■新城新蔵先生の日中天文学交流史上の御功績について*2012-4-15メールにて
偶々暦のことで検索しておりましたら御会の第364回例会レポートのなかで新城新蔵先生の御事跡を拝見いたしました。
小さな事ですが、間違いというよりは情報不足の一点がありますので上海自然科学研究所の関係者と致しまして事情お話いたします。
新城先生は京都帝国大学総長御退任のあと、上海自然科学研究所所長代理(これは上海自然科学研究所設立の折、所長は中国側から出し、所長代理を日本側から出すという取り決めがありましたので、日華関係険悪化のなか中国側が所長選出を拒否した後も所長代理を出すに留めたことによります)に御着任になり、日本軍による南京占領直後、南京天文台の資料・設備保護の為に若手研究員を引率して戦火のあと生々しい南京に赴かれ、南京において病魔に倒れ現地で逝去されるに至ったのが実際であります。
上海自然科学研究所に勤務された方方は、殆どが故人になられましてこのいきさつを知るものも絶えつつありますが、関係者の遺族が保存する写真には南京で荼毘に付された後の御遺骨が上海駅頭に戻られた折のスナップが残っている筈です。
「上海にて没」は、「上海自然科学研究所所長代理(所長欠)として南京にて没」で日中天文学交流史上の御功績を記録に残しておいて頂けると有り難く存じます。
なお、私は新城先生とともに南京で南京天文台保護にあたり、御逝去のおりに現場に居りました上海自然科学研究所研究員速水 頌一郎の男子であります。
速水 醇一
johnpauljonesjp@yahoo.co.jp
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