和暦 西暦 年齢 出来事etc(とりあえずコメント) 備考 昭和40年・春 1965 00歳 4月神奈川県相模原市にて生まれる。(旧国鉄・現JR相模原駅近く「田所産婦人科」にて生まれる) 昭和47年・春 1972 07歳 相模原市立H小学校入学。 昭和49年・秋 1974 09歳 Hサッカークラブに入る。 昭和53年・春 1978 13歳 相模原市立K中学校入学・サッカー同好会入会。 昭和54年・秋 1979 14歳 司馬遼太郎著『竜馬がゆく』を読み、私の身体に龍馬が棲みついた。 昭和55年・冬 1980 14歳 司馬遼太郎著『世に棲む日々』を読み高杉晋作に憧れを抱く。 昭和55年・春 1980 15歳 司馬遼太郎著『峠』を読み河井継之助の悲運に涙した。 昭和55年・夏 1980 15歳 サッカーの試合中(大野北中グラウンド)、左膝脱臼・靱帯損傷。(以来ガラスの左ひざと言われるようになった) 昭和55年・秋 1980 15歳 RCサクセションのアルバム『ラプソデー』に出会い、衝撃を受ける。オープニング曲:「よォーこそ」は音楽的に、どうした・こうしたではなく、自己紹介を曲に乗せたという発想が清志郎氏の偉大さである。 昭和56年・冬 1981 15歳 「サッカーを続けてみないか?」という誘いを高校教師から受ける。 昭和56年・春 1981 16歳 神奈川県立S高校入学・サッカー部入部。 昭和56年・春 1981 16歳 「古典」の授業は外国語の時間だと思っていた。(何時も稚児の空寝状態だった) 昭和56年・夏 1981 16歳 一学期の学年成績順位は539人中538番だった。(538番は二人いた) 和暦 西暦 年齢 出来事etc(とりあえずコメント) 備考 昭和57年・冬 1982 16歳 大学ノートに日記を書き始める。 昭和57年・春 1982 17歳 「現国」の授業中に女教師が「日記を書いている人はいますか?」という質問をしたのでハイと手をあげた。(あなたには訊いてません、と言われた) 昭和57年・夏 1982 17歳 夏色のナンシーMちゃんと出逢う。 昭和57年・秋 1982 17歳 京都に坂本龍馬のお墓参りに行く。 昭和58年・冬 1983 17歳 父親永眠。 昭和58年・春 1983 18歳 りんごちゃんと出逢う。 昭和58年・夏 1983 18歳 高校選手権神奈川大会で敗北。サッカーボールを蹴ることをやめた夏。 昭和58年・夏 1983 18歳 スカイライン・ジャパンを乗り回していた。 昭和58年・秋 1983 18歳 RCサクセションのコピーバンド『Blue Wind』のコンサート決行。 昭和59年・冬 1984 18歳 頭が悪いので理系大学の受験をあきらめる。 昭和59年・春 1984 19歳 専門学校K(東京都小平市)入学。 昭和59年・春 1984 19歳 沢木耕太郎著『バーボン・ストリート』を読み清々しい気分になれた。 昭和59年・夏 1984 19歳 高野悦子著『二十歳の原点』を読んで感じたことは何だろうか? 和暦 西暦 年齢 出来事etc(とりあえずコメント) 備考 昭和60年・春 1985 20歳 沢木耕太郎著『人の砂漠』を読みノンフィクションにはまる。 昭和60年・夏 1985 20歳 沢木耕太郎著『路上の視野』を読み沢木氏にはまっている自分に気づく。 昭和60年・秋 1985 20歳 沢木耕太郎著『敗れざる者たち』、『一瞬の夏』を読み自分も文章を書いてみたいと思った。 昭和61年・冬 1986 20歳 京都に坂本龍馬のお墓参り(2回目)に行く。 昭和61年・春 1986 21歳 N株式会社入社。 昭和61年・春 1986 21歳 横浜市神奈川区子安台に引っ越し。 昭和61年・春 1986 21歳 東京都大田区羽田に配属。 昭和61年・春 1986 21歳 沢木耕太郎著『馬車は走る』を読む。 昭和62年・春 1987 22歳 東京都足立区扇に転勤。 昭和62年・夏 1987 22歳 日産スカイラインGTSを購入。 