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納札貼り込み帖ブログ
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催主 鈴木幸光略歴 

本人が書くのも変ですが変った経歴のおじさんではある。
昭和32年陸上自衛隊生徒第三期生出身です。
卒業後、任官はしたが憧れのアメリカの兵隊さんになりたくて、すぐ除隊,まずは在日米軍にて英語を習おうと働き始める。

米軍のキャンプ内ではモータープールやエンジニアを歴任、そうこうしている内に、いつしか闇屋のアルバイトに熱中、下士官クラブでバイト中に、こねを付けた、さいこく(国際結婚)の日本人のかみさん連中を纏め上げ、進駐軍物資、主にタバコ、ウィスキー、コーヒー、紅茶、化粧品、その他、金になるもの全ての調達販売に熱中、金儲けのネタも段々と少なくなってきたので、少し真面目に働くかと日本の会社にもぐり込む。
クラブ゛でバイトしたお陰で芸能人のよく言う、昔米軍のクラブで歌ってましてという嘘はみんなしっているぞ。

仕事はとうとう定年まで社業である冷凍機業で真面目に過ごすはめとなる。
会社へ入った当初は、キャンプ内のドミトリーに住まいしながら、昼は会社、夜はNCOクラブでバイトという変な生活を暫く送っていました。

社の思い出は、あまり無く、ただ一つの思い出は当時工事部長であった真鍋さんだけです。(真鍋儀十さんの姪みどりさんの婿さんと聞く。)
この方だけには在職中、訳あって頭が上がりませんでした。
故真鍋治男さん(空母赤城に海軍士官として乗り込んでいたが、ミッドウェイ海戦で沈没、その後捕虜生活を送ったりと波乱の青春をおくった方)です。
この方にはあるところで私の御幼少の頃を見られてしまっていたらしい。
それは浜松の飛行隊(航空隊)の前に有った、松野屋旅館です。
当時まだ私が、よだれを流しながら座敷中を這い這い、していたのをどうやら見られてしまっていたようでした。
真鍋さんは軍務で、よく飛行隊に来ていたらしく常宿は松野屋でした。
当然のことですが私には記憶がありませんが、あれは君だったのかとよくからかわれました。
ほんの短い間知遇を得ましたが忘れられない人でした。

もし偶然このページを御覧になった昔の飛行機乗りの方へ。
松野屋旅館は米軍の空襲や艦砲射撃にも奇跡的に焼けませんでしたが残念ながら、あの名物ばあちゃんは、だいぶ前に亡くなりました。

現在、私の頭が上がらないもう一人はかみさん、植村キ○七の娘です。
さて、本題の千社札は市場に出入りしていた、若い頃から何故か興味があり、まめに古書店を回ったり友人から頂いたりと、多少は集めていましたが、かみさんの父親が納札界では、こんな重鎮とは知りませんでした。
私の集めた納札とキ○七が所有していた納札(関東大震災と戦争でほとんど焼けてしまいましたがかろうじて残った札)を少しばかりブログの方に貼り込みました。

植村キ○七略歴
明治17年芝に生まれる。生業は神田にて際物師(きわものし)を営む。
気質は典型的な江戸っ子、世話好きで、お祭りが好きで、納札が好きで、浪花節が好きで、仕事と趣味と遊びで粋に一生を過ごす。
昭和39年歿 杉並区蓮光寺に眠る。
詳細はブログに記載。