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◎[第373回]暦の会3月例会      
                                 平成24年3月17日(土)2時~4時
                                 会場=五反田文化会館  出席者=17名

  
今回は、「回帰年と春分年」と題して、須賀 隆会員にご講演いただいた。
以下に須賀会員からの講演要旨資料を添付します。
なお、この資料は、須賀氏のブログhttp://suchowan.at.webry.info/201203/article_2.html に依りました。
暦関連項目もありますので、ぜひ開いてみて下さい。   (小川)

                   
■「回帰年と春分年」………………………………………………………………須賀 隆会員

今回、回帰年と春分年の話題を採り上げた発端は、昨年の第367回例会資料の別表〈二十四節気〉を見て、これを使えば解りやすく説明できるのではないかと連想したことでした。が、「今日の話は難しかった」と言われてがっかりでした 。
 なお、参考までに暦の会第373回例会で用いた資料をこちらに置きました。
    P.01/P.02上/P.03/P.04/P.05/P.06/P.02下/P.07/P.08/P.09/P.10/P.11/P.12
(質疑応答を一部反映, 高精細画像は上記URLのpcsをpcs/colorに変えると見えます)
*P.01~P.12までの資料各頁をご覧になるには、上記頁数を順次、Ctrlキーを押しながらクリックして下さい。
 
『遠西観象図説』(中)P.39に書かれている円環年の定義は、円環年トハ太陽白羊宮ノ初度ヨリ漸次ニ右旋シテ元宮即チ白羊宮ニ復ルノ間ニシテ三百六十五日五時四十九分ヲ云フナリ で、回帰年という用語は使用していません。ここで、白羊宮ノ初度というのはP.37の説明によれば、定気の春分のことを指します。
さらにP.42に 円環年ノ日時分秒ヲ測ルニ三百六十五日五時四十九分ニシテ という記述があり、吉雄が秒のオーダーの精度の値と認識していたことがわかります。この定義の円環年は、このグラフのNorthward Equinoctial Year(緑の太線)にあたるので、最新の天文学的計算でも、確かにほぼ365日5時49分になります。
 吉雄俊蔵の仕事は本件については完璧なのです。「吉雄の計算間違い」という誤った通説が流布していることは、気の毒でなりません。

[質疑応答]
1. 信長とグレゴリオ改暦(講演の主題とは別件ですが)
>1582年(天正10年)のグレゴリオ改暦を知っていたか?
>また、知っていたら日本でも採用を検討したか?
 日本にいた南蛮人宣教師たちがその使用暦を改めたのは1585年ごろ(『フロイスの日本覚書』P.4)とのことで、知らなかったと思われる。もし知ることができたら検討したかもしれない。

2.『遠西観象図説』と明治改暦建議の関係
 昭和29-30年頃には認識されていた。『日本暦日原典』の初版から記述は同じ。したがって青木信仰『時と暦』(1982)の市川斎宮説は学説としては、枝道ということになる。市川斎宮説と無関係とすると「吉雄の間違い」とは具体的にどのような計算間違いを想定していたのか逆に疑問。3.『ラランデ暦書』との関係
『遠西観象図説』出版時にはすでに『ラランデ暦書』は知られていた。Jean Meeus によると Lalande は一年の値として、365d5m48m45.5sを与えている。文政年間当時は、ニュートン-ケーグラー系とラランデ系の値が混在していたことになる。吉雄は元は長崎のオランダ通詞の家系で名古屋在住の蘭学者の由。なぜ前者の値を採用したか、その経緯はよくわからない。(おそらく 365d5h49m00s±0.5s の範囲に入る一年の値は寛政暦そのものしかない)
[追記]
『ラランデ暦書』の初訳は19世紀初めでも、『新巧暦書』として出版され、一般に知られるようになったのは1836年以降でしょうか? (ただし吉雄俊蔵は直接オランダ語の天文書を読んでいたはず)


◎《関連報告》第61回日本暦学会総会―――暦の会から10人ほどが参加
 桜にはまだ早い3月22日(木)、大津の近江神宮において第61回日本暦学会総会が開催された。近江神宮は御祭神が天智天皇で、その事績は多方面にわたるが、とりわけ水時計(漏刻)を設け、時刻制度を確立されたことはよく知られている。実際、境内には天智天皇が作ったとされる漏刻を再現した築山石造りの水時計(スイス・オメガ社寄贈)や、古代中国の日時計(ロレックス社寄贈)、そして2基の日時計などが置かれており、また、近くの時計歴史館では日本現存最古の懐中時計やわが国独自の櫓時計など、珍しい時計180点ほどが展示されていた。
 11時から正式参拝の後、佐藤久忠宮司のご挨拶や記念写真撮影、そしてなごやかに会食を済ませ、午後1時から総会の開会。なお、会場となった近江勧学館では毎年、カルタのクイーン戦が行われるということであった。
出席者は60余名。総会の一通りの議事進行を終えた後、古川麒一郎会長による「平成25年癸巳の暦要素の解説、そして新美幸夫国立天文台元助教授による『「うるう秒」の取り扱いについて』と題する記念講演が続き、また、暦の会・岡田芳朗会長からは、新聞報道資料を基に、福岡市の元岡古墳群で発見された『「庚寅年正月庚寅日」銘鉄剣について』の解説がなされた。
4時、散会となった。
                                  (レポート=小川益男 暦の会理事)