昭和62年・秋 1987 22歳 渡辺美里の曲が好きで、よく聴いていた。 昭和63年・冬 1988 22歳 日産FC(現横浜Fマリノス)の練習をフェンス越しに観ていた。 昭和63年・春 1988 23歳 横浜・大口駅前のPUB『ルフラン』で飲んだくれていた。店はすでに無い。 昭和64年・冬 1989 23歳 横浜・関内(相生町3丁目)のPUB『アーミーズ・バー』で飲んだくれていた。現在はパチンコ屋に様変わりしている。 和暦 西暦 年齢 出来事etc(とりあえずコメント) 備考 平成01年・春 1989 24歳 京都に坂本龍馬のお墓参り(3回目)に行く。 平成01年・夏 1989 24歳 お台場の砂浜で昼寝をしていた。現在と違いのんびりとした空気が流れていた頃のことだ。 平成01年・秋 1989 24歳 F1日本グランプリ観戦。鈴鹿シケイン席でセナとプロストの接触を目前で体験。 平成02年・冬 1989 24歳 横浜市中区の伊勢佐木レインボーマンションへ、2ケ月間転がり込む。 平成02年・春 1989 25歳 相模原市淵野辺本町へ引っ越し。 平成02年・春 1989 25歳 東京都大田区羽田に転勤。 平成02年・夏 1989 25歳 ダイヤルQ2・横浜ボイスシティー参加。 平成02年・秋 1989 25歳 ゴールドフィンガークラブ(ダイヤルQ2)のリンダ氏にプッシュ回線ダイアル演奏を学ぶ。 平成03年・冬 1990 25歳 横浜・関内のPUB『スマイル』で飲んだくれていた。店はすでに無い。 平成03年・春 1990 26歳 京急・穴守稲荷駅近くの『ことぶき』の「鳥の唐揚げカレーライス」を喰いまくる。 平成03年・夏 1990 26歳 日産グロリア購入。 平成03年・秋 1990 26歳 横浜・福富町のパブ『ブレス』で飲んだくれていた。店は後に関内へ引っ越したが現在は無い。 平成04年・冬 1991 26歳 横浜市中区初音町へ引っ越し。 和暦 西暦 年齢 出来事etc(とりあえずコメント) 備考 平成04年・春 1991 27歳 京急・日ノ出町駅前の通称『フライ屋』で焼酎を飲んでいた。 平成04年・夏 1991 27歳 横浜・関内のPUB『パラディ』で飲んだくれていた。店はすでに無い。 平成04年・秋 1991 27歳 横浜・伊勢佐木町の樽酒屋『勝美』で日本酒を飲んでいた。店はすでに無い。 平成05年・冬 1993 27歳 週末、時間があると伊勢佐木町の本屋『有燐堂』で立ち読みをしていた。 平成05年・春 1993 27歳 横浜市神奈川区子安台へ引っ越し。 平成05年・夏 1993 27歳 横浜・関内のPUB『キッス』で飲んだくれていた。 平成05年・秋 1993 27歳 沢木耕太郎著『象が空を』をゆっくりと読み出す。 平成06年・冬 1994 27歳 司馬遼太郎著『坂の上の雲』を読む。 平成06年・春 1994 28歳 『明日泣く』のヒロイン、利恵子と出逢う。 平成06年・春 1994 28歳 横浜・関内・相生町二丁目PUB『ピープル』店はすでに無い。太田町二丁目PUB『シャー』店は引越しした。両店で飲んだくれていた。 平成06年・夏 1994 28歳 尿管結石で倒れる。(生死を彷徨う私に対して、大口駅(横浜市)近くにある病院の看護婦二人は知らぬ顔で無視した) 平成06年・秋 1994 28歳 伊集院静著『あの子のカーネーション』を読み泣く。 平成07年・冬 1995 28歳 『流れ星』のヒロイン、メグメグと出逢う。 平成07年・春 1995 29歳 井沢元彦著『逆説の日本史・古代黎明編』を読み、目から鱗状態となる。 平成07年・夏 1995 29歳 色川武大著『引っ越し貧乏』を読み感嘆。 平成07年・夏 1995 29歳 色川武大著『離婚』を読み私小説の世界に興味を持つ。 平成07年・夏 1995 29歳 沢木耕太郎著『テロルの決算』を読み、自分の十七歳の頃を振り返る。 