1935年に東西それぞれから開業していったが、戦争がはさまったため、全通まで18年かかっている。オホーツク海沿いを走り、景色の良さで有名な路線であった。国鉄末期の輸送密度は僅か267人、収支係数も2156で、輸送密度だけをみると第1次特定地方交通線のレベルだが、延長が50km以上あるため第2次特定地方交通線になっている。

  1935.10.10 湧網東線網走〜卯原内間開業(36.10.10常呂まで延伸)
  1935.10.20 湧網西線中湧別〜計呂地間開業(36.10.17中佐呂間(のちの佐呂間)まで延伸)
  1952.12.6  湧網東線常呂〜下佐呂間間開業
  1953.10.22 佐呂間から下佐呂間間開業により全通
  1984.6.22  第2次特定地方交通線として廃止承認
  1987.3.20  全線廃止  
  1937 1949 1956 1960 1965 1970 1973 1977 1980 1983 1986
 輸送人員(千人/日) 0.3 0.8 3.4 3.8 2.9 2.3 1.6 1.3 1.1 0.8 0.8
 輸送密度(千人/日) 0.2 0.2 0.7 0.9 0.7 0.5 0.3 0.3 0.2 0.2 0.2
 貨物輸送量(万t/年) 6.0 5.9 19.1 21.1 23.7 14.1 6.0 3.1 2.6
営業中
 1986年8月に乗車したが、ほとんど眠れなかった夜行列車からの乗継だったため、半分以上を寝て過ごすというあまりに勿体無いことをしてしまった。写真もまったく残っていない。
廃線跡
 中湧別〜網走89.8km
 1993年の訪問は、廃線跡めぐりではなかったのだが、計呂地駅、卯原内駅ともに国道からSLが見えたので思わず停車した。2008年も、流氷観光の途中で常呂駅跡に立ち寄っただけである。
1993.9 計呂地駅跡B 1993.9 卯原内駅跡L
2008.2 常呂駅跡H
 廃線から28年、ようやく本格的に廃線跡を探訪した。芭露駅跡は、立派な建物に変わった。芭露から先は廃線跡がサロマ湖畔ぎりぎりを通っていて、かつて最も景色が良かったところの1つである。
2015.9 芭露駅跡@ 2015.9 芭露〜計呂地間A
 計呂地駅跡は交通公園になっていて、当時の駅舎が今も残っている。1993年に見たSLは健在で、客車も保存されている。
2015.9 計呂地駅跡B 2015.9 計呂地駅跡B
 床丹駅跡は、目印がなく自信をもって判別できない。佐呂間駅は交通公園になっていて、SLやDL.、貨車などが保存されている。
2015.9 床丹駅跡C
2015.9 佐呂間駅跡D 2015.9 佐呂間駅跡D
 知来駅跡の建物は、当時の駅舎のようである。浜佐呂間跡は公園になっているが、鉄道を思わせるものはほとんど無かった。
2015.9 知来駅跡E 2015.9 浜佐呂間駅跡F
 浜佐呂間〜常呂間は道路から離れた畑の中を通っており、廃線跡が見つけにくい。苦労して北見富丘駅跡らしき場所は見つけたが、北見共立駅はわからなかった。
2015.9 北見富丘駅跡G
 常呂〜網走間は、廃線跡のほとんどが自転車道になっている。能取駅はホームが残っており、この前後は廃線跡が能取湖に面している。交通公園になっている卯原内駅跡は、廃止から30年近く経っても美しく整備されていた。
2015.9 常呂〜能取間I 2015.9 能取駅跡J
2015.9 能取〜北見平和間K 2015.9 卯原内駅跡L
 二見ヶ岡を過ぎると、廃線跡の自転車道は網走湖に面する。石北本線へ合流する直前、網走川を渡る橋も、鉄道橋が自転車道に転用されている。
2015.9 二見ヶ岡〜網走間M

湧網線