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● 暦の会[第365回]例会レポート
                                      平成23年5月15日
                                     出席者9名

「三嶋暦師の館」と「月光天文台・第17回世界のこよみ展」見学会レポート
                         
5月15日(日)の10時、三島駅頭に8人の会員が終結。このところ、三島詣でというと毎回のごとく雨天続きであったが、今回はそれがまるで嘘のように、薫風かおる絶好の好天に恵まれた。これはきっと久々に奈良からお越しになられた「時の資料館」館長・後藤昌男先生のおかげでは? などと感謝しながらバスに乗り込み、一路、三島大社へと向かう。全員で参拝を済ませてから、いつもよりちょっと寂しい人数ながらも、恒例によって本殿前にて記念撮影をする。
大社を後に明るい五月の日差しを浴びながら六、七分ほど歩くと、三嶋暦師の館に到着。明治12年にアメリカの第18代大統領グラント将軍から寄贈されたという泰山木が、花にはひと月ほど早いものの、緑豊かな葉を茂らせた姿で出迎えてくれた。館長の河合龍明さんからは、庭にしつらえられた東西南北や丑寅の鬼門の方位、そして今年の恵方などを埋め物で示した方位盤について説明を受ける。また安政年間の建築物であり、現在、国の登録有形文化財である資料館の屋根に使われている数種類の瓦の紋様などについても、興味深いいきさつをお話しいただいた。
 建物内の展示資料類も今回は大幅にリニューアルされていた。例えば、河合家の過去の願書や覚書をまとめて筆写したという「暦家由来書上」には、慶長9年(1604)、大宮暦師が三嶋暦の真似暦を作った罪で遠島となるところを、河合家の家人となることで赦免されたという記事や、伊勢神宮の御師が毎年暮れになると各地の檀家に赴き、伊勢参宮の代参として大麻(御札)を配る代わりにお礼を貰う仕組みを考え出し、その際に土産として伊勢暦を無償で配布したため、河合家では伊勢の山田奉行宛に当地では三嶋暦があるので遠慮するよう願い出たが返事がなく、やむなく寺社奉行の大岡越前守に宛てたという訴状の写しなど、初めて目にする資料ばかりであった。
 ひとしきり展示資料観覧ののち、お見送りいただきながら館を辞す。今回、初の試みとして、館から東に2分ほど下った大場川(旧名・神川)に架かる下神川橋に歩を進めると、そこからはナント見事な富士の姿を眺めることが出来て、みな思わず笑顔に…。ご案内いただいた館の係員の方に記念写真を撮っていただいた後、同じ道を引き返して恒例の昼食会場の桜屋へと向かう。
 三島広小路に近づくにつれ、人の群れが眼に入って来る。これは相当順番待ちになるのかも、と思いきや、先着組みは既に二階の座敷に上っているとのこと。まさにグッドタイミングだったようだ。全員の注文を済まして待つこと十五分、香ばしい香りを漂わせたうな重が運ばれてくる。例によってMさんだけは井桁にうなぎが敷かれた?特製をご注文。最近、川越と銀座でも食べたが、やはりココのが一番、とは岡田会長の弁。やがてみなさん、満足げな顔つきで店をあとにする。近くの修善寺線三島広小路駅から三島駅に出て、1時50分発の電車でとなりの函南駅へ。
駅頭には既に月光天文台の蒔田さんたちが迎えに来ておられ、車2台に分乗。天文台に近づくにつれ、車中からやはり雄大な富士山を眺めることが出来た。天文台では直行組みの石原さんと合流して、参加者は総勢9人となる。今回は一番奥の畳敷きの部屋に案内されたので、足を伸ばしてくつろぐことが出来た。お茶をいただいてから、まずは二階の20インチ望遠鏡のあるドームへ。今日は太陽の黒点が二つ確認できた。カレンダー展示室に入ると、今までより展示数が減ったとのこと、確かに昨年より空間スペースがいくらか広がったような気がしないでもない。とは申せ、研究員の蒔田さんや渡辺さんの熱心でわかりやすい解説を拝聴しながら、各国それぞれお国柄の特色を持ったカレンダーをたっぷりと鑑賞させていただくことができた。
 例によって帰りもお言葉に甘えて函南駅まで車でお送りいただき、ホームにて解散となった。暦師の館の河合さんはじめ係員の方々、そして月光天文台の五味台長さんはじめ研究員の方々、今年もいろいろとありがとうございました。  
                            (以上、レポート=暦の会 理事 小川益男)