和暦 西暦 年齢 出来事etc(とりあえずコメント) 備考 平成07年・夏 1995 29歳 株式会社Tへ転籍。 平成07年・秋 1995 29歳 東京都大田区多摩川へ引っ越し。 平成08年・冬 1996 30歳 色川武大著『怪しい来客簿』を読み、氏の文章表現の仕方に興味を持つ。 平成08年・冬 1996 30歳 色川武大著『永日』(文庫名は『百』)を読み、感傷に浸った。 平成08年・春 1996 30歳 東京都世田谷区用賀に転勤。 平成08年・夏 1996 30歳 東急・用賀駅前『みやま』の「鳥チャーハン」に惚れ込み食べまくる。 平成08年・秋 1996 30歳 色川武大著『明日泣く』を読み、さり気ない文章の表現方法に感動する。 平成09年・冬 1997 31歳 家に帰らなかった。東急・用賀駅前『焼き鳥天国』で焼酎を飲んでいた。 平成09年・冬 1997 31歳 岸田秀著『二十世紀を精神分析する』を読み、「ペリーに強姦された日本」という文字に衝撃を受ける。 平成09年・春 1997 32歳 東京都大田区羽田に転勤。 平成09年・夏 1997 32歳 サッカーW杯アジア1次予選最終戦観戦のため国立競技場へ。まさかの引き分け? 平成09年・秋 1997 32歳 サッカーW杯アジア最終予選B組の4試合全てを国立競技場で観戦。 平成09年・秋 1997 32歳 東急・現多摩川線矢口渡駅近くの居酒屋『ポポット』で焼酎のグレープフルーツ割を飲んでいた。店はすでに無い。 平成10年・冬 1998 32歳 4月1日のサッカー日本代表戦をソウル・チャムシルで観戦。 和暦 西暦 年齢 出来事etc(とりあえずコメント) 備考 平成10年・春 1998 33歳 東京都墨田区千歳に転勤。 平成10年・夏 1998 33歳 平山譲著『名波浩・泥まみれのナンバー10』を読む。 平成10年・夏 1998 33歳 サッカーフランスW杯観戦。パリを拠点にナントへ移動。 平成10年・秋 1998 33歳 家に帰らなかった。(両国・錦糸町近辺徘徊) 平成11年・冬 1999 33歳 秋葉原で「ソニー・VAIO」購入 平成11年・冬 1999 33歳 AOLでエッセイ風メールの送信開始 平成11年・春 1999 34歳 誕生日の夜、伊勢佐木町において初めてのプリクラ体験。(照) 平成11年・夏 1999 34歳 「万太郎の雑文を集めたホームページ」を開始。 平成11年・秋 1999 34歳 出張でアムステルダム、パリ、ダンディー、ロンドンを視察。アムステルダムの飾り窓で異常な世界の怖さを感じ、遊び無の良い子の生活をした。 平成12年・冬 2000 34歳 護国寺で笹塚大戦作の準備に明け暮れる。 平成12年・春 2000 35歳 両国の居酒屋『藤徳』で焼き魚をつまみに焼酎を飲んでいた。店はすでに無い。 平成12年・夏 2000 35歳 歩こう会結成。池上本門寺、多摩川等、散歩大作戦の日々を過ごす。 平成12年・秋 2000 35歳 矢口渡居酒屋『ポポット』閉店。居心地の良い場所を失い脱力感に襲われる。 平成13年・冬 2001 35歳 蒲田西口立ち食い蕎麦屋『そば新』の360円カレーライスに出会う。 和暦 西暦 年齢 出来事etc(とりあえずコメント) 備考 平成13年・春 2001 36歳 東京都品川区へ引っ越し。日産グロリア、東大和で大破自走不能により廃車。さようならグランツーリスモ! 平成13年・夏 2001 36歳 東神奈川で大師大戦作の準備に明け暮れる。 平成13年・秋 2001 36歳 左膝が壊れ、東京労災病院へ通院の日々。 平成14年・冬 2002 36歳 東神奈川・村雨橋で生死をさまよう。東京労災病院で診察を受けたら血圧(上)が231へ上昇していた(下は140)and15歳の時に脱臼した際に左膝前十字じん帯を断裂していた事実をMRIで知った。 平成14年・春 2002 37歳 東京都品川区北品川の会社へ出向。 平成14年・夏 2002 37歳 出向終了。東京都中央区銀座へ転勤。