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◎[第374回]暦の会4月例会      
                                 平成24年4月28日(土)2時~4時
                                 会場=五反田文化会館/出席者=15名

  
今回は、「沖縄の暦―近年の研究動向」について、岡田芳朗会長にお話いただいた。また、会員諸氏からも興味ある報告がなされた。
                     *
◎「沖縄の暦―近年の研究動向」……………………………………………………岡田 芳朗 会長
近年の沖縄の暦研究動向としては、以下のものがある。
◆高田紀代志氏
 「近世琉球の暦 試論―大清時憲暦と選日通書―」(「沖縄研究ノート」2号1993.2)
                         宮城学院女子大学キリスト文化研究所
 「近世琉球の暦をめぐって 討論その2」(「沖縄研究ノート」3号1994.2)
 「近世琉球における暦 試論その3―漏刻と日時計―」(「沖縄研究ノート」4号1995.3)
 「近世琉球の暦 試論その4―暦面の時刻と報時―」(「沖縄研究ノート」7号1998.3)
◆中野栄夫(ひでお)氏
 「琉球・ヤマトの暦について」(「日本の中の異文化」2号2006.8) 日本異文化研究会
 「古琉球時代暦関係史料(稿)」(同上 3号2007.3) 日本異文化研究会
 「古琉球〈碑文〉にみられる干支考二題」(同上 3号2007.3) 日本異文化研究会
◆三浦国雄氏
 『風水・暦・陰陽師―中国文化の辺縁としての沖縄』榕樹書林 2005 (この書に久米島上江洲(かみえ す)家文書の紹介あり。同文書は久米島総合博物館に所蔵、『選日通書』を含む)

〈中国暦の流通〉沖縄は明・清両王朝の正朔を受けるという冊封(さくふう)関係にあり、福建省まで
 暦を受取りに行って毎年100部の暦が授けられた。しかし、年内未着の場合に備えて独自の「琉
 球暦」を造暦し、康熙57年(1718)には『選日通書』(「通書」は雑書と同じ意味)と改名した。これを可
 能にしたのは、清の頃に何年か先までの暦を記した官撰の「万年暦」が刊行されていたためでる。
〈砂川(うるか)暦〉これは宮古島城辺町(宮古島市)砂川地区で使用された暦。流刑地であった宮古
 島に流されてきた知識人などの協力もあって、幕末以来、近年までおよそ100年続いた。現在は
 神宮館の暦を用いている。 
 ●稲村賢敷氏……倭寇(わこう)起源説 『簠簋(ほき)』由来説
 ●岡田先生説……「大雑書」を参考にし、その知識を応用して作ったもので、古いものではない。十干十二支を文字でなく記号で書くことは、沖縄本島で使われてきたのと同じであるが、砂川暦は近年消滅したものか。

*参考資料として「大清乾隆二十七年選日通書」(日本の宝暦12年[1762])及び石垣島 竹原家文書の「憲書」(宣統元年[明治42年・1909]、八重山博物館蔵)のコピーが配布された。

《当日配布された会員諸氏からの資料・報告等》
 ◎岡田芳朗著・連載「暦のはなし―② 俳句や季語、季節と切っても切れない「暦」。今日も暦にまつわる話題を、ひとつ」(「NHK俳句」5月号 コピー配布……岡田会長より

 ◎高橋正男著「ヒジュラ暦と日本版カレンダー」(『季刊アラブ』第140号、2012年3月)コピー配布……高橋先生より

 ◎西澤宥綜まとめ「独習 暦法百條」のコピー配布……西澤宥綜先生より解説あり

 ◎「三嶋の館⦿開館7周年記念講演「江戸時代の暦と時刻」/講師:岡田芳朗先生」チラシ
  (5月20日(日)午後2時~3時半)……事務局より 暦の会375回例会と兼ねます。     
                                  (レポート=小川益男 暦の会理事)