6世紀に定住をはじめたクロアチア人は、少しずつ勢力を拡大し、のちのクロアチア王国を形成していくことになる。

 879年 ローマ教皇より独立国家として承認
 924年 クロアチア統一
 926年 トミスラヴ1世、初代クロアチア王となる
 1102年 ハンガリー王がクロアチア王を兼ねる

 しかしクロアチア王国は、後継者争いからハンガリー王の下に入り、ある程度の自治は認められるものの独立が失われた。支配者が変わりながらも、これが第1次大戦後まで続くのである。また、ダルマチア等の沿岸部は長い間ヴェネツィア共和国領であったが、ウィーン会議後はクロアチア王国と同じハプスブルグ領となっている。

 1408年 ダルマチアがヴェネツィア共和国領となる
 1526年 モハーチの戦い、国土の大部分をオスマン・トルコに占領される
       (ハンガリーはハプスブルグ帝国に組み込まれる)
 1699年 カルロヴィッツ条約、国土の大部分がオスマン・トルコから戻る
 1815年 ウィーン会議、ダルマチア・イリリア地方がハプスブルグ帝国領となる
       (ハプスブルグ領ダルマチア王国・イリリア王国)
 1918年 ハプスブルグ帝国滅亡、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国樹立

 第1次世界大戦によってハプスブルグ帝国は解体され、スラブ人の国家が樹立される(のちのユーゴスラビア王国)。しかしこの新しい国家もセルビア人が主導するものであり、クロアチアが完全に独立を取り戻すのは1992年のことである。

クロアチア・中央クロアチア地方
 ザグレブ  
 ザグレブの起源は、1094年に建設された宗教都市カプトルと、1242年に王国自由都市となった商業都市グラデツである。1850年、両者が合併してザグレブとなり、クロアチアの政治的中心として発展するようになった。
 かつてのカプトルには、聖母被昇天大聖堂がそびえる。外観は修復中で残念だったが、内部のステンドグラスが印象に残った。
2010.5 聖母被昇天教会 2010.5 教会内部
 もう一方のグラデツは、今はゴルニィグラードと呼ばれる。こちらのシンボルは聖マルコ教会で、屋根の模様がおもしろい。また、南に広がる市街地の眺めがいいところだった。
2010.5 聖マルコ教会 2010.5 ザグレブ市街
クロアチア・イストリア地方
 リエカ  
 リエカには新石器時代から集落があったといわれ、ローマ時代にはタルサティカという都市が築かれた。アドリア海沿岸ではめずらしくヴェネツィア支配をほとんど受けていない街で、中世にはハプスブルグ支配下の自治都市フィウメとして発展している。1918年にイタリアが占領し、その後ユーゴスラビアとの間で激しい争奪が繰り広げられた。
 いちばんの見所は17世紀の聖ヴィート教会で、円形の外観が珍しい。背後の丘の上には、ローマに起源をもつ砦、トルサット城が遠望できた。 
2010.5 聖ヴィート教会 2010.5 トルサット城

クロアチア王国