ワールドカップ日本戦はチケットが取れず全てテレビ観戦となった。 平成14年・秋 2002 37歳 有楽町駅前の24時間営業ラーメン屋居酒屋『ゆうじん』を開拓。店はすでに無い。3代(台)目パソコン(ソニーバイオ)購入。 平成15年・冬 2003 37歳 加平、木場と戦地を渡り歩いていた。 平成15年・春 2003 38歳 東京都大田区羽田へ転勤。 平成15年・夏 2003 38歳 毎日、日本橋本町でバタバタだった。心機一転リフレッシュのためソウルへ飛ぶ。 平成15年・秋 2003 38歳 ワックスの効きすぎた平和島のレーンで蒲田西口の『スナック・トレビ』マスター達と早朝ボーリング大会を行い、大惨敗。 平成15年・冬 2003 38歳 雑文ホームページをアサヒネットからケーブル品川へ引越し。 和暦 西暦 年齢 出来事etc(とりあえずコメント) 備考 平成16年・春 2004 39歳 5月後半、東京労災病院へ10日間手術・入院。全身麻酔というものを初体験した。 平成16年・夏 2004 39歳 四度目のソウルへ。去年の夏に出会った南大門のかばん屋兄貴は店に居なかった。寂しさを感じた暑い夏だった。 平成16年・秋 2004 39歳 大阪出張で、去年と同じホテル(リーヴァ南海)に宿泊。なんばの夜を漂流した。 平成16年・秋 2004 39歳 穴守稲荷駅近くの酒場で焼酎を飲む日々・・・(H16.11〜) 平成16年・冬 2004 39歳 あいも変わらず段取り失敗の連続で仕事量が大幅に増えてしまい処理不能状態を作ってしまった。あきらめの気持ちをひきずりながら穴守稲荷駅近くで静かに飲んでいた。 平成17年・冬 2005 39歳 3月の後半、処理不能と思われた仕事に『完』がやってきた。 和暦 西暦 年齢 出来事etc(とりあえずコメント) 備考 平成17年・春 2005 40歳 初老をむかえてしまった。「肝心なのは志と品格。わかっちゃーいるけどだけど今日も二日酔い・・・」
蒲田西口駅前のステーキ屋『チキタ』で誕生日を祝ってもらい、ワインをがぶ飲みした!平成17年・夏 2005 40歳 @金欠病の日々の中、元気なくダラダラ仕事をしていたら、ノルマがこなせなくなってしまい、夏休みが消滅してしまった。
A7月、8月と・・・2回、蒲田東口のACボールでボーリング大会があった。超盛り上がった。これが私にとっての夏休みだったのかもしれない。平成17年・秋 2005 40歳 @9月中旬大阪出張「なんば(リーヴァ南海宿泊)」、下旬岐阜出張「大垣」で夜の世界を漂流。・・・「大垣」のキャバ嬢ってレベルが高い、と知った。
A9月30日午前中、日本橋近くでスポンサー氏との交渉に成功。新たな人生のスタートをきることが出来るようになった。(感謝)平成17年・冬 2005 40歳 先週今週と月曜日は永福大戦争の作戦隊長をやっていてシミジミ思った。
学習能力があるのか無いのか、それが問題だ。
先週は30時間かかった任務が今週は27時間で終了した。
・・・学習能力ウンヌンよりも運に左右される度合いが多かったような気もするが、結果的に学習能力を少しは持ち合わせていた、ということになるな?
11月15日記述平成18年・春 2006 41歳 三月が終わり四月に入り一週間が過ぎた。
飲みすぎの日々の中、たまにはエリアを変えよう、ということで、穴守稲荷、蒲田、大森以外へ出かけたのが金曜日のことだった。
関内駅から桜通りを歩き常盤町へ行く途中、「どうして半たわみミルク舗装にしたのかな?」などと白色のアスファルトを見つめながら、どうでもいいことを考えたりしていた。
待ち合わせの場所は薄暗い照明のカウンターバー『ザ・ファイブペニーズ中扉奥にあるカウンター・バー』だった。そこで「明日泣く」のヒロインとの八年ぶりの再会をした。【同窓会のような会話が楽しかった】
4月9日記述平成18年・夏 2006 41歳 雑文ホームページ作成ソフトPageMill3.0からホームページビルダー10へ変更。