狂人日記082・鶴間駅前の電話ボックス

2000.10.17 21:28(火)曇

 早朝に家を出た。
 昨夜が遅かったから三時間くらいの睡眠だった。
 多摩川線、京浜東北線、相鉄線、小田急線という順序で『蒲田』、『横浜』、『大和』と乗り継いで『南林間駅』に辿り着いた。駅前でタクシーをひろい目的の場所へ行くと上の兄貴が玄関前に立っていた。久しぶりに会う兄貴に、「おはようございます」と元気に声をかけ、二人で階段を上がり二階のロビーに向かった。
 私は仕事を休み、私用でお出かけをしていたのである。お出かけの内容は後日機会があれば語るということにし、今日のところは帰り道のことを記す。
 帰り道、兄貴の車で『南林間駅』まで送ってもらい別れた。
 今朝方、この駅の階段を降りた時から決めていたことなのだが、帰りはこの界隈を散歩しよう。久しぶりに昔の思い出巡りをしよう、などと柄にもないことを考えていたのである。十年前、二十代半ばの私は隣の駅『鶴間』によく来ていた。来ていた理由は電話をするためだった。電話をするために当時住んでいた相模原の淵野辺から、または仕事帰りに国道16号から246へ左折しここへ通っていた。先に記したが理由というか目的は電話をするためにだった。電話はどこからでもできるのだが、「公衆電話の聖地」(大袈裟だなー)と仲間内で言われたいた電話ボックスが鶴間駅前にあったからだ。その頃の私は五千円のテレホンカードを数枚持ち歩いていた。(後に変造テレカの出没で五千円とかの高額カードは姿を消した)かつて鶴間の駅前には三つの電話ボックスがあった。駅の階段に近い方がクラブオーナーであったR氏が好んで愛用していたリンリンボックス、真ん中がパーラメント氏、あすか氏や私などが使っていた。踏切寄りに位置したボックスは基本的には空けていた。どうして空けていたかというと、そのボックスにだけはテレホンカードの販売機がボックス内に設置してあり、カード切れの輩が利用するための場所であったからだ。付け加えるならば、私たちの仲間以外の利用者に配慮したという言い方も、結構強引かもしれないが言える。
 で、そのボックスで何をしていたのか?
 電話をしていたのだ。長時間にわたる電話をしていたのだ。二時間、三時間とつづく会話の嵐状態、パーティーライン・ライブの発信地がここだった。ここ数年の私は電話での長時間の会話を億劫に感じているが当時は楽しんでいた。(ここまで読んでくれた人には文章の内容がよく分からないだろうなー。地名などの具体的な記述はしているのだが、内容が遠回しで理解し難いはずだ。ごめん、私以外の当事者に迷惑がかかりそうだから、と勝手に自主規制している)
 『南林間駅』から『鶴間駅』へ繋がる商店街を十年ぶりに歩いた。二条通り商店街には地方銀行があり、小さな薬屋なども健在だったし、西鶴間の細い路地にはさびれたピンサロ、焼鳥屋等々、昔と変わっていなかった。駅前にはちゃんと三つ電話ボックスがあり、踏切寄りのボックスにはテレカの販売機が相変わらずあった。電話の機種は最近の型式のものに変わっていたが、それ以外は何も変わっていなかったと感じた。それ以外に変わったものと言えば、私が歳をとったことと、当時の仲間たちが居なくなったということだろうか。
 電話ボックス近くにある茶店をタバコを吸いながら見つめている時に、ふと『別冊マーガレット』に掲載されたひとコマが蘇ったりもした。駆け出しの漫画家だったR氏の親友が描いた『リンダ・リンダ』、R氏を主人公にしたあの漫画が懐かしい。

万太郎