雄別鉄道は、炭鉱開発とともに建設された路線で、当初は北海炭礦鉄道が経営したが、すぐに三菱鉱業の傘下となった。旅客・貨物とも順調に増加し、最盛期は貨物輸送が160万tを超えたが、突然の炭鉱の閉山とともに鉄道も役割を終えている。廃止までSLが活躍した路線でもある。

  1923.1.17 北海炭礦釧路〜雄別炭山間開業
  1924.4.2 三菱鉱業傘下の雄別炭礦鉄道となる
  1959.9.1 鉄道部門が独立し雄別鉄道となる
  1970.2.5 雄別炭礦と再び合併し雄別炭礦鉄道となる
  1970.4.16 廃止 
  1941 1949 1955 1960 1965 1969
 輸送人員(千人/日) 0.6 1.6 2.7 3.3 2.9 4.8
 輸送密度(千人/日) 0.4 1.1 1.2 1.6 1.6 1.8
 貨物輸送量(万t/年) 96.3 51.4 95.6 138.8 162.0 142.2
 営業係数 37 87 91 103 95 不明
廃線跡
 釧路〜雄別炭山44.1km
 全線の6割にあたる、釧路川から阿寒駅までの26kmはサイクリングロードとなっている。釧路空港にも近いので、お手軽に楽しめる廃線跡である。
2011.7 鶴野〜北斗間B 2011.7 桜田〜阿寒間E
 阿寒駅から先は未舗装の道路となって、雰囲気はいい。ただ、あまりに何もないので淋しくなってくる。古潭駅の位置は確認できなかった。
2011.7 阿寒駅跡F 2011.7 阿寒〜古潭間G
 雄別炭山の手前にはガーター橋が残っていて、この路線いちばんの見所である。雄別炭山駅の位置はよくわからなかったが、煙突やコンクリートの構造物を見つけた。
2011.7 真澄町〜雄別炭山間H
ヘルツナイ橋梁
2011.7 雄別炭山駅跡I
 2回目は、釧路市街地からスタート。中園駅の前後では、廃線跡は立派な4車線道路となり、雄鉄道路という名が付いている。釧路川を越えるとサイクリングロードで、前回発見し損ねた鶴野駅跡のホームもすぐ見つかった。北斗、山花は駅位置を特定できるものが無かった。
2016.7 中園駅付近@ 2016.7 鶴野駅跡A
2016.7 北斗駅付近C 2016.7 山花駅付近D
  
車両
 雄別鉄道で使用されたSLは多く、新造車も7両ある。旅客は長い間混合列車による輸送で、DCが導入されたのは1957年であった。
種類 番号 両数 特徴  登場 消滅 備考
SL 11、12 2 Cタンク 1923 1950
103、104、106 3 1C1タンク 1924・26 1962
205 1 Cタンク 1925 1970
234 1 C2タンク 1951 1953 もと国鉄
1409 1 Cタンク 1942 1954 もと渡島海岸
7212、7221、7222 3 1C1テンダ 1938 1952 もと国鉄
8721、8722 2 2Cテンダ 1953・58 1970 もと国鉄・北拓
9045、9046 2 1Dテンダ 1940・50 1964 もと国鉄・美唄
9224、9233 2 1Dテンダ 1952 1962 もと釧路埠頭倉庫
C111、113、118、
1165、11127
5 1C2タンク 1952-64 1970 もと江若・松尾・国鉄
C12-1256 1 1C1タンク 1951 1957 もと茨城交通
C56-1001 1 1Cテンダ 1941 1970
DL DD1301 1 13600mmB-B形 1966 1970
DC キハ49200Y1-3 3 20000mm液体式 1957 1970
キハ104-106 3 20000mm液体式 1962-69 1970
PC ハ1-3等 7 2軸車 1922-23 1958 もと国鉄等
コハ1-2等 11 ボギー車 1941-59 1970 もと国鉄
 8700形
 国鉄の本線向けの国産SLとしては、初期のものの1つ。1953年に北海道拓殖鉄道に譲渡され、さらに雄別炭鉱鉄道に移って1970年まで使用された。釧路市内の釧路製作所前で保存されている。 
2016.7 8722:釧路製作所
 キハ49200形
 雄別鉄道で使用されたDCは6両で、キハ49200Y1-3は国鉄キハ21形と同タイプ、キハ104-106は国鉄キハ22形と同タイプである。廃線後、6両すべて廃線後に関東鉄道へ譲渡され、うち5両は筑波鉄道で最後を迎えた。 
 DD13形
 雄別鉄道唯一のDLで、国鉄DD13形と同タイプだが牽引力がアップしている。廃線跡は釧路開発埠頭に譲渡され、さらに太平洋石炭販売輸送に移って、2019年まで活躍していた。 
2016.7 もとDD1301:太平洋石炭販売輸送春採駅

雄別鉄道