影は無かった。
2009.2 中摩-白地間L 2009.2 白地駅跡M
2009.2 守実温泉駅跡N
  
 豊州線(豊前善光寺〜豊前二日市15.5km)
 四日市などを経由して安心院、さらには日出生台の陸軍演習場まで鉄道を敷設することを目指して建設された路線。当初から経営は厳しく、豊前二日市まで延伸したところで延伸は断念された。戦時中に大分交通に合併されるが、戦後間もなく台風災害により橋が流出、復旧できないまま廃止されている。

  1914.5.23 日出生鉄道四日市(現豊前善光寺)〜新豊川間開業(762mm、蒸気)
  1915.12.6 新豊川〜二又川間延伸(19.4.26二又川〜円座、22.2.4円座〜豊前二日市延伸)
  1929.4.22 豊州鉄道と改称
  1945.4.20 合併により大分交通豊州線となる
  1951.10.14 災害により全線休止(53.9.30全線廃止)
 豊前二日市駅後には、石造の給水塔の土台が残る。廃線跡は拡幅されて国道となった区間が多いが、三又川は駅の階段が残されていて雰囲気が感じられた。駅館川には近年まで川の中に橋脚が残っていたようだが、訪れた時は川岸の橋台だけになっていた。豊前四日市は大型スーパーになっている。すでに休止から60年たっているが、豊前二日市や香下、三又川などで真新しい駅名表型の案内板があって、地元の思い入れが感じられる。
2011.3 豊前二日市駅跡@ 2011.3 円座駅跡A
2011.3 香下駅跡B 2011.3 三又川駅跡C
2011.3 新豊川〜拝田間D
第1駅館川橋梁跡
2011.3 豊前四日市駅跡E
  
 宇佐参宮線(豊後高田〜宇佐八幡8.8km)
 宇佐駅を挟んで西の宇佐八幡宮と東の豊後高田市街地を結んでいた路線で、前身は宇佐参宮鉄道。さらに西側は拝田、東側は中直玉までの免許を取得していたが、延伸することはなかった。戦時中に大分交通に合併されたが、1960年代に大分交通は急激に鉄道事業を縮小、宇佐参宮線も比較的早い時期に廃止されている。

  1916.3.1  宇佐参宮鉄道豊後高田〜宇佐八幡間開業(1067mm、蒸気)
  1945.4.20 合併により大分交通宇佐参宮線となる
  1965.8.21 全線廃止
   1941 1949 1955 1960 1964
 輸送人員(千人/日) 2.5 2.6 3.0 2.7 2.0
 輸送密度(千人/日) 1.4 1.3 1.4 1.3 0.9
 貨物輸送量(万t/年) 5.5 4.6 4.0 2.9 2.6
 宇佐八幡駅跡は八幡宮の駐車場になっていている。その片隅にクラウス26号機が展示されていた。
2010.5 宇佐八幡駅跡F 2010.5 宇佐八幡駅跡のクラウスF
 宇佐八幡〜宇佐間の廃線跡は、ほとんど見つけられない。宇佐駅はJRの東側にそれらしい空き地があった。
2010.5 宇佐八幡〜宇佐高校間G 2010.5 橋津駅跡H
2009.2 宇佐駅跡I
右の道路のあたりが廃線跡か?
 封戸〜豊後高田間では、一部が生活道路になっていて、ようやく廃線跡らしくなった。終点の豊後高田はバスターミナルで、かつてのホームがそのままバス乗り場になったような感じである。
2010.5 封戸〜豊後高田間J 2010.5 豊後高田駅跡K
 国東線(杵築〜国東30.3km)
 1922年に開業した国東鉄道がルーツで、13年かけて少しずつ延伸し、国東まで達した。しかし免許を取得していた富来までの延伸は叶わず、大分交通に合併後の1961年に豪雨で橋脚が流出、その5年後に全線廃止となっている。

