夕張地区では、1892年に早くも北海道炭礦鉄道の路線(のちの国鉄夕張線)が開業していたが、石狩石炭を所有する北海道炭礦汽船が、石炭を運ぶ短絡ルートとして夕張鉄道を開業させた。戦後も石炭輸送は順調だったが、旅客は1960年頃から急速に減少し、1971年には栗山以西のみとなる。そして1974年には貨物輸送のみとなり、翌年の北炭平和礦閉山とともに鉄道も廃止された。

  1926.10.14 夕張鉄道栗山〜新夕張(のちの夕張本町)間開業
  1930.11.3  野幌〜栗山間開業
  1971.11.15 鹿ノ谷〜夕張本町間廃止、栗山〜鹿ノ谷間旅客営業廃止
  1974.4.1  北海道炭礦汽船に譲渡、野幌〜栗山間旅客営業休止
  1975.4.1  全線廃止  
1941 1949 1955 1960 1965 1970 1973
 輸送人員(千人/日) 4.3 5.1 3.9 5.6 4.9 2.8 0.9
 輸送密度(千人/日) 0.8 1.1 1.1 1.7 1.3 0.6 0.5
 貨物輸送量(万t/年) 65.1 59.5 116.0 153.1 199.8 172.7 142.2
営業係数 74 97 97 92 94 97 112
廃線跡
 野幌-夕張本町53.2km
 初訪問は、サイクリングロードになっている山越えの三段スイッチバックを見たくて行ったのだが、閉鎖されて近づけなかった。やむなく他の区間を探したが、下調べ不足で、廃線跡をあまり見つけられなかった。
2004.7 新二岐〜錦沢間D
 2度目の訪問は、栗山からスタート。角田駅跡は何もないが、その先から廃線跡が一直線の車道になっている。鉄道らしいカーブもあってイメージしやすい。 
2016.9 角田駅跡@ 2016.9 角田〜継立間A
 新二岐駅跡は、特徴ある駅舎が健在である。これは初回訪問時も見た記憶があるが、駅舎だと思っていなかった。 
 
2016.9 継立駅跡B 2016.9 新二岐駅跡C
 錦沢の三段スイッチバックにも再チャレンジしたが、サイクリングロードのはずが山道のようになっている。途中で進むのを断念した。 
2016.9 錦沢駅付近E
 峠を越えて平和駅付近からは、サイクリングロードが通れるようになっている。若菜駅跡はホームが残っているはずなのだが、見つけられなかった。 
2016.9 平和駅付近F 2016.9 若菜駅付近G
 鹿ノ谷は、線路がある所はJR夕張線で、その左の空き地が夕張鉄道の駅跡。夕張本町は、地図と見比べて写真の位置が駅跡だと考えたが、後で調べると駅はもう少し右手で、写真は駅前のようである。
2016.9 鹿ノ谷駅跡H 2016.9 夕張本町駅付近I
車両
 最後までDCは導入せず、1973年までは機関車もSLのみだった。活躍したSLは9200、9600、C11の3形式7両で、このうち2両は保存されているが、いずれも公開されていない。1973年に初めて導入したDL55形は、国鉄DD13形と同タイプである。
種類  番号 両数  特徴  登場 消滅 備考
SL 1-2 2 1C1タンク 1926 1965
11-14 4 1Dテンダ 1926-27 1974
6 1 C1タンク 1927 1964 もと国鉄2613
7 1 1C1タンク 1940 1960 もと国鉄1113
9 1 1C1タンク 1939 1942 もと筑波9
21-28 8 1Dテンダ 1941-64 1975 もと国鉄9600形等
DL DD1001-1002 2 13600mm 1969 1975
DC キハニ1 1 15530mm蒸気動車 1941 1943 もと国鉄
キハ201-202 2 20120mm機械式 1952 1975
キハ251-254 4 20100mm液体式 1953-56 1975
キハ301-302 2 21000mm液体式 1958 1968
PC コハ1-2等 22 1925-59 1975 もと国鉄等
 21号
 夕張鉄道では、国鉄9600形が8両導入されたが、そのうち21号だけは自社発注機。廃線まで活躍し、栗山駅に近い栗山公園で保存されている。
2016.9 21号:栗山公園
 キハ250形・300形
 キハ250形は、夕張鉄道のみならず道内初となる液体式DC、そしてキハ300形は地方鉄道初となる片運転台の大型DCという画期的なものだった。キハ300形は、廃線を待たず1968年に水島臨海鉄道へ譲渡され、その後岡山臨港鉄道へ移った。キハ250形も、廃線後に水島臨海鉄道と関東鉄道(後の鹿島鉄道)へ2両ずつ譲渡されている。
 2007.3 キハ714:石岡駅 2016.12 もとキハ301:岡山市ちどり保育園

夕張鉄道