  1922.7.7   国東鉄道杵築〜杵築町間開業
  1922.12.24 杵築町〜守江間開業
  1923.10.5  守江〜奈多八幡間開業
  1925.12.2  奈多八幡〜安岐間開業
  1933.7.11  安岐〜武蔵間開業
  1935.11.30  武蔵〜国東間開業
  1945.4.20  合併により大分交通国東線となる
  1961.10.27  災害により安岐〜武蔵間運休
  1964.9.1   安岐〜国東間廃止
  1966.4.1   全線廃止 
   1941 1949 1955 1960 1964
 輸送人員(千人/日) 2.9 3.6 4.6 5.4 5.2
 輸送密度(千人/日) 1.0 1.3 1.4 1.5 1.5
 貨物輸送量(万t/年) 5.1 4.9 4.1 5.3 5.1
 杵築のJR線との分岐ははっきりわかるが、その後は国道に取り込まれるなどして鉄道の面影がほとんど感じられない。国東駅の手前にそれらしい細道があったが、見つけやすいと思っていた国東駅跡はよくわからなかった。 
2009.2 杵築-八坂間@ 2009.2 北奈多-志口間A
歩道が廃線跡
2009.2 小原-国東間B
  
車両
 耶馬溪線の車両
 耶馬溪線で使用されたSL10両は、すべて国鉄から譲り受けたもの。PCも新造車は無い。ガソリンカーの導入も宇佐参宮線・国東線より遅かったが、最初に登場したキハ100形の102と104が今も保存されている。また、最後に登場したキハ600形の601も同じ場所で保存されているほか、603は紀州鉄道に譲渡され、2012年まで現役だった。 
路線 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 1-4 4 Cタンク 1929 もと国鉄1400、1440形
5-7 3 1B1タンク 1929 1954 もと国鉄600形
3401、3416 2 1C1タンク 1945 1955 もと国鉄3400形
1408 1 Cタンク 1949 1964 もと国鉄1400形
DL D31-32 2 9550mm 1954 1972
DC キハ101-104 4 13960mm 1935-37 1975
キハ105 1 13960mm 1952 1971 もと国鉄キハ40341
キハ501 1 11050mm 1940 1957
キハ601、603 2 18500mm 1956、60 1975
PC ホロハ1-4等 19 1929-48 1972? もと国鉄
ホハフ30-32 3 1964 1972? キハ30等改造
 
2009.2 キハ104:レストラン汽車ポッポ 2009.2 キハ601・ハニフ22
:レストラン汽車ポッポ 
2005.2 キハ603:紀州鉄道西御坊駅
 宇佐参宮線の車両
 宇佐参宮線では、6両のSLが使用されたが、中でも特筆すべきは26号。1891年クラウス製で、九州鉄道がルーツである。1965年の宇佐参宮線廃止まで生き残り、今も宇佐神宮の近くで保存されている。 
路線 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 1-3 3 Bタンク 1915 1964
5 1 Cタンク 1925 1964 もと武州鉄道3
1 U 1 Cタンク 1941 1954 もと熊延鉄道1
26 1 Bタンク 1949 1965 もと国鉄10形
DL D21-22 2 6896-7106mm 1953、55 1965
DC キハ1-3 3 7094mm 1931 1944
キハ502 1 12029mm 1951 ホハ21改造
キハ503 1 13500mm 1952 1971 もと国鉄キハ40321
PC ハ1-2等 6 1916、21 1965?
ヨロハ1 1 1922 1965 もと国鉄
ハ11-13 3 1944 1952 キハ1-3改造
2010.5 26号:宇佐八幡駅跡
 国東線の車両
 国東線も開業時はSLで、1931年にガソリンカーを導入した。大分交通発足後に登場したキハ600形は、耶馬溪線と国東線に2両ずつ投入され、国東線廃止後は4両とも耶馬溪線に集まった。中津市内のレストラン汽車ポッポで、キハ102の後ろに国東線ゆかりのキハ602が保存されているのだが、側面がわずかに見えるだけだった。 
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 1 1 Cタンク 1922 1938 もと宇部鉄道1
2-3 2 B1タンク 1922 1954 もと内外信託
4-5 2 Cタンク 1924 1955
13-14 2 Bタンク 1948 1955 もと国鉄10形
1410、1444 2 Cタンク 1949 もと国鉄1400、1440形
DL D33-34 2 10250m 1954 1972
DC キハ11-13 3 10920mm 1931 1951
キハ20-21 2 12394mm 1935 1968
キハ30 1 11720mm 1943 1964 もと国鉄キハ40305
キハ50 1 16400mm 1952 1971 もと国鉄キハ40331
キハ602、604 2 18500mm 1956、60 1975
PC ホハフ1等 5 1922 1966
ハ53-54等 4 1923-25 1966 もと国鉄
ハフ11-12 2 1951 1966? キハ11-12改造
2009.2 キハ102・キハ602:レストラン汽車ポッポ

大分交通